第28話 ああ、やっぱり
「……お母さん、元気そうですね」
小さく呟く。
最初に見たときは、体調が悪そうという印象を抱いたが。今は全くの真逆だ。もしかして、初見のあれは幻? ふと浮かんだバカな考えを、里見さんが否定した。
「あんな元気なお母さん見たの、小学生以来だよ」
玄関扉を見つめる彼女。いつの間にか、一つ結びだった髪がほどけている。お母さんがいなくなって僕と二人きりになったからなんだろうけど。相変わらずの切り替えの早さに、思わず笑みがこぼれる。
「まあ、いろいろありましたけど。とりあえず、解決ってことでいいですかね?」
「…………」
「里見さん?」
「……ナベくん。私は怒っています」
向けられた鋭い視線。「うっ」と情けない声を漏らし、僕は顔を下に向ける。
「連絡もなく勝手に来て、説明もなく家に上がりこんで。私がどれだけ混乱させられたか分かる? それに、無理矢理家の中に入ってくナベくん、ちょっと怖かった」
「あう」
「もしあの人が、最初から君に暴力振るおうとしてたら? もしお母さんが、あの人を追い出してくれなかったら? 分かってる? ナベくん、自分が思ってる以上に危ないことしてたんだよ」
「あうう」
「本当に、もう。次からは、自分のやろうとしてることをよく見つめ直してから行動しなさい」
「は、はい……すいませんでした」
もう反論のしようもない。自分がどれだけ無鉄砲なことをしていたか、改めて自覚させられる。嘘をついたことも含めて、彼女から嫌われたんじゃないかという恐怖心に襲われる。
「反省した?」
「も、もちろんです。な、なんなら、お母さんみたく一発ビンタをしてくださっても」
「……とりあえず、こっち見て」
え? もしかして、本当にビンタされる? いや、自分で言ったことだし、ここは甘んじて受け入れないと。
恐る恐る顔を上げる。
「……あ」
ドクンと、心臓が大きく跳ねた。
「ナベくん、ありがとうね」
軽く下がった目尻。ほんのり朱の差した頬。柔らかく緩んだ口元。
僕の大好きな、無防備な笑顔がそこにはあった。
「里見、さん?」
「私のために、あの人と戦ってくれて。私が殴られそうになった時、かばってくれて。さっきはいろいろ言っちゃったけど……その……すっごく、すっごく嬉しかった」
「べ、別に、そんな大したことは……お父さんを追い出せたのも、お母さんのおかげですし」
「大したこと、あるよ。ナベくんがいてくれたから、私も、お母さんも救われたの。ナベくんがいてくれたから、私が私でいられるの」
彼女は続けて言葉を紡ぐ。 あまりにも無防備で、美しい笑顔とともに。
「本当に、ありがとう」
「っ!」
ドクドク、ドクドク。心臓の音がうるさい。胸が張り裂けそうなほどに苦しい。けれど、全然嫌じゃない。ずっと浸っていたいような。ずっと続いてほしいような。心地よい、苦しみ。
ああ、やっぱり。
僕、里見さんのことが、好きだ。
「さて。お母さんはなんか外に行っちゃったし、これからどうしようか? せっかくだし、晩御飯を――」
「里見さん。大事なお話があります」
「……ふえ?」
気の抜けた返事。居住まいを正す僕を見て、里見さんが二度ほど瞬きをする。その後、何かに思い当たったのか、弾かれたように背筋を伸ばす。
「実はずっと、言いたかったことがあるんです」
「い、言いたかったこと?」
「はい。本当はすぐにでも打ち明けたかったんですけど。大会でいい成績を残して、里見さんに近づいたと思えるまではって、ずっと隠してきました」
「そ、それって……」
里見さんが、潤んだ瞳で僕を見つめる。そこに期待の二文字が浮かんでいるように見えるのは、僕のわがままな願望なのかもしれない。
「里見桂花さん!」
「ひゃい!」
これまで感じたことのないほど大きな緊張とともに、僕は、心の金庫の扉を開いた。
「僕、初めて会った時からあなたのことが好きでした! 付き合ってください!」
室内の空気が揺れる。それは時間とともにゆっくりと収まり、後には静寂だけが残る。
里見さんは、何も言わずに視線をさまよわせていた。上へ、下へ、左へ、右へ、再び上へ。そうして幾度となく視線が巡り、最後にまっすぐ前へと向けられる。
「ナベ、くん」
「は、はい」
顔が熱い。心臓が張り裂けそうだ。けれど、そんなこと今はどうだっていい。一体これから何を言われるんだろう。僕と里見さんはどうなってしまうんだろう。期待と不安を胸に、彼女からの返事を待つ。
「あの、ね…………」
あまりにも長い数秒の後。まるで自分の気持ちを確かめるかのように。頬を真っ赤に染めた里見さんが、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「お断りします」




