最終話 喜んで!
「…………」
「…………」
「で、ですよねー」
頬がこれでもかと痙攣している。笑顔を作ったつもりだけれど、絶対できてない。
ああ、はい。知ってました。知ってましたよ。だって僕、将棋弱いし。里見さんに釣り合ってないし。今回の一件だって、僕、すっごく無鉄砲なお騒がせ野郎だったし。え? ありがとうって言われたじゃんって? いやいや、知ってます? 世の中には社交辞令というものがあるんですよ。はは。ははははは。
「す、すいません。い、今のはその……わ、忘れてください」
「え? な、ナベくん?」
「ぼ、僕、いい加減帰りますね。おっと、もうこんな時間。今日の晩御飯は何かなー? コロッケかなー? あ。コロッケの揚がる音が家の方から聞こえた気が。じゃあ里見さん、また明日」
どうしようもない恥かしさとともに、僕は立ち上がろうとした。
けれど――
「す、ストップ!」
里見さんが僕の腕をつかむ。そのまま強い力で引っ張られる。とっさのことに僕はバランスを崩し、情けなくその場でしりもちをついた。
「いてて」
「あ、ご、ごめん。な、ナベくん、大丈夫?」
「へ、平気ですよ、これくらい」
かっこ悪いなあ、僕。
「と、ところで、どうしました?」
無理矢理に口角を上げ、明るい口調で尋ねる。自分が振られたことなんて気にしてませんよアピールだ。
ええ。実際気にしてませんよ。まったく。ぜんぜん。これっぽっちも。
「あの……さ。ナベくん、勘違いしてるでしょ」
「え? 勘違い?」
一体どういうこと? 僕が、里見さんに告白できる立場だと勘違いしてたことを言ってるのかな?
「な、なんか、妙なこと考えてる気配がするけど、違うからね。いや、私の言い方が悪かったせいか。お、お断りしますって言うのは、断るけどそうじゃない、みたいなやつで……」
「?」
「だ、だからあ」
里見さんが、潤んだ瞳で僕を見つめる。ほどかれた髪をクルクルと指で弄びながら、照れくさそうに告げる。
「わ、私たち、け、結婚を前提に、つ、付き合ってるんでしょ。な、なら、『付き合ってください』だと後退してるというか。も、もっと別の……先に進む……あの……」
…………あ。
言葉の意味は、すぐに理解できた。
僕は小さく咳ばらいをし、再び居住まいを正す。つられるように、里見さんも背筋を伸ばす。そうしてお互いの赤らんだ顔を見つめ合う。
「里見桂花さん」
「……はい」
この日感じたドキドキを、僕は一生忘れることはないだろう。
「僕と……結婚してください!」
「喜んで!」
気がつくと、彼女の顔が目の前にあって。
温かくて柔らかい何かが、そっと唇に触れた。
♢♢♢
あれから数日が過ぎた。
「ううう」
「んー。最後の粘りはよかったけど。やっぱりまだ穴熊攻略は苦手そうだね」
「は、はい……」
放課後。将棋部の部室。僕は今、全国大会に向けてのスパルタ指導を受けている。
「さて。対局も終わったし、次は詰将棋の早解きね。問題を見て、一分以内に必ず答えを言うこと。一分を越えたら罰ゲーム」
「き、厳しい」
「何言ってんの。私的にはまだまだ甘い方だよ。それに、スパルタ指導してほしいって言ったのはナベくんでしょ」
腕組みとともに僕を見つめる彼女。窓から入ってくる若葉風が、彼女の黒髪を揺らめかせる。
数日前に交わした結婚の約束。そこから結婚式やら同棲やら忙しく……なんてことはなかった。訪れたのは、拍子抜けするほど平凡な日常。まあ当たり前だ。僕はまだ十六歳で、彼女は十七歳。まだ結婚できる年齢じゃないのだから。周囲にも、僕たちの関係は隠したままだ。
いたって普通。いたっていつも通り。変わったことなんて何も……いや、ないことはないか。
「け、桂花さん。す、少しだけ休憩を……」
下の名前で彼女を呼ぶ。実はまだ結構恥ずかしい。桂花さんには内緒だけど、自宅でこっそり名前呼びの練習をしていたりする。
ちなみにだが、桂花さんの「ナベくん」呼びは変わっていない。本人曰く、この呼び方が気に入ってるからとのことだ。嬉しいような、気恥しいような。
「ナベくんならまだまだいける。じゃあ、詰将棋始めるよ」
そう言って、桂花さんは傍に置いていた本を開き、僕の前へ。描かれていたのは、複雑な詰将棋の問題。
「よーい。スタート」
「え、えっと……あ、あれ? これは……ダメか。じゃあ、この手順は……」
頭の中で駒を動かす。考えれば考えるほどドツボにはまる。結果、何も答えられないまま時間が過ぎる。
「はい、一分。正解は、2二飛車成、同玉、2三銀、1三玉、1二銀成、同玉、2三金までの七手詰め」
