第3話 もう少しだけ
キーンコーンカーンコーン。
校内にのんびりとしたチャイム音が鳴り響く。つられるように、僕は部室の壁掛け時計を見上げた。時刻は十八時二十分。いつの間にか完全下校十分前だ。この部室にいると、どうにも時の流れが速くなっているような気がしてならない。
「二人とも、今日はお疲れ様~。私、今日はちょっと早く出なきゃならなくてさ~。最後のカギ閉め、お願いしてもいいかな~?」
「西山先輩、何か用事でもあるんですか?」
「あはは~。いや~、どうだろうね~」
あからさまに笑ってごまかそうとする先輩。そんなことされるとめちゃくちゃ気になるんですが。
「渡辺君、野暮はいけませんよ。きっと、愛しの彼がらみでしょうから」
「ちょ! 里見ちゃ~ん。それは言わないお約束だよ~」
先輩は、頬を赤らめながらポカポカと里見さんの肩を叩く。対して里見さんは、痛がるそぶりも見せずなされるがまま。むしろ若干嬉しそう。なんてほほえましいやり取りだろう。この光景を写真に撮って額縁に収めたいほど。写真のタイトルは……うん。『尊いの極み』で決定だ。
「あ、こんなことしてる場合じゃないや~。じゃ、二人とも、さらば~」
間延びした口調からは考えられないほど素早い動きで、先輩は教室を出ていった。
「……もしかして、彼氏さんが校門で待ってるから急いでた、とかですかね?」
「それもあるだろうけど。たぶん、放課後デートの時間を少しでも多く確保したいって感じじゃないかな?」
いつの間にやらほどいた髪を、クルクルと弄ぶ里見さん。
なるほど。彼女いない歴=年齢の僕には難しい問題だ。リア充爆発しろ。
「はあ。とりあえず、カギ閉めて僕たちも帰りましょうか」
「…………」
「里見さん?」
一体どうしたのだろう。何も返答が来ない。
僕が首をかしげていると、髪を弄ぶのをやめた里見さんがポツリと呟いた。
「もう少しだけ」
「え?」
「もう少しだけ、一緒にいたい、な」
ドキッ!
心臓が大きく跳ねる。体温が急激に上昇するのを感じる。脳が焼かれるって、たぶんこういうことだ。
僕を魅了する大きな瞳。注がれる切なげな視線。思わずそういう意味であることを期待してしまう。
けれど、すぐに気がついた。
「……まあ、少しくらい校舎から出るのが遅れても何も言われませんよね。しばらくここでのんびりしましょうか」
「ありがとね、ナベくん」
「いえいえ」
部室から出れば、僕以外の人の目が里見さんに向けられる。彼女はまた髪を結び、不自然な笑みを貼り付けるのだろう。丁寧な言葉で話し、愚痴を吐くことすらないのだろう。それが苦しいことだと分かっていながら。
だったら少しくらい、楽になれる時間があってもいいじゃないか。
「そういえば、全然関係ない話ですけど。里見さんって、西山先輩の彼氏さんに会ったことってあるんですか?」
少し暗くなってしまった空気をどうにか変えたくて、無理に明るい声を出す。自分でも呆れるほどわざとらしい。
一瞬キョトンとした表情を浮かべる里見さん。だが、すぐに僕の意図を察したのか、「ふふっ」と軽い笑みを漏らした。
「会ったことないねー。この学校の三年生っていうのは聞いたことあるけど。なにせ学年が違うと交流が少ないから。ナベくんは?」
「僕も同じく、です。どんな人なんでしょうねー」
「案外、部長の尻に敷かれてたりして」
たわいもない話に花を咲かせる。彼女の浮かべるありのままの笑みに、僕もつられて微笑んでしまうのだった。
♢♢♢
「ただいまー」
「う、ううう。きょうや~。おがえり~」
「……あのさ。リビングに入った瞬間、母親の泣き顔を見せられる息子の気持ち考えたことある?」
「だって! このドラマがあんまりにも感動的だったから!」
テレビをビシビシと指差し、涙ながらに訴える母さん。ドラマ狂も大概にしていただきたい。
丁度ドラマが終わったところなのか、画面には次回予告が流れている。それを見終わると、母さんはテレビを消してソファーから立ち上がった。うーんと背筋を伸ばし、目元を一拭い。
「あ。ご飯まだできてないけど問題ないわよね? お腹すいてないでしょ? すいてないって言いなさい」
「何その命令。まあ、すいてないけど」
「おっけー。じゃ、今から作りますかー。三十分後くらいにはできると思うわ。たぶん。おそらく」
ここまで信用できない三十分がかつてあっただろうか。
「別にいいよ。僕、部屋で将棋してるから」
「ほえー。あんた、本当に将棋狂になっちゃったねー」
「ドラマ狂の母さんに言われたくない」
「あんたが将棋始めたのって、中二の春くらいからよね。あの頃も熱心にやってるなーとは思ったけど。高校生になってから熱心度が三倍くらい上がってるんじゃない?」
「……まあね」
短い返答とともに母さんから顔をそらす。そんな僕の様子を見て、母さんがニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「おやおやおや? まさかあれかしら? 将棋部に好きな人でもいて、その人にいいところ見せたいから頑張ってる、とか?」
ギクリ!
