第4話 殺意的な視線が
「よし。今日はここまで。委員長、号令」
「起立。礼。ありがとうございました」
授業が終わると同時、ガヤガヤとクラス中に会話の花が咲く。僕は教科書とノートを片付けながら、小さくため息をついた。
数学、やっぱり苦手だなあ。
なぜ中学では『数学』だったものが、高校になると『数学Ⅰ』と『数学A』に分かれるのか。まるで意味が分からない。しかも、だ。里見さんや西山先輩から聞いた話だと、『数学Ⅱ』、『数学B』、『数学Ⅲ』なんてものもあるらしい。え? 何? そんなに分けて何が楽しいの? 中学の頃から数学が苦手な僕を殺しに来てるの?
「なあなあ渡辺」
僕が数学への恨み節を心の中で吐いていた時、不意に隣から声が聞こえた。顔を向けると、そこには一人の男子生徒。
特徴的なツンツン頭。目つきは鋭く、慣れていないとちょっぴり怖い。けれど実は結構優しい性格で、性別を問わず交友関係が広い。そんな彼の名は、金城天彦。隣の席のよしみで仲良くなった男友達。
「どうしたの? 金城君」
「渡辺って、確か将棋部だったよな。あの有名な先輩がいるところ」
「そうだけど」
「いいよなー。毎日美人の先輩と一緒なんて。俺のいるサッカー部なんか、女っ気皆無だし。どうにかならんもんかねえ」
ガタガタと椅子を振り子のように動かす金城君。彼はしばしば、こんなふうに突拍子もない話題を振ってくる。多分、ただの暇つぶしだ。けれど、その暇つぶしのおかげで、僕たちは親しくなれたわけで。自分から積極的に話しかけるタイプではない僕は、こっそり感謝してたりする。
「あれ? 前言ってなかった? サッカー部に可愛い女子マネがやってきたって。金城君、すっごい喜んでたよね。ことあるごとにガッツポーズするくらい」
「……その子、彼氏ができたからって昨日退部した」
「…………」
「…………」
き、気まずすぎる!
二週間前に見た、金城君のキラキラした姿が脳裏をよぎる。あの時は素直に「よかったね」と言って祝福したけれど。さすがに展開が早すぎやしませんかねえ。
「お、俺のことは一旦置いとこうぜ。渡辺はどうなんだよ。あの先輩と付き合いたいとか思わないのか?」
「べ、別にそんなことは……」
ごまかしつつ、少しだけ顔をそらす。
「えー。面白くねえなあ。『狭い部室。美人の先輩と二人きり。何も起こらないはずがなく』みたいな展開はないのかよ」
「あるわけないでしょ」
いやまあ、何かが起こっていることは事実だけれど。里見さんのキャラ崩壊を拝めたりもするけれど。それを面白がって暴露してしまうほど、僕はバカな人間じゃない。
「ま、だよな。そんな漫画みたいな展開、そうそう起こらねえか。部室で女の子とイチャイチャとか。校門で待ち合わせして手繋ぎながら帰るとか。休み時間に好きな子がわざわざ会いに――」
「失礼します。ここに渡辺香也君はいらっしゃいますか?」
……え?
