第42話 レインが命令した
本が床に落ちた。
乾いた音が。
地下室に響いた。
「……」
誰も拾おうとしない。
俺も。
しばらく動けなかった。
頭の中に。
たった一文だけが残っている。
――殺すよう命令したのは、レイン。
「……俺が?」
自分の声が。
妙に遠く聞こえた。
ミラが本を拾う。
「レイン」
「触らないで」
自分でも驚くほど。
強い声が出た。
ミラの手が止まる。
「……ごめん」
「いや」
俺は頭を振る。
「ミラが悪いわけじゃない」
俺は本を見る。
「ただ……今は怖い」
ミラは何も言わなかった。
ただ。
俺の隣に立った。
それだけで。
少しだけ呼吸が戻った。
「-1番」
俺は呟く。
老人を見る。
「お前は何者だ?」
老人は答えない。
「アルドを殺したのか?」
「……」
「俺の命令で?」
老人は。
ゆっくり目を閉じた。
「そうだ」
胸が重くなる。
「本当に?」
「ああ」
「なぜ?」
「お前が頼んだからだ」
「俺は何を頼んだ?」
「アルドを殺せ」
俺は拳を握った。
「……理由は?」
老人は答えなかった。
「答えてくれ」
「お前が忘れたからだ」
「違う」
俺は首を振る。
「理由を聞いてる」
「……」
老人はしばらく黙った。
そして。
「アルドを殺さなければ」
一言ずつ。
「お前が死ぬからだ」
「……」
「お前が生きるために」
老人は言った。
「アルドを殺した」
俺は理解できなかった。
「アルドが死んだら、俺が生きられる?」
「ああ」
「どうして?」
「二人は同じ器を共有していた」
「……!」
俺は胸に手を当てる。
「まさか」
「アルドの魂が、お前の中にあったわけではない」
老人が続ける。
「もっと単純な話だ」
「何?」
「お前の身体は」
老人が俺を見る。
「アルドを生かすための器として作られていた」
「……」
「だが、お前はそれを拒否した」
俺は息を呑む。
「だから?」
「だからアルドを殺した」
「……」
「お前自身を生かすために」
俺は黙り込んだ。
ミラが小さく聞く。
「じゃあ」
老人を見る。
「レインがアルドを殺したことは、本当なの?」
「違う」
老人は即答した。
「レインは殺していない」
「……え?」
「命令しただけだ」
俺は顔を上げる。
「……」
「殺したのは俺だ」
「でも」
俺は本を見る。
「記録には『レインが殺した』みたいに……」
「記録は嘘だ」
老人が言う。
「ただし」
「ただし?」
「嘘を書いたのは俺じゃない」
地下室が静かになる。
「じゃあ誰が?」
老人は。
俺の後ろを見た。
「お前だ」
「……俺?」
「そうだ」
「俺が記録を書いた?」
「ああ」
「でも俺は――」
言葉が詰まる。
「五十年前の俺は死んだ」
「そうだ」
「じゃあ、どうやって?」
老人は答える。
「死ぬ前に書いた」
俺は本を見る。
「……」
「お前は、自分が死んだ後に」
老人が言う。
「記録が書き換わるように仕掛けた」
「なぜ?」
「それは――」
老人が止まる。
突然。
地下室の奥から。
ガチャ。
金属が動く音。
全員が振り返った。
暗闇の中。
何かが起動した。
「……まずい」
零番が呟く。
「何?」
「ここは記録を読む場所じゃない」
「じゃあ何だ?」
「記録を――」
零番が息を呑む。
「再生する場所だ」
次の瞬間。
壁一面に。
光が走った。
映像が浮かび上がる。
五十年前。
雪原。
アルドが立っている。
その前に。
少年のレイン。
そして。
-1番。
『準備はできたか』
アルドが少年に聞く。
『ああ』
少年が答える。
『本当にこれでいいのか?』
『いい』
『アルドが死ぬんだぞ』
『分かってる』
『お前も死ぬ』
『それも分かってる』
俺は息を呑む。
『じゃあ、なぜ?』
少年のレインが。
静かに答える。
『俺たちが生き残るためだ』
「……俺たち?」
映像のアルドが。
俺を見る。
そして。
言った。
『最後に一つだけ約束してくれ』
『何?』
『俺が死んだあと――』
アルドが。
少年の胸に手を当てる。
『俺を殺したことを、お前に思い出させるな』
映像が止まった。
「……」
俺は言葉を失う。
だが。
まだ終わっていなかった。
映像の隅。
誰もいなかった場所に。
もう一人の姿が映っていた。
黒い服。
番号は。
01
一番だ。
だが。
今の一番とは違う。
映像の中の「01」が。
少年のレインに近づく。
『約束する』
そして。
少年のレインに。
何かを渡した。
小さな金属片。
俺は目を凝らす。
そこには。
32
と刻まれていた。
「……三十二号」
三十二号が呟く。
「俺じゃない」
「え?」
「その時点では」
三十二号が自分の胸を見る。
「まだ俺は作られていない」
俺は映像を見る。
少年のレインが。
金属片を握る。
そして。
最後に。
誰かへ向かって言った。
『二十八年後に起こしてくれ』
映像が消える。
地下室に。
静寂が戻る。
「……」
俺は震える声で呟いた。
「二十八年後」
それは。
今。
俺が生きている年月と。
同じだった。
その瞬間。
床に落ちていた本が。
勝手に開いた。
最後のページ。
そこに。
新しい文字が浮かんだ。
――第一段階、完了。
続いて。
――レイン、起動。
さらに。
――アルド、死亡。
そして最後に。
今まで存在しなかった文字が。
ゆっくり現れる。
――第二段階、開始。
俺は息を呑む。
「第二段階……?」
地下のさらに奥から。
何かが。
目を覚ました。




