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勇者の遺体を回収する仕事  作者: ななほし


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48/120

第48話 名前

「どっちの俺を信じる?」


 少年の言葉が。


 地下室に残った。


 俺は。


 手の中の紙を見る。


 表。


 ――名前をつけるな。


 その下。


 ――名前をつけろ。


 二つの文字。


 どちらも。


 俺の字に似ている。


「……」


 ミラが紙を覗き込む。


「本当に同じ筆跡?」


「ああ」


「でも、書いた時期が違うんじゃない?」


「……」


 俺は紙を裏返した。


 何もない。


 もう一度表を見る。


 そのとき。


 小さな違和感に気づいた。


「ミラ」


「なに?」


「この二つの文章」


「うん」


「書いた方向が違う」


「方向?」


「ああ」


 俺は指で文字をなぞる。


「上の『名前をつけるな』は、右から左へ少しずつ筆圧が強くなってる」


「それで?」


「下の『名前をつけろ』は逆だ」


「……つまり?」


「同じ人間が書いたとしても」


 俺は紙を見る。


「同じ時には書いてない」


 少年が笑った。


「正解」


「……」


「だから」


 少年は言う。


「どっちも俺だよ」


「五十年前のお前と?」


「違う」


 少年が首を振る。


「五十年前のお前と、今のお前」


「……俺?」


「そう」


 少年が指を俺に向ける。


「上を書いたのは五十年前」


「下は?」


「今」


 俺は固まった。


「俺が?」


「うん」


「覚えてない」


「当然」


「どうして?」


「だって」


 少年は笑う。


「まだ書いてないから」


「……」


 意味が分からない。


 俺は紙を見つめる。


 今の俺が。


 まだ書いていない文章。


 なのに。


 すでに存在している。


 ミラが小声で言った。


「時間……おかしくない?」


「ああ」


 この地下に来てから。


 何度もそうだった。


 作られた順番。


 生きた順番。


 記録された順番。


 全部が違う。


「じゃあ」


 俺は少年を見る。


「俺がこれを書く未来があるってことか?」


「違う」


「違う?」


「もう書いた」


「……」


「でも」


 少年は首を傾げた。


「お前はまだ書いてない」


 ミラが頭を抱える。


「もう分かんない……」


「俺もだ」


「レインがそれ言うと本当に不安になる」


「俺だって不安だ」


「顔に出ないから余計怖い」


「……」


 俺は少年に向き直る。


「お前は未来を知ってるのか?」


「全部じゃない」


「何を知ってる?」


「お前が名前をつけること」


「俺が?」


「うん」


「名前を?」


「うん」


「お前に?」


「うん」


 少年は笑った。


「だから待ってる」


 俺は黙った。


 名前。


 まだ決められない。


 というより。


 決めてはいけない気がする。


 俺は。


 この少年を知らない。


 何者なのかも。


 なぜ五十年前に存在したのかも。


 どうして俺と同じ顔なのかも。


「……三十三番」


「何だ」


「一つ聞く」


「答えられる範囲なら」


「こいつに名前をつけたら」


 俺は少年を指す。


「本当に人格が固定されるのか?」


「そう記録されている」


「じゃあ」


 俺は続ける。


「名前をつけなかったら?」


 三十三番が黙った。


「……消える?」


「違う」


「じゃあ?」


「分からない」


「珍しいな」


「俺だって全部知ってるわけじゃない」


 三十三番が少年を見る。


「ただ」


 少し間を置いて。


「名前がない存在は」


 低い声で言う。


「誰かの人格を奪うことがある」


 空気が。


 凍った。


「……誰の?」


「一番近くにいる人間」


「……」


 俺の背筋に。


 冷たいものが走る。


 ミラを見る。


 ミラも。


 俺を見ていた。


「つまり」


 ミラが言う。


「レインが名前をつけなかったら」


 三十三番が頷く。


「候補三は、レインの人格を使う可能性がある」


「……!」


 少年が。


 笑った。


「だから怖いんだよ」


 少年の赤い目が。


 俺を見つめる。


「俺は俺になりたい」


「……」


「お前を奪いたいわけじゃない」


「じゃあ」


 俺は聞く。


「どうすればいい?」


 少年は。


 少しだけ考えた。


「名前をくれ」


「それだけ?」


「それだけ」


「でも名前をつけたら、お前は何になる?」


 少年は答えなかった。


 その代わり。


 自分の胸を開くように。


 手を伸ばした。


 胸の奥から。


 小さな光が現れる。


 その光の中に。


 一つの文字が浮かんだ。


 ――32


 俺は目を見開く。


「三十二……?」


 少年が首を振る。


「違う」


「じゃあ何だ?」


「これは」


 少年は言った。


「俺が持っている番号」


「……」


「名前じゃない」


 光が消える。


 すると。


 壁に新しい文字が浮かんだ。


 ――第二段階:人格選択


 ――候補一:アルド


 ――候補二:レイン


 ――候補三:未命名


 そして。


 その下に。


 今までなかった項目が追加された。


 ――候補三:番号32


「……」


 俺は息を呑む。


 三十三番が。


 初めて顔色を変えた。


「そんなはずはない」


「何が?」


「候補三に」


 三十三番が壁を見る。


「三十二番が登録されるはずがない」


「どうして?」


「三十二番は――」


 三十三番の言葉が止まった。


「……?」


「いや」


 彼は口を閉じた。


 だが。


 遅かった。


 俺は聞いた。


「三十二番は何なんだ?」


 三十三番は答えない。


 少年が。


 代わりに笑った。


「俺だよ」


「……」


「五十年前の俺」


 そして。


 少年は。


 自分の胸を指した。


「お前が捨てた三十二番」


 その瞬間。


 地下の奥で。


 巨大な扉が開いた。


 ゴゴゴゴゴ――。


 その向こうから。


 誰かの声がした。


『――レイン。』


 俺と。


 全く同じ声。


『次は』


 一拍。


『お前が名前を捨てる番だ。』

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