第6話 りゅうちゃん
翌日の昼休み。金城君とたわいもない会話をしていた時、教室の入り口から間延びした声が聞こえた。
「このクラスに渡辺香也って子いる~? あ、いた~」
……なんか、昨日も似たようなことがあったな。
「おい。なんで二日連続も女子に呼ばれてるんだよ。あれか? 彼女いない歴=年齢の俺に見せびらかしてんのか?」
「いや、そんなつもり一切ないけど」
「つーか。あの人も美人じゃね。俺に紹介してくれよ」
「残念。あの人、彼氏持ちだから」
「リア充爆発しろ!」
机の上にこぶしを振り下ろす金城君。もう少ししたら血涙を流しそうな勢いだ。
「渡辺ちゃ~ん。やっほ~」
そんなやり取りなどつゆ知らず。西山先輩は、手を振りながら傍へやってきた。小柄な体型のせいで、一年生に紛れても特に違和感はない。しかし、制服越しでも分かる双丘が、ものすごい存在感を――
『ナベくん!』
まずい。脳内里見さんからの警告が。よこしまな考えを排除せねば。
「に、西山先輩。どうかしました?」
ばれない程度に顔をそらして応対する。
「急にごめんね~。実は、今日家の用事で部活に行けなくてさ~。里見ちゃんにも伝えておいてもらってもいいかな~」
「そうなんですね。了解しました」
家の用事。家族とどこかへ出かけるとかだろうか。聞いてみたいけど、人様の家庭の事情に他人が深入りするのはよくないよね。
「あ~あ。用事がなかったら、りゅうちゃんと放課後デートできたのにな~」
「ま、まあ、そんな日もありますよ」
「だね~。素直に諦め……そうだ~。今日デートできない分、多めにりゅうちゃん成分補給させてもらお~。じゃあ渡辺ちゃん、私急いで戻るね~。ばいば~い」
ダッシュで教室を出ていく西山先輩。相変わらず、彼氏がらみになると行動が素早い。というか、りゅうちゃん成分って何?
「…………」
「…………」
後に残された僕と金城君は、無言で先輩の出ていった扉を見つめる。
そして数秒後。
「「リア充爆発しろ‼」」
二人の声が重なった。
♢♢♢
放課後。いつものように部室で里見さんと将棋を指す。
「うーん。今回は上手く進行できてると思ったんですけどねー。いつの間にか攻めが遅れちゃったというか」
腕組みをしながら盤を見下ろす。僕の王様を捕えようとする里見さんの駒たち。もう逃げ場はどこにもない。対して、里見さんの王様は安全もいいところ。いったいどこでこんなに差がついてしまったのやら。
「気になったところといえば、やっぱりあそこかな」
そう言って、里見さんは駒をスムーズに並べ替えていく。数秒後、盤上には一つの局面ができあがっていた。
あー。なんか、中盤にこんな場面があったような。というか里見さん、よく覚えてるなあ。
つくづく彼女が将棋の天才なんだと自覚させられる。対局が終わった後、正確に一つ一つの局面を思い出すなんて。僕にはまだまだできそうにない。
「ここでさ、ナベくんは角で私の香車を取ったよね。どうして?」
「え? そりゃ、取れる駒は取っておいた方がいいかなと思いまして。攻め駒も不足してましたし」
「うん。攻め駒を増やすことは大事だね。けど、見てごらん。香車を取ったことで、ナベくんの角が私の王様から離れた所に行っちゃってる」
「……本当だ」
局面を見直す。僕の角がいるのは、盤上の右端。対して里見さんの王様がいるのは、盤上の左端。全くの真逆だ。
「せっかく中央で陣取って私の王様を睨んでた角なのに。それが遠くに行っちゃったら、攻めが遅れるのも自然だよ。丁度、攻め合いのタイミングだったし。ここは駒得じゃなくて……そうだな。例えば、ここの歩を進めて、王様の頭を狙っていくとか」
「な、なるほど。気づきませんでした」
攻め合いのタイミングでは、駒得よりも攻めの手を考える、か。覚えておこう。
僕が頷いていると、里見さんは再び駒を並べ直し、別の局面を作る。できたのは、僕が投了する数手前の状態だ。
