第56話 もう一人
「俺の中に」
少年が。
自分の胸を押さえている。
「もう一人いる」
その言葉が。
頭から離れなかった。
「……お前の中に?」
「うん」
「さっきまで知らなかったのか?」
「知ってた」
「じゃあ、なぜ言わなかった?」
「聞かれなかったから」
「……」
ミラが。
小さくため息をついた。
「この子、レインに似てるね」
「どこが?」
「肝心なことを後から言うところ」
「俺はそんなに酷くない」
「酷いよ」
「……」
少年が。
少しだけ笑った。
だが。
すぐに表情を戻す。
「そいつは」
少年が言う。
「俺より古い」
「どれくらい?」
「分からない」
「五十年前より?」
「もっと」
「……」
-2番が。
少年を睨んだ。
「本当にいるのか?」
「いる」
「なら呼べ」
「呼べない」
「なぜ?」
「俺が呼ぶと」
少年の顔が。
少し青ざめる。
「俺が消えるから」
部屋が。
静かになった。
「……」
俺は。
少年を見る。
「つまり」
「うん」
「そいつが出てくると、お前は消える」
「そう」
「じゃあ」
俺は一歩近づいた。
「出させない」
少年が。
驚いた顔をした。
「え?」
「お前を消す理由がない」
「でも」
「名前をつける」
「……」
「お前に」
少年が。
目を見開く。
「でも」
「何だ?」
「俺に名前をつけたら」
少年が震える。
「中の『もう一人』が出てくる」
「……どうして?」
「俺が完成するから」
「完成すると?」
「器が空く」
「……」
嫌な予感がした。
「つまり」
俺は言う。
「お前が完成すると」
「うん」
「もう一人が俺の身体に入る?」
「……たぶん」
ミラが。
すぐに俺の前に立った。
「それは駄目」
「俺もそう思う」
「じゃあ名前つけない方がいいんじゃない?」
「……」
俺は。
少年を見る。
名前をつければ。
少年が完成する。
だが。
完成した瞬間。
別の存在が動き出す。
なら。
名前をつけない方がいい。
でも。
名前を持たないままなら。
少年は永遠に。
「候補三」のままだ。
どちらを選んでも。
誰かが傷つく。
「……」
そのとき。
壁に文字が浮かんだ。
――命名を推奨します。
続いて。
――命名しない場合、候補三を消去します。
「……やっぱりか」
少年が。
俯いた。
「いいよ」
「何が?」
「消えても」
「……」
「俺は」
少年は笑う。
「最初から、いなかったことになってたから」
「そんな顔で言うな」
「え?」
「死ぬことに慣れた顔をするな」
少年が。
黙った。
俺自身。
いつか。
似たような顔をしていたのかもしれない。
五十年前。
自分を殺せと頼んだ俺。
その俺は。
きっと。
自分が消えることを。
当たり前だと思っていた。
「……名前をつける」
俺は言った。
少年が顔を上げる。
「本当に?」
「ああ」
「でも」
「その代わり」
俺は指を一本立てた。
「お前の中のもう一人も」
少年を見る。
「消さない」
「……」
「俺が」
俺は続ける。
「二人とも残す方法を探す」
-2番が。
小さく笑った。
「それができると思うか?」
「知らない」
「無理かもしれない」
「そうだな」
「なら」
-2番が聞く。
「なぜやる?」
「……」
俺は。
少し考えた。
「俺がそうしたいからだ」
ミラが。
小さく笑った。
「それでいいんじゃない?」
その瞬間。
少年が。
ゆっくり目を閉じた。
「……じゃあ」
少年の身体から。
赤い光が漏れる。
「名前を」
俺は。
その顔を見る。
何がいい?
アルドではない。
レインでもない。
三十二番でもない。
この少年自身の名前。
俺は。
一つの名前を思い浮かべた。
だが。
口に出す前に。
少年の口が。
俺の声で喋った。
「その名前は」
俺の声。
少年の声ではない。
「俺が昔、捨てた名前だ」
俺は。
凍りついた。
「……何?」
少年の目が。
赤から黒へ変わる。
そして。
少年は。
俺と全く同じ声で言った。
「返してくれ」
ドクン。
俺の胸が鳴る。
ドクン。
少年の胸も鳴る。
二つの鼓動が。
同時に重なった。
――命名対象:確定。
壁に文字が浮かぶ。
――候補三、人格接続。
――旧名:レイン。
「……!」
俺は。
少年を見つめた。
そして。
最後の一行が表示された。
――現在のレインと、旧レインの人格統合を開始します。
ミラが叫ぶ。
「レイン!」
俺は。
少年へ手を伸ばした。
だが。
その瞬間。
少年の背後に。
もう一人。
黒い影が立った。
顔は。
俺だった。
そして。
その影が。
笑った。
「やっと」
声は。
五十年前の俺。
「俺の番だ」




