第9話 次期部長権限
「大会についてのお話をするよ~。静粛に~」
西山先輩の間延びした声が部室に響く。
「…………」
「…………」
「あ、あれ~? 二人とも、せっかくの大会だよ~。もっとテンション上げていかないと~。なんで黙りこくってるのさ~」
「いや、西山先輩が『静粛に』って言ったからじゃないですか」
「渡辺君。的確な突っ込みお見事です」
里美さんに褒められてしまった。嬉しい。
西山先輩は「言葉って難しいな~」なんて言いながら、持っていた紙を僕たちに手渡す。
全国高等学校将棋選手権大会地方予選エントリーシート。
角ばった太文字が、僕の目に飛び込んできた。
「それじゃあ、始めるね~。言うまでもないことだけど、私たち将棋部は、毎年この大会に出てるよ~。日本将棋連盟主催の大規模なやつで、結構注目度が高いんだ~」
「テレビの取材もあるって聞きましたけど、本当ですか?」
「全国大会の上位者にはインタビューがあったりしますね。日曜日放送のN〇K将棋講座で特集されたり。地方予選ですと、せいぜい新聞の小さな記事に結果が載るくらいだったかと」
「そうそう~。さすが、去年の全国大会準優勝者~。もう勝手知ったるって感じだね~」
パチパチと拍手する西山先輩。
改めて実感する。里見さんがどれほどすごいことをやってのけたのか。窓の外から見える、本館中央に掛けられた大きな垂れ幕。里見桂花の文字が、風になびいていた。
「で、実は一つ決めなきゃいけないことがあってね~」
「決めなきゃいけないこと、ですか?」
「その紙、見てごら~ん」
促されるまま、エントリーシートに視線を落とす。
『団体戦出場者はA欄に、個人戦出場者はB欄に記入をお願いします』
最初の一文。そんな注意書きが記載されていた。
「団体戦に出るか、個人戦に出るかですね」
「里見ちゃん正解~。一ポイント獲得~」
謎のポイントが加算される。集めれば何がもらえるのかという疑問は一旦脇に置いておこう。
「あの。僕、将棋の大会に出るのって実は初めてなんですけど。個人戦はまあ分かるとして。団体戦って?」
「団体戦は、数名で一つのチームを作って出場する形式ですね。この大会では、三人で一チームの扱いです。だから、私たちでも出場できます」
「三人で……。ということは、一人が負けても、二人が勝てば次に進めるってことですか?」
「渡辺ちゃん正解~。一ポイント~」
「あ、どうも」
というか、西山先輩。今日はやたらとテンション高いな。もしかして、大会が近づいてるからワクワクしてる、とか?
「去年、私は個人戦で出場しましたけど。部長と卒業された先輩方は団体戦で出場されていましたね」
「そうだった、そうだった~。で、今年はどうする~?」
三人で団体戦に出場するか。一人一人個人戦に出場するか。これからを左右する重要な二択が目の前に迫っていた。
「ちなみに私は、どっちでもいいかな~。二人の意見を尊重するよ~」
「え? いやいや。一応、西山先輩はこの部の部長ですし。部長権限で決めるというのもありなんじゃ」
「う~ん。私、部長権限とか苦手だからな~。そういう渡辺ちゃんはどうなの~?」
「ぼ、僕ですか?」
突然の指名に困惑する僕。思わず考え込む。
初めて出場する将棋大会。しかも、かなり大規模なもの。ワクワクもあるけど、不安の方が大きい。会場の雰囲気とか、どんな人がいるとかも分からないし。なら、一人で戦う個人戦より、チームで戦う団体戦の方が気持ち的にも楽だ。それにやっぱり、里見さんと一緒に……。
「思い出すな~。里見ちゃんの大活躍~」
「部長。去年は去年。今年は今年ですよ」
二人の雑談が聞こえる。
……あ。
不意に気づく、一つの可能性。
体から熱が抜けていく感覚。恐怖心が一気に押し寄せ、眩暈のような症状が僕を襲う。血の気が引くなんて言葉があるけれど、きっとこういう時に使うんだろう。
ダメだ。
それだけは、絶対にダメだ。
叶ってはならない願望と、うごめき続ける恐怖心。その二つをどうにか心の隅に隠し、僕はいつも通りの自分を装いながら口を開いた。