聞き慣れた声がした。僕は慌てて教室の入り口に視線を向ける。
一つに結ばれた長い黒髪。大人びていて整った顔立ち。女優のようにスレンダーな体型。
「里見さん⁉」
今まさに話題に上がっていた彼女が立っていた。
「あ、渡辺君。少しお時間よろしいですか? 皆さん、お邪魔しますね」
そう断りを入れ、教室に入ってくる里見さん。ピンと伸ばされた背が不自然なほど美しい。教室内に咲き誇っていた会話の花は一気にしぼみ、クラスメイト達のひそひそ話が聞こえてくる。
『有名人キター!』
『あの人、やっぱり美人だよなあ』
『彼氏とかいるんかな? 俺、立候補したいんだけど』
『ちょっと! お姉様と恋人になるのは私よ! 殿方の出る幕はないわ!』
……なんか、すごい会話が聞こえてきたような。いや、きっと気のせいだ。気のせいに違いない。
「渡辺君、どうかしました?」
「え? あ、いえ」
僕が周りに気を取られている隙に、里見さんは目の前までやってきていた。その顔には、相変わらず作ったような笑みを浮かべている。毎度のことながら違和感がすごい。
「は、初めまして、先輩! 俺、金城天彦って言います!」
弾かれたように椅子から立ち上がった金城君が、里見さんへ挨拶する。人付き合い強者の彼も、里見さんの登場にはタジタジらしい。
「あら。これはご丁寧にどうも。里見桂花です」
「わ、渡辺とは大親友で! いつも仲良くしてます!」
なんと。僕と金城君との関係が、ただの男友達から大親友に進化した。恐るべし、里見さんパワー。
「あら、そうなんですか。仲がいいのは微笑ましいことですね。これからも彼をよろしくお願いします」
「う、うっす!」
「さて、渡辺君」
運動部特有のはきはきした挨拶を見事に受け流し、里見さんは僕に向き直る。
「ど、どうしました?」
「実は、少しお話したいことがありまして。今日の昼休み、部室まで来てもらってもよろしいでしょうか?」
里見さんがそう告げると同時。『きゃー』と小さな黄色い悲鳴が聞こえた。
『え? 何々? 告白?』
『すごい! 漫画みたい!』
『リア充爆発しろ!』
『ああ、お姉様。どうして私じゃなくあんな殿方と……アイツ、ユルサナイ』
あれ? なんだか殺意的な視線が。
「いかがですか? 渡辺君」
「あー。えっと」
この空気、どうしたものやら。僕が思案していると、里見さんが言葉を続けた。
「もしかして、何か別の用事でもありました?」
何の変哲もない質問。ただこちらの予定を確認しているだけ。けれど、僕には分かった。彼女の声が、少しだけ震えていることに。
わけあり……かな。
小さく息を吐く。このまま単に「分かりました」と言うのは簡単。けれどそうなると、興味を持った誰かさんに、僕たちの話を盗み聞きされかねない。最悪の場合、里見さんのキャラ崩壊が知られてしまう。彼女のためにも、ここは多少ごまかした方がよさそうだ。
「昼休みですね。特に予定はないので大丈夫ですよ。もしかしてあれですか? 以前話題に出た、部費の使い方を決めようっていう」
「……ええ、そうです。お金のことをあまり引き延ばすのもよくないでしょうし。早めに話し合っておいて損はないでしょう」
さすが里見さん。こういう時の察しが早い。彼女の言葉に、どこからか『なーんだ』とつまらなそうな声が聞こえた。さっきから僕に向けられていた殺意的な視線も和らいだような気がする。……和らいでいてください。
「長くなると思いますので、お昼ご飯は持ってきてくださいね。では、私は帰ります。皆さん、大変お邪魔しました」
こちらに注目するクラスメイト達へ向き直り、里見さんはペコリと頭を下げた。そのまま、素早い足取りで教室を後にする。次いで訪れる一瞬の静寂。だがすぐに、所々で会話の花が咲き始めた。教室内の空気が、里見さんが来る前の形を取り戻していく。
「いやー。マジでびっくりしたわ」
疲労困憊といった様子で、金城君がうなだれる。
「めちゃくちゃ挙動不審だったね」
「いや、仕方ねーだろ。学校の有名人が急にやって来たらそうなるって」
「それでもちゃんと挨拶できるのはさすがだよ」
そういうところ、本当にすごいと思う。さすが、人付き合い強者。
「すげーのは渡辺の方だって。なんであんな冷静なんだよ。あの人と話すの、緊張しねーの?」
「もちろん最初は緊張したけどね。今は全然。里見さんとは部活でいつも一緒だから」
「……狭い部室。美人の先輩と二人きり。何も起こらないはずがなく」
「だから起きないって」
どうしてそういう展開に持っていこうとするかなあ。
さて。とりあえず、昼休みは部室に行って何やら話をすることに決定。ややこしい内容じゃないといいけど。