「あ……そっか。銀捨てればよかったんだ。気づかなかった」
答えを聞いてみれば、そこまで難しい問題じゃなかった。冷静な時なら解けたかもしれないが、やっぱり時間制限というのは恐ろしい。思考がぐちゃぐちゃになる。
「というわけで、ナベくんには罰ゲームです」
「お、お手柔らかにお願いします」
というか、罰ゲームって何されるんだろう? なんだかんだで受ける流れになっちゃったけど。い、痛いやつじゃないといいなあ。
ガチャリ。
僕が不安に思っていると、不意に部室の扉が開いた。入ってきたのは、日直で遅れると言っていた西山先輩。
「部長様の帰還だよ~」
「お疲れ様です、西山先輩。結構遅かったですね」
「まあね~。日直の仕事は終わってたけど、後から先生にあれこれ押し付けられちゃってさ~。二人は対局してたの~?」
「あ、いえ。今は――」
「今は渡辺君の特訓で、詰将棋の早解きをしていました。部長もいかがですか?」
髪を一つ結びにした桂花さんが、僕の代わりに答える。本当に、いつの間に髪型を変えているんだろう。以前聞いたときは濁されてしまったけど、そろそろ本格的にその謎を解明したいところだ。
「詰将棋か~。う~ん」
「あれ? もしかして西山先輩、詰将棋苦手ですか?」
僕が尋ねると、彼女は恥ずかしそうに頷いた。
「ま、まあ、私にも苦手なものがあってね~。前の大会で負けちゃったのも、終盤力に難があるからというか~」
「なるほど。でしたら部長。全国大会に向けて、ぜひご一緒に詰将棋を」
「そ、そうですよ! 桂……里見さんの言う通りです! ぜひ!」
被害者は多い方がいい! 絶対!
「ふ、二人とも、なんか怖いよ~」
僕と桂花さんの圧に押されたのか、西山先輩が上半身をのけぞらせる。制服越しでも分かる双丘がこれでもかと強調され、大変見事な――
「……ワタナベクン?」
あ、はい。自重します。
「え、え~と。そ、そうだ~。りゅうちゃんが、ちょっと用事あるから来てほしいって言ってたんだ~。つ、詰将棋はまた今度ってことで~」
そう言い残し、西山先輩は慌てて部室から出て行った。いや、逃げたと言った方が正しいだろうか。せっかく被害者仲間ができたと思ったのに。
西山先輩が去り、少しの静寂が流れる。チラリと桂花さんに視線を送ると、案の定その髪はほどかれていた。
「……さて、ナベくん。部長がいなくなったところで、罰ゲームといきましょう」
「は、はい」
部長の登場で、罰ゲームがうやむやになっていますように。数秒前に抱いたそんな願望は、一瞬で打ち砕かれた。
ああ、もう。なるようになれ。
僕が覚悟を固めると同時、桂花さんが小さく咳払いをした。その頬には、ほんのりと朱が差している。まるで何かを恥ずかしがっているかのよう。
「――って」
……ん?
「今、何と?」
「――って、言って」
「……すいません。もう一回」
声が小さすぎてよく分からない。どうにか言葉を聞き取ろうと、少しだけ体を前にやる。
桂花さんは、僕の顔を潤んだ瞳で見つめながら、先ほどよりも少しだけ大きな声でこう告げた。
「『好き』って、言ってほしい、です」
…………これ、ずるくない?
「え、えっと」
顔の温度が急上昇する。視線がグルグル周囲をさまよう。まさかいきなりそんなことを言われるなんて、いったい誰が予想できただろう。
というか。桂花さん、僕が詰将棋解けないの分かってて罰ゲームとか言ってたのかな? むむむ。なんか悔しい。これじゃまるで、いいように弄ばれてるみたいだ。
……よし。
「桂花さん」
「う、うん」
桂花さんと視線が交わる。宝石のように輝く瞳に吸い込まれそうになりながら、僕は小さく深呼吸。そうして、彼女に小さな仕返しを決行する。
「愛してますよ」
「……ふえ⁉」
ワタワタと慌て始める桂花さん。
ふっふっふ。僕もただやられてるだけじゃないのですよ。ふっふっふっふっふ…………やばい。恥ずかしくて死にそう。
仕返しの反動は僕の想像をはるかに超えていた。心臓はもう爆発寸前。けどまあ、今のうちに慣れておかないと。これからもっと言うことになるんだし。
これから僕たちにはどんな未来が待っているんだろう。僕も桂花さんも、まだまだ子ども。思い通りにいかないことだって、チャンスを逃すことだって、きっと数えきれないほどあるはずだ。
それでも僕は、桂花さんと。髪をほどいたありのままの彼女と、一緒に歩いていきたい。
「な、ナベくん。わ、私も、愛してる、よ」
恥ずかしそうに告げる桂花さん。その顔に浮かんでいたのは、僕の愛してやまない、無防備で綺麗な笑みだった。