「西山先輩」
「お。決まったかな~?」
「はい。僕は個人戦に出るべきだと思います」
その答えに、西山先輩は「お~」と感心するような声を漏らす。
「ちなみにどうして~?」
「団体戦もすごく魅力的ですけどね。ただ、僕としては孤軍奮闘したいといいますか。僕にとっては初めての大会なわけですから。まずは個人戦から経験した方が無難かなって」
これでいいんだ。
無意識のうちに、僕は里見さんに視線を向けていた。同じくこちらを見ていた彼女と目が合う。彼女の浮かべる怪訝な表情に、僕は少しだけたじろいでしまった。
「なるほど~。一理あるね~。じゃあ次は、里見ちゃんの意見も聞こうかな~」
「…………」
里見さんは何も答えない。ただ黙って僕を見つめている。
「里見、さん?」
「ん~? 里見ちゃん、どうかした~?」
「……私、団体戦に出たいです」
ポツリと。呟くように、彼女はそう告げた。
「わ~お。意見が割れちゃったね~」
西山先輩が楽しそうに笑う。けれど、僕はそれどころではない。
「ど、どうして? せっかくなんですから、個人戦に出ましょうよ」
「いえ。団体戦がいいですね」
「こ、個人戦なら、里見さんものびのび指せるんじゃないですか?」
「渡辺君。私、こればかりは譲れませんよ」
僕以外の人がこの場にいるから、里見さんはキャラ作りをしている。髪もちゃんと一つ結びだ。こういう時の彼女は、他人と話を合わせるのが上手い。それなのに、今日は違っていた。驚くほどの強情さ。まるで、キャラ作りを忘れているかのように。
「むむむ~。これは、私の一票が大事になってくるわけか~。けど私、本当にどっちでもいいからな~」
互いに譲らず、肝心の部長もどっちつかず。この調子じゃ、話が平行線のままだ。
「……渡辺君。先ほど、部長権限がどうとか言っていましたね」
「え? ま、まあ、言いましたけど」
部のことは部長が決める。いたって自然なことのはず。
里見さんは、「う~ん」と絶賛唸り中の西山先輩に向き直る。
「部長。大変失礼なことをお聞きしますが。部長が卒業された後、誰が次の部長となる予定でしょうか?」
「え~? そりゃ、学年的に里見ちゃんでしょ~」
「なるほど。ありがとうございます。それが聞けて安心しました」
笑みを浮かべる里見さん。次の瞬間、彼女は決定打となる一言を言い放った。
「次期部長権限を発動します」
♢♢♢
「じゃ、ちょっと早いけど、りゅうちゃんが待ってるから私は先に帰るね~。エントリーシートは顧問の先生に提出しておくよ~」
そう言い残し、西山先輩はダッシュで部室から出ていった。間延びした口調からは想像もつかない俊敏さ。りゅうちゃん、もとい糸谷先輩への愛は今日も健在だ。
取り残された僕たち。里見さんは、いつの間にかほどいていた髪をクルクルと弄びながら、無言でテーブルの上を見つめている。何とも気まずい空気。
「あの……里見さん。どうして――」
「どうして私が団体戦にこだわったのかって?」
言い切る前に、先にセリフを取られてしまった。僕は情けなく口をもごつかせる。
「教えてあげてもいいよ。けど、交換条件」
「え?」
「ナベくんが個人戦にこだわった理由をちゃんと話してくれたら、ね」
怖いくらいの真顔とともに、里見さんのまっすぐな視線が僕を突き刺した。
理由なんて……。
心の隅に隠していたものが、姿を見せようともがき始める。けれど、それを許すわけにはいかない。
「さ、さっきも言ったじゃないですか。孤軍奮闘したいからって」
「嘘」
「な……」
一瞬で切り捨てられる僕の言葉。たじろぐ僕を見て、里見さんは小さくため息をついた。
「私、ナベくんの全部を知ってるってわけじゃないけどさ。『孤軍奮闘したい』なんていうキャラじゃないと思うんだよね。しかも明らかに作り話っぽいし」
「それは……」
「仕方ない。ナベくんがごまかそうとするなら、私が代わりに言ってあげるよ」
里見さんが、僕の心の隅にあるそれを引っ張り上げる。
「私に迷惑かけたくないから、でしょ」




