第8話 好きな人いる?
「二人とも、今日はありがとうね。これ使ってさっそく将棋の勉強してみるよ」
本を大切に抱える糸谷先輩。初心者向けのものが意外と多くあって時間はかかったが、どうにか選ぶことができた。個人的にも、普段読まない本の中身をじっくり読んでいくというのは、充実した体験だった気がする。
「あとは、詰将棋の本もいくつか持って行ってください。結構勉強になりますよ」
「詰将棋っていうと、確か王様を詰ませるパズルみたいなものだったよね。せっかくだし、貸してもらおうかな」
「どうぞどうぞ」
うーん。糸谷先輩、実に素直だ。彼が将棋を覚えた暁には、ぜひとも一局お願いしたい。
「それにしても、可愛い彼女のために将棋を覚えようだなんて。とても素敵なことですね。部長があなたに惚れた理由が分かる気がします」
里見さんが告げる。全くの同意だ。僕もこういう男にならなければ。
「……志歩が自分に惚れた?」
瞬間、糸谷先輩の頭上に大きなはてなマークが浮かぶ。なんだろう。里見さんがおかしなことを言ったとは思えないのだが。
「糸谷先輩?」
「えっと。もしかして志歩はそこまで言ってないのかな? 惚れたのは、志歩からじゃなくて自分からだね。告白もそう」
「「え⁉」」
「しかも、結構な回数断られてるし」
「「ええ⁉」」
僕と里見さんの声が重なる。
「そ、そんなに驚くことかな?」
「そりゃ、驚きますよ! だって、あの西山先輩ですよ⁉ いつも『りゅうちゃん』、『りゅうちゃん』言ってて、『りゅうちゃん』のためならものすごく俊敏に動いて、しまいには『りゅうちゃん成分補給』なんて言葉を作っちゃうような西山先輩ですよ⁉」
「……しほぉ」
恥ずかしそうに両手で顔を覆う糸谷先輩。耳まで真っ赤。なんだこの人、可愛いな。
「わ、私、てっきり部長があなたに告白してカップルになったものかと」
「僕もです。西山先輩の『りゅうちゃん』好きは、入部以来見せつけられてきましたから。それこそ、砂糖吐きそうなくらい」
「あ、あはは。なんかごめん」
いや、あなたが謝ることじゃないと思いますけどね!
「といいますか。告白を何回も断られたっていうのもびっくりなんですけど」
「う、うん。自分が志歩に告白したのは中三の春だったんだけど。最初は結構冷たい対応されててね。けど、志歩が好きな気持ちは変わらなかったから、かなりの回数アタックして、夏くらいにどうにかOKもらったよ。それからまあいろいろあって、今に至るって感じかな」
「ほえー」
思わず間抜けな声が出る。衝撃的な事実に体が震える。どうやら僕たちは、西山先輩のことを理解した気になっていたらしい。
事実は小説より奇なり、ってやつだ。
♢♢♢
糸谷先輩が去り、再び二人きりになった部室。僕と里見さんは、互いに椅子の背もたれへ体を預け、どこを見るともなく視線をさまよわせていた。
「なんというか。すごいびっくりしたよ」
「はい。まさか、告白したのが西山先輩からじゃなかったなんて。つまり、あの甘々な態度は後から生まれたものってことですか」
「そう、だね」
「…………」
「…………」
流れる無言の時間。外から聞こえる吹奏楽部の演奏音が、妙に大きく感じられる。
「すごいな」
どれくらい経った頃だろう。里見さんが、ポツリと呟いた。
「すごいって、何がですか?」
「人を好きになること。告白断ってたってことは、昔の部長はあの人のことが好きじゃなかったか、もしくは無関心だったってことだよね。けど、今はあんなに大好きオーラ全開になってる」
「こっちが砂糖吐くレベルです」
「はは。まあ要するにさ。人を好きになると、自分の中の基準というか、価値観が真逆になることもあるんだなって思ってね。……どんなに悪いことでも平気でやっちゃう、みたいな」
里見さんは、どこか憂いを帯びた表情でそう告げた。窓から差し込むオレンジ色の光が、彼女の影を将棋盤の上に映し出す。
「里見……さん? えっと……」
思わず名を呼ぶが、言葉は続かない。
過剰に人の視線を気にしてキャラ作りに没頭する。けれど結局耐えきれず、素のキャラに戻って僕へと愚痴を吐き出す。今僕の目の前にいるのは、そんな女の子ではない。
僕の知らない、里見桂花だ。
「ねえ、ナベくん」
「は、はい」
「ナベくんってさ。好きな人いる?」
「……ふえ⁉」
何その質問⁉
「今、すごい声出てたけど。もしかして……」
「き、気のせいじゃないですかねー。アハハ」
「……いるんだ」
目の前にね‼
心の中で特大の叫びを上げる。危うく口をついて飛び出してしまいそうなほどに。
というか、え? これ、どういう状況? 自分の好きな人にどうして「好きな人いるの?」って聞かれてるの? あれかな? 「あんたの気持ちは分かってるんだから、はやく玉砕しに来なさい」ってやつ? ちょ⁉ 僕まだ玉砕したくないんだけど!