「そ、そんなわけないじゃん!」
「ほう。その反応、ますます怪しい」
「怪しくないから! とにかく! 僕、将棋してるからね!」
「はいはい。いやー。我が息子も、そういう年齢かー。嬉しいやら寂しいやら」
面白がる母さんの言葉を背中で受け止めながらリビングを出る。そのまま自室に入り、勢いよく扉を閉める。
「母さんったら……」
普段は適当で鈍感なところも多いのに、鋭いところは妙に鋭い。これはあの人個人の特徴なのだろうか。それとも、母としての特徴なのだろうか。
「さて、と」
気を取り直し、勉強机においてあるパソコンの電源をつける。デスクトップに表示されたアイコンをクリックし、将棋アプリを起動する。
「よし。三十分あるから、十分切れ負け一局くらいはできるかな?」
画面に表示された『対局開始』のボタンを押す。少しの間を置き、対戦相手とマッチング。持ち時間はお互い十分。それが切れたら負け。お互いサクサクと駒を進め、陣形を形成していく。
『将棋部に好きな人でもいて、その人にいいところ見せたいから頑張ってる、とか?』
不意に思い出す、母さんの言葉。半分は正解といったところだろうか。
目まぐるしく盤上の駒たちが移動する。取って取られて。攻めて守ってが繰り返される。そうしてどうにか僕が優勢を築き上げたと同時。持ち時間が切れ、僕の敗北が決定した。画面に、『敗北』の青文字がでかでかと表示される。
「うぐっ。もう少しだったのに」
椅子の背もたれに体を預け、敗北の悔しさを噛みしめる。
こんなんじゃだめだ。
こんなんじゃ、一か月後の大会で無様に負けるだけ。
絶対、大会でいい成績を残すんだ。
いい成績を残して、里見さんに少しでも近づいて。
それから――
「もっと頑張ろう。気持ち、ちゃんと伝えるって決めたんだから」
背筋を伸ばし、再度PCに向き直る。対局開始のボタンを押し、次の対局を始める。
うーん。この局面、どんどん攻めていった方がいいのかな? 王様の囲いもばっちりだし、これ以上は変化させなくてもいいかな。よし。じゃあまずは飛車を隣の筋に移動させてと。
「香也ー! ご飯できたわよー!」
やば。もう三十分たったんだ。けど、まだ対局が……。
「あー! けど、少しくらいなら遅れて来てもいいわよー! 好きな人のために頑張りなさいなー!」
ちょっと待って! それ、今行かないと絶対後でからかわれて……ああ、もう! なるようになれ!
マウスを動かし、駒を操作する。母さんの言葉は一旦無視。目の前の将棋に全力を傾ける。
そうして十五分後。
「香也。あんたの好きな子ってどんな子? 同い年? それとも年上? 母さん、部活見学とか行ってもいいかしら? そうだ。父さんが仕事から帰ってきたら、今日のこと報告しないと。もしかしたら将来のお嫁さん候補と会えるかもしれないんだし、母さんと父さん、二人で見学に……」
「絶対やめて!」
いろんな意味で精神をすり減らす僕の姿がそこにはあった。




