第0話 ナベくん(from 里見桂花)
「将棋部の見学へようこそ。さっそくですが、私と一局いかがですか?」
「は、はい。ぜひお願いします、先輩」
新学期始まってすぐの部活動見学。私は初めて彼と将棋を指した。
彼の将棋はすごくひたむきで。敗勢が分かっているのに、ちっとも諦めようとしないで。その熱意に感心させられたことをよく覚えている。
部長は風邪で休んでいたから、部室には二人きり。本来なら、新入生である彼を気持ちよく勝たせるなんて気遣いをした方がよかったのだろうけど。私にはできなかった。心がすでに限界だったから。
自分が自分でない毎日。無数に刺さる好奇の視線。出口の見えない迷路の中を、延々歩き続けているような気分。お母さんに心配をさせたくないから、助けなんて呼べるはずがない。
彼が見学なんて来なかったら、私は一人で羽を伸ばせたのに。そんなことを考えてしまう自分が、嫌で嫌で仕方がなかった。
そうしていつの間にか対局が終了。「負けました」という言葉とともに、彼が頭を下げた。つられるように、私も軽く頭を下げる。
さて、この後はどうしよう。感想戦が終わったら、上手く誘導して帰ってもらおうか。でもさすがにそれは失礼だし……。
私が悩み始めた時、彼が怪訝な表情とともに口を開いた。
「先輩、なんだか無理してませんか?」
「……え?」
訳が分からなかった。幻聴ではないかとさえ思った。
固まる私を見て、彼は何を考えたのだろう。ワタワタと取り繕うように言い訳を始めた。
「い、いや、あの。せ、先輩、すごく苦しそうだったと言いますか。何か嫌なことでもあったのかな、とか。体調悪いけど無理してここにいるのかな、みたいな」
「…………」
「あ、あはは。な、何言ってるんでしょうね、僕。き、気にしないでください。僕が勝手にそう思っちゃっただけなので」
「…………」
言葉が出てこなかった。いくら心が限界だとはいえ、私のキャラ作りは完ぺきだったはず。自分が無理をしているなんて、今まで誰にだって疑われたことはない。
それなのに、彼は。
彼だけは。
気づいて、くれたんだ……。
瞬間、視界が滲む。先ほどまではっきり見えていたはずの彼の顔がぼやける。
「あ……れ……?」
気がつくと、私の目からは大量の涙が溢れ出していた。
「せ、先輩⁉ ど、どうしたんですか⁉」
「なん、で? グスッ。ご、ごめんなさい。ヒッグ。こんな。こんな、つもりじゃ。……うう、ううううう」
彼が見ている前なのに。キャラ作りを忘れた私は、まるで小さな子供のようにエグエグと泣き続けた。
♢♢♢
そうしてどれくらいの時間が経った頃だろう。
「ごめんなさい。せっかくの部活動見学を台無しにしてしまって」
彼に向かって頭を下げる。擦りすぎた瞼が痛い。涙は収まってくれたが、このまま何もしないではいられない。ごまかさないと。ごまかして、どうにかこの場をやり過ごさないと。
小さく鼻をすすり、私は口を開く。
「私……まあいろいろありまして。昔からずっとしっかり者を演じてたんです」
え?
「しっかり者、ですか?」
「はい。言葉遣いも、所作も、人付き合いも。他にもたくさん。しっかり者じゃないといけないって、自分を押し殺してきました」
なんで?