「そういえば、いつも部長の恋愛話にばっかり注目しちゃうけど、ナベくんのは聞いたことなかったね」
「い、いやー。聞かなくてもいいんじゃないですかね、うん」
「誰が好きなの? クラスの子?」
まずい。このままじゃ質問攻めで詰まされる。
「す、ストップです! さ、里見さん、勘違いしてますって! 僕に好きな人なんか……い、いませんよ!」
「そうなの? でも、すごく焦ってるように見えたけど」
「そ、そりゃ、いきなりの質問だったからで。里美さんだって焦るでしょ。僕がいきなり、『好きな人いるんですか?』って聞いてきたら」
「……まあ、そうだね」
小さく頷く里見さん。よし。どうにか逃げられそう。
質問攻めをされた時は、逃亡もしくは視点をずらす。押しの強い母さんのおかげで身に付いたスキルだ。まあ、相手が母さんなら、どちらも意に介さず質問攻めをしてくるんだけど。
「そ、そういえば、本が出しっぱなしになってますね。僕、片付けます」
急いで椅子から立ち上がり、机の上に放置された本たちをまとめる。それを一抱えにし、亀のようにゆっくりと戸棚に並べる。今、里見さんと顔を合わせるわけにはいかない。心の内に閉じ込めた想いを見透かされてしまいそうだから。
「そっか。ナベくん、好きな人いないんだ」
横から聞こえた声は、ほんの少し寂しそう。でも、どこか嬉しそうにも聞こえる。え? なんで?
「あ。最初ばらばらにしまわれてた初心者用の本が綺麗に並んでたら、西山先輩に疑われちゃいますかね。糸谷先輩、こっそり将棋の勉強したそうでしたし。よし。うまい具合にばらけさせよう」
しまったばかりの本を再び取り出し、適当な順番に並べ直す。なんて姑息な時間稼ぎ。けれどおかげで、どうにか気持ちも落ち着いた。
今、僕の想いに気づかれるわけにはいかない。ちゃんと今度の大会で結果を残して、自分が里見さんに近づけたと思えるまで。
本を全て並べ終える。瞬間、とある本の背表紙に目が留まる。タイトルは、『一から学ぶ、四間飛車の全て』。『四間飛車』とは、僕が普段から使っている戦法だ。
「里見さん。この本、借りていきますね。今日の夜読んで勉強したいので」
「ああ。それ、私も読んだことあるよ。おすすめ」
「里見さんのおすすめなら間違いないですね」
本を読んだところで、実力が格段に上がるなんてことはない。将棋というゲームは、指し手によってコロコロと局面が変わる。本に書かれているのと同じ局面になることなんて極少数。けれど、その極少数を知っているかどうかで、形成が大きく傾くこともあるのだ。
「よーし。これ読んで強くなるぞー」
「ふふ。ナベくんは相変わらず将棋にひたむきだね。そういうところ、好きだよ」
「…………」
「ナベくん?」
だからなんで!
そういうことを!
サラッと言うかなあ!
僕は手に持つ本を胸に押し当て、叫び出しそうになるのを必死で耐えるのだった。




