第27話 記録にない名前
壁に刻まれた文字を、俺は見つめていた。
33――レイン
意味が分からない。
いや。
分かりたくない。
「……三十三番」
三十一番が呟く。
「何だ」
三十三番本人が答える。
「お前の番号と同じだ」
「そうだな」
「じゃあ、これはお前の記録か?」
「違う」
三十三番は即答した。
「俺はこの施設を知らない」
「本当に?」
「知らない」
零番が壁に近づく。
指で文字をなぞる。
「これは古い」
「どれくらい?」
「少なくとも五十年前だ」
俺は思わず聞いた。
「じゃあ、俺は五十年前から存在してた?」
「身体はな」
「人格は?」
零番が黙る。
「……それは分からない」
「またか」
俺はため息をついた。
もう何度目だ。
俺のことなのに。
誰も答えを持っていない。
ミラが隣に来る。
「でも、少し変じゃない?」
「何が?」
「レインって名前」
「……?」
「五十年前に記録されてたんだよね?」
「ああ」
「じゃあ、今のレインって名前は、誰が付けたの?」
俺は固まった。
そうだ。
両親は俺を拾った。
そして。
俺を「レイン」と呼んだ。
では。
その名前は――
誰が決めた?
「……母さん」
俺は呟く。
「父さんと母さんが付けた」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん?」
ミラが眉をひそめる。
俺自身。
その記憶が曖昧だった。
名前を付けてもらった場面。
覚えていない。
俺が初めて「レイン」と呼ばれた瞬間も。
「……おかしい」
俺は呟いた。
三十一番がこちらを見る。
「何が?」
「俺、名前を付けられた記憶がない」
沈黙。
零番が言う。
「当然だ」
「え?」
「お前の名前は、最初から決まっていた」
「誰が決めた?」
零番は答えなかった。
代わりに。
壁の奥を見た。
「ここじゃない」
「じゃあ?」
「もっと奥だ」
「まだあるの?」
「第一製造室は、入口にすぎない」
ミラがため息をつく。
「この地下、広すぎない?」
「同感」
俺たちはさらに奥へ進んだ。
通路の壁には。
番号が並んでいる。
01。
02。
03。
そして。
27。
28。
29。
三十一番が足を止める。
「……俺たちだ」
さらに進む。
30。
31。
32。
33。
そして。
その先には。
34
「三十四番?」
ミラが言った。
「そんな番号、聞いたことない」
三十三番が険しい顔になる。
「存在しない」
「でもある」
「……」
零番が壁に触れる。
文字が浮かび上がった。
――34:未完成
その下。
別の文字。
――人格:レイン
俺の足が止まった。
「……また俺?」
誰も答えない。
零番が続けて読む。
――記憶:なし
――器:なし
――製造者:三十二号
俺は顔を上げた。
「……三十二号?」
さっきの。
アルドの「生きたい」だと名乗った存在。
「俺を作ったのは三十二号なのか?」
三十二号本人が答える。
「違う」
「じゃあ、この記録は何?」
「俺は――」
三十二号が壁を見る。
そして。
初めて困惑した顔をした。
「こんな記録、知らない」
「知らない?」
「ああ」
「でも、お前の名前が製造者になってる」
三十二号は黙り込む。
しばらくして。
「……俺が死んだ後の記録だ」
俺は息を呑む。
「死んだ後?」
「ああ」
「じゃあ誰が記録した?」
三十二号は答えない。
その代わり。
奥の扉が開いた。
ギィィィ……。
中から冷たい空気が流れてくる。
その部屋には。
一つだけ椅子があった。
そして。
椅子に座っている人物。
白髪。
痩せた身体。
顔は見えない。
「……誰?」
ミラが小声で聞く。
人物がゆっくり顔を上げる。
「やっと来たか」
声を聞いた瞬間。
俺は凍りついた。
知っている。
この声。
子供の頃。
何度も聞いた。
夢の中で。
父親に似た声。
だが。
父さんじゃない。
「……誰だ?」
老人は笑った。
「お前を最初に『レイン』と呼んだ者だ」
俺は息を呑んだ。
「五十年前――」
老人は続ける。
「お前はまだ、名前すら持っていなかった」
そして。
「私が名前を与えた」
部屋の奥で。
古い機械が動き始めた。
カン。
カン。
カン。
そして壁に。
新しい記録が浮かぶ。
――人格:レイン
――初回起動:五十年前
俺はその文字から目を逸らせなかった。
「……初回起動?」
老人が笑う。
「そうだ」
「俺は……」
喉が震える。
「五十年前に、一度生まれていた?」
老人は答えなかった。
ただ。
静かに言った。
「違う」
「……え?」
「お前は五十年前に――」
老人の目が赤く光った。
「一度、死んだんだ」




