第5話 あーん
昼休み。将棋鵜の部室。
「ううううう! もう嫌だあああああ!」
「相変わらずよく叫びますね」
「叫ばないとやってられないの!」
テーブルに突っ伏す里見さん。ほどかれた髪が弱々しく垂れ下がっている。
「で、今回は何があったんですか?」
わざわざこうして呼び出すほどなんだ。よっぽどのことがあったに違いない。
「……指名されるの」
「はい?」
「私! 絶対! 授業中に先生から指名されるの!」
……ちょっと意味が分からない。
里見さんは、頬をこれでもかと膨らませている。まるで食料をため込んだハムスターみたいだ。
「もう少し具体的に教えてください」
「あのね。授業でさ、一回はあるじゃん。先生が、『これ分かる奴いるかー?』って聞く流れ」
「ああ。確かにありますね」
「私のクラス、そういう時に手挙げる人いなくてさ。仕方なく先生が何人かに聞いていくの。けど、皆『知りません』とか『分かりません』とかばっかり」
「ほうほう」
「で、毎回三人目か四人目くらいに私が指名されるの! 毎回だよ毎回! 現国も、数Ⅱも、地学も、世界史も、英語も! 化学の先生なんて、生徒に答えさせるのが好きな人だからさ! 今日の私、化学で何回発表したと思う⁉ 十回だよ! あれ⁉ 十一回だっけ⁉」
「い、いや。回数までは知りませんけど」
まあ、先生の気持ちも分かる。質問しても答えてくれない。じゃあ、答えてくれそうな人に質問しよう。そんなところだろうか。里見さんは『すごい人』なポジションであるわけだし、こういった場合に選ばれるのは自然な流れだ。
「ううう。授業中は周りの人たちと話すことないから、話し方のキャラ作りしなくてもいい時間だったはずなのに。こんなんじゃ気が抜けないよ。前なんて、油断してたらいきなり指名されて、思わず素の話し方が出ちゃいそうになったし」
難儀な……。
「あ、じゃあこういうのはどうですか? 指名されたとき、しばらく『分かりません』って言い続けるんですよ。繰り返してれば、先生も里見さんに答えさせようって思わなくなるんじゃ」
「それはダメ。『里見桂花はすごいんだぞ』のイメージが崩れるから。分からないなら、分からないなりにちゃんと答える」
「えええ」
本当に難儀な……。
どうしてこの人は周りの目をここまで気にするのだろう。学校の看板を背負っている有名人だからって、これはあまりに異常すぎる。
『私……まあいろいろありまして。昔からずっとしっかり者を演じてたんです』
一か月前の出来事が脳裏をよぎる。彼女の告げた「いろいろ」という単語。僕はそれを、「周囲から期待の眼差しを向けられているから」、「人付き合いを円滑にしたいから」くらいの認識でしか捉えていない。けれど、今の彼女を見ると、もっと根深いものがありそうな気がする。踏み込んで聞いていいものだろうか。だが下手をすれば、里見さんを傷つけかねない。
そもそも、キャラ作り自体は全国大会に出る前からもやってたんだっけ。全国大会はキャラ作りを加速させる要素だっただけで、それをするようになった最初のきっかけがあるはず。里見さんと初めて会ったあの日なら、多少踏み込んだ質問も――
――いや、違うな。里見さんを傷つけないようにって決めたのは、自分だ。今更その時の決意を無下にするのはダメな気がする。
踏み込むのは、よっぽどの時だけにしよう。まあ、そんな時が来るとは思えないけど。
「……はあ。ご飯食べよ」
考え込む僕をよそに、里見さんは覇気のない声でそう告げた。テーブルの隅に置いてあった巾着袋を手繰り寄せ、紐をほどく。現れたのは、可愛らしい桃色のわっぱ型弁当箱。
「里見さんって、お弁当派だったんですね」
「うん。そっちの方が経済的だからね。ナベくんは?」
「僕はもっぱら購買パン派です」
持ってきたビニール袋の中から、購買で買った三つのパンを取り出す。コロッケパン。牛肉コロッケパン。肉じゃがコロッケパン。うん。おいしそう。
「さすが男の子、よく食べるね。……種類、偏りすぎじゃない?」
「コロッケ好きなので」
コロッケはいいぞー。一つあればご飯二杯は余裕。
「……揚げ物大変だけど、今度作ってみようかな」
「里見さん? 何か言いました?」
「いや、別に」
里見さんがお弁当箱を開く。海苔巻きおにぎり、卵焼き、ブロッコリー、プチトマト。カラフルな食材たちが顔をのぞかせる。彼女は「いただきます」を言った後、卵焼きを口に運んだ。そうして、うんうんと満足そうに頷く。
さて、僕も食べないと。
フィルムを外し、パンにかぶりつく。うん。やっぱりコロッケはいいものだ。
「……そういえば、さっきからずっと思ってたんだけど」
「はい?」
「今日のナベくん、ちょっと変じゃない?」
ギクリ!
