↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
5/30

第5話 あーん

 昼休み。将棋鵜の部室。


「ううううう! もう嫌だあああああ!」


「相変わらずよく叫びますね」


「叫ばないとやってられないの!」


 テーブルに突っ伏す里見(さとみ)さん。ほどかれた髪が弱々しく垂れ下がっている。


「で、今回は何があったんですか?」


 わざわざこうして呼び出すほどなんだ。よっぽどのことがあったに違いない。


「……指名されるの」


「はい?」


「私! 絶対! 授業中に先生から指名されるの!」


 ……ちょっと意味が分からない。


 里見さんは、頬をこれでもかと膨らませている。まるで食料をため込んだハムスターみたいだ。


「もう少し具体的に教えてください」


「あのね。授業でさ、一回はあるじゃん。先生が、『これ分かる奴いるかー?』って聞く流れ」


「ああ。確かにありますね」


「私のクラス、そういう時に手挙げる人いなくてさ。仕方なく先生が何人かに聞いていくの。けど、皆『知りません』とか『分かりません』とかばっかり」


「ほうほう」


「で、毎回三人目か四人目くらいに私が指名されるの! 毎回だよ毎回! 現国も、数Ⅱも、地学も、世界史も、英語も! 化学の先生なんて、生徒に答えさせるのが好きな人だからさ! 今日の私、化学で何回発表したと思う⁉ 十回だよ! あれ⁉ 十一回だっけ⁉」


「い、いや。回数までは知りませんけど」


 まあ、先生の気持ちも分かる。質問しても答えてくれない。じゃあ、答えてくれそうな人に質問しよう。そんなところだろうか。里見さんは『すごい人』なポジションであるわけだし、こういった場合に選ばれるのは自然な流れだ。


「ううう。授業中は周りの人たちと話すことないから、話し方のキャラ作りしなくてもいい時間だったはずなのに。こんなんじゃ気が抜けないよ。前なんて、油断してたらいきなり指名されて、思わず素の話し方が出ちゃいそうになったし」


 難儀な……。


「あ、じゃあこういうのはどうですか? 指名されたとき、しばらく『分かりません』って言い続けるんですよ。繰り返してれば、先生も里見さんに答えさせようって思わなくなるんじゃ」


「それはダメ。『里見(さとみ)桂花《けいか》はすごいんだぞ』のイメージが崩れるから。分からないなら、分からないなりにちゃんと答える」


「えええ」


 本当に難儀な……。


 どうしてこの人は周りの目をここまで気にするのだろう。学校の看板を背負っている有名人だからって、これはあまりに異常すぎる。


『私……まあいろいろありまして。昔からずっとしっかり者を演じてたんです』


 一か月前の出来事が脳裏をよぎる。彼女の告げた「いろいろ」という単語。僕はそれを、「周囲から期待の眼差しを向けられているから」、「人付き合いを円滑にしたいから」くらいの認識でしか捉えていない。けれど、今の彼女を見ると、もっと根深いものがありそうな気がする。踏み込んで聞いていいものだろうか。だが下手をすれば、里見さんを傷つけかねない。


 そもそも、キャラ作り自体は全国大会に出る前からもやってたんだっけ。全国大会はキャラ作りを加速させる要素だっただけで、それをするようになった最初のきっかけがあるはず。里見さんと初めて会ったあの日なら、多少踏み込んだ質問も――


 ――いや、違うな。里見さんを傷つけないようにって決めたのは、自分だ。今更その時の決意を無下にするのはダメな気がする。


 踏み込むのは、よっぽどの時だけにしよう。まあ、そんな時が来るとは思えないけど。


「……はあ。ご飯食べよ」


 考え込む僕をよそに、里見さんは覇気のない声でそう告げた。テーブルの隅に置いてあった巾着袋を手繰り寄せ、紐をほどく。現れたのは、可愛らしい桃色のわっぱ型弁当箱。


「里見さんって、お弁当派だったんですね」


「うん。そっちの方が経済的だからね。ナベくんは?」


「僕はもっぱら購買パン派です」


 持ってきたビニール袋の中から、購買で買った三つのパンを取り出す。コロッケパン。牛肉コロッケパン。肉じゃがコロッケパン。うん。おいしそう。


「さすが男の子、よく食べるね。……種類、偏りすぎじゃない?」


「コロッケ好きなので」


 コロッケはいいぞー。一つあればご飯二杯は余裕。


「……揚げ物大変だけど、今度作ってみようかな」


「里見さん? 何か言いました?」


「いや、別に」


 里見さんがお弁当箱を開く。海苔巻きおにぎり、卵焼き、ブロッコリー、プチトマト。カラフルな食材たちが顔をのぞかせる。彼女は「いただきます」を言った後、卵焼きを口に運んだ。そうして、うんうんと満足そうに頷く。