「この終盤の局面もそうだね。どっちが先に相手を詰ませることができるかっていう時にも、駒得より攻めを考えた方がいいよ」
「確かにこの時は、飛車がただで手に入るって喜んじゃってました。その後一瞬で負けちゃいましたけど」
「はは。まあ、終盤だけどあえて攻めを捨てて駒を取っていくことが重要な局面もあったりはするけどね」
「え? そうなんですか?」
それは一体どんな状況だろう。気になって僕が前のめりになった瞬間。背後で「コンコンコン」と部室の扉を叩く音がした。次いで聞こえたのは、「すいませーん」という男性の声。
「え……誰?」
将棋部に来る男性なんて、僕か顧問の先生くらい。声の感じ的に先生ではなさそう。もしかして、部活見学か何かだろうか。けれど、もう新学期が始まってから一か月以上たっている。今更新入部員なんて……いや、金城君の所属するサッカー部に来た女子マネも、かなり後から入部したんだ。遅れてくる新入部員というのもない話じゃない。
「……渡辺君。応対、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「相変わらず素早いキャラ作りなことで。とりあえず、了解しました」
椅子から立ち上がり、「はーい」と返事をする僕。入り口に近づき、ゆっくり扉を開けて外をのぞく。
「どなたですかー?」
「あ。どうも」
扉の向こうにいたのは、一人の男子生徒。スラリと高い背丈。ベリーショートの黒髪。眼鏡をかけた端正な顔立ちが、真面目な印象を与える。彼は緊張した様子で眼鏡のブリッジをいじり、僕に軽く頭を下げた。
「えっと。ここ、将棋部で合ってるかな?」
「そ、そうですけど」
「よかった。実は自分、初心者向けの将棋の本を貸してほしくて。将棋部って本の貸し出しとかしてる?」
「……へ?」
本の貸し出し。予想もしなかった申し出に、僕の口から間抜けな声が漏れる。
「あ。もしできないなら大丈夫だから」
「いや。本の貸し出しは一応できるんですけど。さすがに部外者には……」
部室の戸棚には、将棋の本がまあまあな数並んでいる。すでに絶版となった古いものから、去年出た比較的新しいものまで。毎年、余った部費の扱い方に困って、結局本を買うことになるかららしい。
「そっか。それもそうだよね」
僕の言葉に、男子生徒は肩を落とす。顔に浮かぶシュンとした表情。まるで、餌をくれなかった子犬のような落ち込み方だ。庇護欲をくすぐられるとはこのことか。この人、明らかに僕より年上っぽいけど。
「あの。失礼ですが、お名前は?」
「まだ言ってなかったね。自分は、三年の糸谷龍之介だよ。君は?」
「僕は一年の渡辺香也で……ん?」
何だろう、この違和感。今されたのは、いたって普通の自己紹介。けれど、まるで大事なことを見落としているような。重要な事実が目の前にあるかのような。
「渡辺君。どなたがいらっしゃってるんですか?」
すぐ背後で聞こえる里見さんの声。きっと、困惑する僕の様子が気になったのだろう。彼女は扉の向こうにいる糸谷先輩の姿を認めると、軽く頭を下げた。
「初めまして。将棋部へようこそおいでくださいました。私は、二年の里見桂花です」
「ああ、あの有名な。三年の糸谷龍之介です。どうぞよろしく」
「……龍之介?」
少しの間の後、首をかしげる里見さん。
え? 里見さんが誰かを下の名前で呼んでるの初めて見たんだけど。も、もしかして、すごく親しい仲で……いや、さっき「初めまして」って言ってたし。もう何が何だか……。
困惑する僕をよそに、里見さんは糸谷先輩のことをじっと見つめる。そうしてポツリと一言。
「ひょっとして、『りゅうちゃん』でしょうか?」
……あ。
「まさか、学校の有名人からその呼び方をされるとは思ってなかったな」
そう言って、糸谷先輩は頬をかく。
間違いない! この人、西山先輩の彼氏さんだ!