「べ、別に僕はいつも通りですが」
「なんか、妙に距離が遠いというか。こっち見たかと思えば、すぐに顔がそれるというか」
里見さんの不満げな視線が僕を突き刺す。
分かっている。自分が若干挙動不審な感じになっていることくらい。原因は、金城君。彼が『狭い部室。美人の先輩と二人きり。何も起こらないはずがなく』を繰り返し言うものだから、ちょっぴり意識してしまっているんだ。戻ったら文句言っておこう。
「か、勘違いじゃないですかねー。あはは。そ、そんなことより! 里見さん、その卵焼きすっごくおいしそうですね!」
「なんて露骨な……まあいっか。一切れ食べる?」
「え⁉ い、いいんですか⁉ じゃあ遠慮なく……あ。お箸どうしよう」
パンを食べている僕が自分用のお箸を持っているわけがなく。しかも、この部室に割り箸なんて都合のいいものは用意されていない。となれば、手で掴んで……。
僕が思案していると、不意に里見さんがニヤリと口角を上げた。そして、自らの箸で卵焼きを掴み――
「はい。あーん」
漫画のような甘い言葉とともに、僕の方へとそれを突き出した。
「さ、里見さん?」
「あーーん」
さらに突き出される卵焼き。薄い油をまとったそれが、蛍光灯の光に照らされて艶めいている。
狭い部室。美人の先輩と二人きり。何も起こらないなんてことはなかった。
「えっと。あ、そうだ。ここにパンを包んでたフィルムがあるので、そこに落としてくだされば」
「あーーーん!」
「て、手で掴んで」
「あーーーーん‼」
これ、やらないと許してくれないやつだ。
顔が熱い。心臓の鼓動がうるさい。卵焼き越しに見える里見さんのニヤケ顔は、なぜだか無性に輝いている。イキイキなんて言葉がぴったり。さっきまでの落ち込みようは何だったのだろう。もしかして、僕の幻覚だったのかな?
まあとにかく。
今は、腹をくくるしかなさそうだ。
「あ、あー、ん」
言わなくてもいい一言とともに、卵焼きの端っこを唇でつまむ。間違っても箸に触れることがあってはならない。間接キスを気にするなんて子供っぽい? シャラップ! 相手が里見さんなら話は別なの!
どうにかミッション達成。卵焼きを口の中へ流し入れ、ムグムグと咀嚼する。
「ナベくん、どうかな?」
「……これ、すっごくおいしいです!」
ふわふわの卵。ほんのり漂うごま油の香り。そして、食欲をそそる砂糖の甘味。
完璧と言って差し支えない卵焼きが、口内を幸せで満たしていた。
「ふふ。よかった。今日のは特に上手くできてさ。誰かに感想聞きたいなーって思ってたんだー」
「上手くできた? もしかしてこれ、里見さんが作ったんですか⁉」
「そうだよ。お弁当は全部自作。朝早起きするのは結構つらいけどね」
ほんのり朱の差した頬をかく里見さん。
「自作って。すごいですね。ぜひうちの母に卵焼きの作り方をご享受していただきたい」
母さんの卵焼きはすごいぞ。塩っ辛い時と無味な時が半々。まるでくじを引くかのごとし。本人曰く、「適当に作ってるからに決まってるでしょ」とのこと。堂々と言わないでほしい。
「お、お母さんに? そ、それはすごく緊張するね」
なぜだか頬の朱色が濃くなったような気がする。いや、そんなことよりこの卵焼きのおいしさよ。ああ、もう一切れ食べたい。
親ではなく、里見さん自身がお弁当を作っているのはなぜなのか。そんな疑問を浮かべる余地がないほど、僕は感動に打ち震えていた。