 さて、僕も食べないと。


 フィルムを外し、パンにかぶりつく。うん。やっぱりコロッケはいいものだ。


「……そういえば、さっきからずっと思ってたんだけど」


「はい?」


「今日のナベくん、ちょっと変じゃない?」


 ギクリ!


「べ、別に僕はいつも通りですが」


「なんか、妙に距離が遠いというか。こっち見たかと思えば、すぐに顔がそれるというか」


 里見さんの不満げな視線が僕を突き刺す。


 分かっている。自分が若干挙動不審な感じになっていることくらい。原因は、金城(きんじょう)君。彼が『狭い部室。美人の先輩と二人きり。何も起こらないはずがなく』を繰り返し言うものだから、ちょっぴり意識してしまっているんだ。戻ったら文句言っておこう。


「か、勘違いじゃないですかねー。あはは。そ、そんなことより! 里見さん、その卵焼きすっごくおいしそうですね!」


「なんて露骨な……まあいっか。一切れ食べる?」


「え⁉ い、いいんですか⁉ じゃあ遠慮なく……あ。お箸どうしよう」


 パンを食べている僕が自分用のお箸を持っているわけがなく。しかも、この部室に割り箸なんて都合のいいものは用意されていない。となれば、手で掴んで……。


 僕が思案していると、不意に里見さんがニヤリと口角を上げた。そして、自らの箸で卵焼きを掴み――


「はい。あーん」


 漫画のような甘い言葉とともに、僕の方へとそれを突き出した。


「さ、里見さん?」


「あーーん」


 さらに突き出される卵焼き。薄い油をまとったそれが、蛍光灯の光に照らされて艶めいている。


 狭い部室。美人の先輩と二人きり。何も起こらないなんてことはなかった。


「えっと。あ、そうだ。ここにパンを包んでたフィルムがあるので、そこに落としてくだされば」


「あーーーん!」


「て、手で掴んで」


「あーーーーん‼」


 これ、やらないと許してくれないやつだ。


 顔が熱い。心臓の鼓動がうるさい。卵焼き越しに見える里見さんのニヤケ顔は、なぜだか無性に輝いている。イキイキなんて言葉がぴったり。さっきまでの落ち込みようは何だったのだろう。もしかして、僕の幻覚だったのかな?


 まあとにかく。


 今は、腹をくくるしかなさそうだ。


「あ、あー、ん」


 言わなくてもいい一言とともに、卵焼きの端っこを唇でつまむ。間違っても箸に触れることがあってはならない。間接キスを気にするなんて子供っぽい? シャラップ! 相手が里見さんなら話は別なの!


 どうにかミッション達成。卵焼きを口の中へ流し入れ、ムグムグと咀嚼する。


「ナベくん、どうかな?」


「……これ、すっごくおいしいです!」


 ふわふわの卵。ほんのり漂うごま油の香り。そして、食欲をそそる砂糖の甘味。


 完璧と言って差し支えない卵焼きが、口内を幸せで満たしていた。


「ふふ。よかった。今日のは特に上手くできてさ。誰かに感想聞きたいなーって思ってたんだー」


「上手くできた? もしかしてこれ、里見さんが作ったんですか⁉」


「そうだよ。お弁当は全部自作。朝早起きするのは結構つらいけどね」


 ほんのり朱の差した頬をかく里見さん。


「自作って。すごいですね。ぜひうちの母に卵焼きの作り方をご享受していただきたい」


 母さんの卵焼きはすごいぞ。塩っ辛い時と無味な時が半々。まるでくじを引くかのごとし。本人曰く、「適当に作ってるからに決まってるでしょ」とのこと。堂々と言わないでほしい。


「お、お母さんに? そ、それはすごく緊張するね」


 なぜだか頬の朱色が濃くなったような気がする。いや、そんなことよりこの卵焼きのおいしさよ。ああ、もう一切れ食べたい。


 親ではなく、里見さん自身がお弁当を作っているのはなぜなのか。そんな疑問を浮かべる余地がないほど、僕は感動に打ち震えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。