第50話 50年前
――この名前を捨てた場合、現在の人格は消滅します。
赤い文字が。
俺の目の前で点滅している。
「……」
俺は。
自分の名前を見る。
レイン。
たった三文字。
それだけなのに。
今までとは違って見えた。
「人格が消えるって……」
ミラの声が震える。
「つまり」
「俺がレインじゃなくなったら」
俺は答える。
「今の俺が消える」
「そんな……」
ミラが少年を見る。
「じゃあ、名前をつける必要なんてないじゃない」
「そう」
少年は頷いた。
「だから」
少年が俺を見る。
「俺は名前が欲しい」
「……」
「お前の名前を奪いたいんじゃない」
少年は続ける。
「俺にも、自分だけの名前が欲しい」
三十三番が口を挟む。
「それが、この施設の仕組みだ」
「仕組み?」
「ああ」
三十三番は壁を見る。
「一つの器に」
――アルド
――レイン
――候補三
三つの文字が浮かぶ。
「複数の人格候補を入れる」
「そして?」
「一つだけを残す」
「……」
「残ったものが」
三十三番は言った。
「その器の『本人』になる」
俺は少年を見る。
「じゃあ」
「ん?」
「俺が今の俺でいられるのは」
「レインという名前を持っているから」
「……」
「そういうことになる」
だが。
俺は納得できなかった。
「だったら」
俺は言う。
「俺の両親は?」
「……」
「俺をレインと呼んだ」
「そうだ」
「それだけで人格が固定されるなら」
俺は拳を握る。
「俺の人生は、名前一つで決まったのか?」
三十三番は。
しばらく黙った。
「違う」
「……」
「そこだけは違う」
三十三番が俺を見る。
「名前は人格を固定する」
そして。
「人格を作るわけじゃない」
俺は顔を上げた。
「じゃあ俺の人格は?」
「お前自身だ」
「……」
「それだけは」
三十三番が言う。
「誰にも作れなかった」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥が。
少しだけ軽くなった。
ミラが笑う。
「ほら」
「何だ?」
「やっぱりレインはレインじゃん」
「……簡単に言うな」
「でも本当でしょ?」
「分からない」
「そこは即答してよ」
少しだけ。
いつもの空気に戻った。
だが。
もう一人の俺が。
静かに笑っていた。
「だからこそ」
そいつが言う。
「五十年前のお前は苦しんだ」
「……」
「自分が自分なのか分からなくなった」
その瞬間。
視界が。
また白くなった。
――記録。
五十年前。
雪。
古い研究施設。
そこに。
俺がいた。
少年ではない。
今と同じくらいの年齢。
そして。
目の前にアルドがいる。
「名前を捨てろ」
アルドが言った。
「嫌だ」
俺が答える。
俺自身の声だった。
「俺はレインだ」
「それじゃ駄目だ」
「どうして?」
「レインという名前が残っている限り」
アルドが。
苦しそうに言う。
「お前は俺を殺せない」
「……」
「だから」
アルドは。
俺の手に。
金属板を握らせる。
――32。
「これを持て」
「名前は?」
「捨てろ」
「……」
「レインという名前を」
アルドが。
目を閉じる。
「一度だけ」
「……」
「俺を殺すために」
俺は首を振る。
「できない」
「できる」
「無理だ」
「お前ならできる」
アルドが。
俺の肩に手を置く。
「お前は俺じゃない」
「……」
「だから」
その言葉が。
妙に優しかった。
「俺を殺せる」
映像が止まった。
俺は。
現実に戻った。
「……俺は」
息をする。
「アルドを殺すために、名前を捨てた?」
三十三番が答えた。
「記録上は」
「……」
「だが」
三十三番は続ける。
「それだけじゃない」
「何が?」
「お前は」
一拍。
「アルドを殺したあと、自分自身も殺すよう命令した」
「……」
俺は。
言葉を失った。
「どうして?」
三十三番は首を振る。
「知らない」
「お前も?」
「ああ」
「じゃあ誰が知ってる?」
三十三番が。
地下の奥を見る。
「本人だ」
「……誰?」
「五十年前のレイン」
その瞬間。
奥から。
足音。
一歩。
二歩。
三歩。
そして。
暗闇から。
もう一人の俺が姿を現した。
だが。
今度は違う。
傷もない。
服も違う。
五十年前の。
あの日の姿。
「……」
そいつは俺を見る。
「やっと思い出したか」
「お前が……」
「そう」
そいつが笑う。
「俺が五十年前のレインだ」
俺は拳を握った。
「だったら聞く」
「何を?」
「なぜ」
俺は言った。
「お前は、自分を殺した?」
五十年前の俺は。
少しだけ目を伏せた。
「それは」
そして。
静かに答えた。
「俺が――」
その瞬間。
地下施設全体が。
大きく揺れた。
壁に。
新しい文字が浮かぶ。
――最終質問を開始します。
――質問者:現在のレイン。
――回答者:五十年前のレイン。
そして。
最後に。
たった一行。
――質問は一つだけ。
五十年前の俺が。
笑った。
「選べ」
「……何を?」
「俺に聞く質問を」
その目が。
まっすぐ俺を見る。
「その一問で」
彼は言った。
「お前の二十八年間が――全部変わる」




