第59話 幼い声
――小さな手だった。
俺の手を。
ぎゅっと握っている。
「……誰だ」
返事はない。
暗闇の中。
ミラの声がした。
「レイン!」
「ここにいる!」
「よかった……!」
ミラが俺の腕を掴む。
「今、誰かいた?」
「ああ」
「誰?」
「分からない」
俺は。
自分の手を見る。
もう。
小さな手は消えていた。
「……」
嫌な感じがする。
懐かしい。
でも。
俺は知らない。
そんな矛盾した感覚だった。
やがて。
非常灯が一つだけ点いた。
赤い光。
その光の中に。
一枚の紙が落ちていた。
俺は拾う。
古い紙だった。
端が焼けている。
中央には。
たった一行。
――「六人目は、七人目を捨てた」
「……六人目?」
ミラが覗き込む。
「七人目を?」
「ああ」
俺は紙を裏返す。
何もない。
「意味が分からない」
「私も」
ミラが首を傾げる。
「でも、嫌な予感しかしない」
「同感だ」
そのとき。
「違う」
旧レインが。
暗闇の向こうから言った。
「それは違う」
「何が?」
俺が振り返る。
旧レインは。
紙を見つめていた。
「六人目が七人目を捨てたんじゃない」
「じゃあ?」
「七人目が」
彼は。
一度だけ目を閉じる。
「六人目を捨てたんだ」
「……」
ミラが黙る。
俺も。
何も言えなかった。
「五十年前」
旧レインが続ける。
「俺たちは六人だった」
「アルドたちか?」
「違う」
「じゃあ誰だ?」
「俺にも分からない」
「……お前でも?」
「ああ」
旧レインが苦笑する。
「俺は記憶を持っている」
「でも」
「記憶が全部あるわけじゃない」
その言葉に。
俺の胸が。
小さく鳴った。
ドクン。
また。
二つ目の鼓動。
しかし今度は。
いつもと違った。
俺の鼓動に。
何かが重なった。
――ドクン。
――ドクン。
――ドクン。
「……三つ?」
ミラが呟く。
「今」
「聞こえたか?」
「うん」
俺は胸に手を当てる。
確かに。
三つ目がある。
だが。
これは。
俺の中から鳴っている。
第二人格核でもない。
少年でもない。
旧レインでもない。
もっと奥。
ずっと奥。
まるで。
俺が生まれる前から。
そこにいたような――。
『……やっと』
声がした。
今度は。
頭の中ではない。
胸の奥から。
『見つけた』
俺は。
息を止めた。
「誰だ」
『お前だよ』
「俺?」
『そう』
声が。
笑った。
『ずっと、お前の中にいた』
ミラが俺を見る。
「レイン?」
「大丈夫だ」
「本当に?」
「……たぶん」
「その『たぶん』、信用できないんだけど」
「俺も信用してない」
「そこは自信持たないでよ」
こんな状況なのに。
思わず。
少し笑った。
すると。
胸の中の声が。
静かになった。
そして。
小さく。
『……それだ』
「何?」
『それが欲しかった』
意味が分からない。
だが。
声は続けた。
『怒ること』
『笑うこと』
『迷うこと』
『誰かを守ろうとすること』
『それを全部――』
そこで。
声が途切れた。
「全部?」
返事はない。
代わりに。
壁に文字が浮かんだ。
――七人目:人格条件を確認。
俺は。
その文字を睨む。
「人格条件?」
さらに。
文字が増える。
――自ら選択すること。
――与えられた役割を拒否すること。
――他者を殺すために存在しないこと。
そして。
最後の一行。
――自分以外の人格を殺さないこと。
「……」
俺は。
少年を見る。
旧レインを見る。
そして。
自分自身を見る。
つまり。
俺が七人目になる条件は。
誰かを消すことじゃない。
「共存……?」
ミラが言った。
「たぶん」
俺は頷く。
その瞬間。
少年が。
泣きそうな顔で笑った。
「じゃあ」
「……?」
「僕」
少年は。
胸に手を当てた。
「消えなくていいの?」
「まだ決まってない」
「そっか」
「でも」
俺は言う。
「消すつもりはない」
旧レインが。
静かに目を伏せた。
「……俺もか」
「ああ」
「俺も残すのか?」
「お前が嫌じゃなければ」
旧レインは。
少しだけ笑った。
「変な奴だな」
「よく言われる」
「五十年前のお前は」
彼が。
俺を見る。
「そんなこと言わなかった」
「じゃあ」
俺は答えた。
「今の俺は、五十年前のお前じゃない」
「……そうだな」
その言葉と同時に。
壁が震えた。
――第三選択肢を更新します。
俺は身構える。
新しい文字が。
一つずつ現れる。
――第三選択肢:共存。
「……」
ミラが。
小さく笑う。
「できたね」
「ああ」
だが。
その直後。
文字が赤く変わった。
――ただし。
俺は。
嫌な予感がした。
――共存には、一つ条件があります。
「条件?」
最後の文字が。
ゆっくり浮かぶ。
――七人目自身が、誰を残すか決めなければならない。
「……何だ、それ」
ミラが眉をひそめる。
「結局、選ばせるの?」
「違う」
俺は。
壁を見る。
「これは」
背後から。
声がした。
『そう』
あの幼い声。
『七人目は』
小さな足音。
一歩。
また一歩。
暗闇から。
誰かが近づいてくる。
『最後に――』
赤い非常灯が。
その姿を照らした。
そこにいたのは。
幼い頃の俺だった。
そして。
その子供は。
俺を見上げて。
笑った。
『誰を殺すかじゃない』
一歩。
近づく。
『誰を――』
小さな手が。
俺の胸に触れる。
『自分として認めるかだよ』
ドクン。
三つ目の鼓動が。
初めて。
はっきり鳴った。