「もしかして、さっき苦しそうだったのは……」
「自分では上手く隠せているつもりだったのですが。限界、だったのかもしれません。去年、私が全国大会で準優勝してから、周囲の目がこれまで以上に向けられていましたし」
自分で自分に驚く。彼とは今日会ったばかり。全くの初対面。それなのに私は、誰にも言ってこなかった真実を語ってしまっていた。
「あなたに『無理してませんか?』って言われて。なんだか気持ちがぐちゃぐちゃになってしまって。……泣いてしまい、ました」
「…………」
「本当に、ごめんなさい」
再び頭を下げる。恥かしさと情けなさで消えいりそうだ。彼は今何を考えているんだろう。変な人だと思われただろうか。もし、周りに言いふらされたりなんてしたら。最悪の光景を想像してしまい、体が小さく震えた。
少しの沈黙が流れる。窓の外から聞こえる吹奏楽部の練習音が、妙に大きく感じられる。
「だ、大丈夫です!」
突然、彼が叫んだ。目を見開く私に、彼は、テーブルの上へ身を乗り出しながら告げる。
「僕、今日のことずっと黙ってますから! 言いふらしたりしませんから! 先輩のこと、絶対に傷つけたりしませんから! だから先輩! 明日また、今日の対局のリベンジさせてください! お願いします!」
瞬間、不思議な温かさが私の心を包む。私を見つめるその瞳は、これでもかというほどまっすぐで。嘘をついていないのだと、一瞬で理解できた。
「……そういえば、あなたの名前をちゃんと聞いてませんでしたね」
「あ。わ、渡辺です。渡辺、香也」
「渡辺君……か」
そっか。明日も、来てくれるんだ。
キャラ作りを始めて五年。初めてだった。誰かと一緒にいられることを、喜んだのは。
――プチッ。
「ありがとうね。渡辺君」
作り笑いじゃない、ありのままの笑顔とともに。いつの間にか砕けていた口調で、私は彼への感謝を告げた。
「……ふへ⁉」
彼の肩がビクリと跳ねる。さまよい始める視線。窓から差し込む夕日のせいか、頬にはかすかな朱が差している。
「どうかした?」
「あ、あの……い、いや。な、何でもないですよ。あ、あはは。と、ところで先輩。か、髪が……」
「ん? あ、髪ゴム」
私の足元には、ちぎれた髪ゴムが転がっていた。
♢♢♢
「はあ……」
彼が帰った後の部室は、いつも以上にガランとしていた。
「やっちゃったなあ」
まさか、自分が泣いてしまうなんて思ってもみなかった。キャラ作りをやめるのはできそうにないけれど、これからはもっと心に余裕を持たないと。
……渡辺君の前なら、キャラ作らなくてもいいのかな?
ふとそんな考えが脳裏をよぎる。キャラ作りしていることを教えてしまった。泣いているところも見られてしまった。これ以上、何を取り繕うことがあるだろうか。
というか私、なんでいろいろ話しちゃったんだろ。
いつもの自分であれば、キャラ作りのことを公言するなんてマネは絶対にしないはず。なのにあの時、無意識のうちに私はそれを彼へと打ち明けてしまっていた。初めて自分の気持ちに気づいてくれた人だからだろうか。それとも、将棋にひたむきだった彼の人柄に、好感を覚えていたからだろうか。理由ははっきり分からない。けれど、不思議と後悔の気持ちはなかった。
……なんか、ずるいな。私ばっかり恥ずかしいところ見られちゃったの。
本当に今日の私はどうしてしまったのやら。気づいた時、私は彼への小さな仕返しを決め込んでいた。
明日も来るって言ってたし、何か。こう……ドギマギさせたい。傷つける、とかじゃなくて。ちょっぴり恥ずかしがっちゃうような………。
駒の並んだ将棋盤の向こう。つい先ほどまで彼が座っていた椅子を見つめながら考える。
あ。呼び方を変えてみるっていうのはどう? 急なことだし、ドギマギしてくれそう。えっと。今日は「渡辺君」だったし、明日は――
「ナベくん」
ポツリと、その名が口から漏れた。
「……は、恥ずかしい」
顔が赤くなる。心臓の鼓動が早くなる。彼より先に自分が恥ずかしがってどうするんだ。
でも、全然嫌じゃない。
「ナベくん。ナベくん、かあ」
駒が乱れるのも気にせず、私は盤上にうなだれる。そんな私の目の前。横に並んだ香車と桂馬の二枚が、なぜだか一際輝いて見えた。
皆様、ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。『美人で凛々しい学校の有名人。人前でキャラ作りをし続ける彼女は、なぜか僕にだけはいろんなものをさらけ出してくるんですが!』はこれにて完結となります。
今回の連載、一喜一憂ありましたが。一番嬉しかったことは、とある方からレビューをいただけたことですね。これまで、なろう様でレビューをいただけたことがなかったので。恥ずかしながら「ひええ」と謎の声を漏らしてしまいました(笑)
さて、本作は完結しましたが、機会があれば続きを書きたいななんて考えてます。次は西山先輩主役がいいなー。連載中に保管できなかったところを書きつつ、彼女を成長させる、みたいな。まあ、いつになるかは分かりませんが。
繰り返しにはなりますが、ここまで本当にありがとうございました。今後とも、タケモティーというしがない一作家をどうかよろしくお願いします!




