第25話 壁殴り代行業者はどこにいるんだ
「西山先輩。糸谷先輩。講習、お疲れ様です」
「どうもどうも~」
「こんにちは、渡辺君」
どこか嬉しそうな二人。まあ当然か。受験勉強のための講習なんて、つまらないことこの上ないはず。それが終わってようやく好きな人と一緒の時間。そんなの、誰だって嬉しいに決まってる。
「お、お疲れ様です。先輩方」
「君は確か、渡辺ちゃんの友達の……金城ちゃん、だったかな~?」
「お、覚えてくれてたんですか⁉ よっしゃー! フォーウ!」
満面の笑みとともに両腕ガッツポーズを決める金城君。美人の先輩に覚えられてて喜ぶのは分かるけれど、加減というものがあるわけで。ああ、ほら。糸谷先輩が若干引いちゃってる。
もしここに里見さんがいたら、どんな反応してたんだろ。思わずそんなことを考えてしまい、ズキリと胸が痛くなった。
まあとりあえず、だ。ここは友達として、上手い具合に話をそらさねば。
「そ、そういえば。昨日、糸谷先輩は西山先輩を家に呼んだんでしたよね。優勝のサプライズとかしたんですか?」
「ん、そうだね。一応、小さいケーキを作って一緒に食べたよ」
「ケーキを……作った?」
一瞬聞き間違いかと思った。買ったではなく、作った。まさか、お菓子作りもできる人だったとは。いや、糸谷先輩のことだ。可愛い彼女のために、将棋以外にもいろいろ陰で努力しているのかもしれない。
「りゅうちゃんのケーキ、すごくおいしかったんだ~。毎日でも食べたいくらい~」
「はは。初心者向けの簡単なやつだけどね」
照れをごまかすように眼鏡のブリッジを弄ぶ糸谷先輩。顔をそらしてはいるが、口元がもにょついているのが丸分かりだ。この人、相変わらず可愛いところあるな。
「謙遜しないの~。けど、昨日は本当にいい一日だったな~。大会で優勝できたし~。りゅうちゃんがケーキ作ってくれたし~。いろいろ盛り上がって、何回も口移し――」
「志歩、ストップ!」
糸谷先輩が、彼女の口を慌てて押さえる。
最初は驚いた様子で手をどけようとしていた西山先輩だったが、数秒後、電池が切れたようにその動きが止まった。次の瞬間聞こえてきたのは、「スー、ハー、スー、ハー」という大きな呼吸音。彼女の目はトロンとしていて、傍から見ればなにかヤバい薬でもきめているかのよう。
西山先輩、昔、『りゅうちゃん成分』みたいなこと言ってたっけ。
ふとそんなことを思い出した。
「……なあ、渡辺。俺、体の内側からみるみる湧き上がってくるものがあるんだ。ああ、そっか。これが『リア充への恨み』ってやつか。すげえ。すげえよ。今なら何でもできそうな気がする」
「金城君、落ち着いて。闇落ち主人公みたいにならないで」
気持ちは分かる。でも、さすがにここでは自重していただきたい。本当に気持ちは分かるけど。
「っていうか、何あの二人。ラブラブを通り越してラッブラッブじゃねえか。実はすでに学生結婚してて、私たちもう家族なんですとか言われても疑う自信ねえんだけど。クソッ。壁殴り代行業者はどこにいるんだ」
金城君が、僕だけに聞こえる悪態をつく。先ほどの満面の笑みはどこへやら。顔を引きつらせながら、恨みのこもった目をしている。
「ま、まあまあ」
これ、たぶん明日の朝も引きずってるんだろうな。にしても、学生結婚って。さすがにそこまでは……
…………
…………
「あ」
気づいた。
気づいてしまった。
その、わずかすぎる突破口に。
頭を殴られたような感覚が僕を襲う。大会で入玉の可能性に気づいた時以上の衝撃。無意識のうちに体に力が入り、全身がブルブルと震え始める。
「渡辺?」
金城君の声が聞こえた。けれど、反応できなかった。それどころではなかったから。
本人に電話で聞く? いや、だめだ。教えてくれるわけがない。となれば……。
「西山先輩」
「ぷはっ! ん~、堪能した~。で、渡辺ちゃん、どうしたの~? なんか、顔が怖いよ~」
彼氏の手から解放された西山先輩が、不思議そうに首をかしげる。
僕は、体の震えそのままに、すがる思いで彼女に尋ねた。
「先輩って、里見さんの家の住所、知ってます?」
「……ほえ?」
ポカンと口を開く西山先輩。突拍子もなさすぎる質問に困惑しているのが分かる。けれど、僕の様子から何かを感じ取ってくれたのだろう。すぐに真剣な表情を浮かべ、「う~ん」と唸り声を上げ始めた。
「さすがに分かんないな~。そもそも里見ちゃん、プライベートのことあんまり教えてくれないし~」
「……ですよね」
「あ、でも~。伊角先生なら知ってるんじゃないかな~。あの人、里見ちゃんのクラス担任だから~」
それだ!
「ありがとうございます! じゃあ、また明日!」
困惑する三人をよそに、僕は校舎に向かって走り出していた。
♢♢♢
「おお、渡辺」
僕が校舎に入ってしばらく行ったところで、偶然にも伊角先生と出くわした。彼の手にはジャラジャラと音を立てる鍵の束。大方、生徒達を追い出す見回り中なのだろう。
「伊角先生。一つ、お願いがあります」
「ん? もしかして、教室に忘れ物したから鍵開けてくださいってか? 別にいいが、一度見回った場所にまた行くのは面倒だからな。お前に鍵渡してやるから一人で――」
「里見さんの家の住所、教えてください」
伊角先生の言葉を遮り、そう口にする。周りに人がいなくてよかった。学校の有名人である彼女の住所を先生から聞き出そうとするなんて、不審以外の何物でもないだろうから。
突然の出来事に、目を大きく見開く伊角先生。数秒の沈黙が流れた後、彼は小さくため息を吐いた。
「渡辺。さすがの俺でも、それはできねえよ。大した事情もないのに、教師が生徒の個人情報をバラすなんざ、大問題になる案件だ」
「それは分かってます。けど、そこをどうにか」
「もちろん、相手に許可取ったうえでならいいんだけどな。めんどくせえけど、見回り終わったら里美の家に電話してやろうか? 同じ部の渡辺ってやつが住所知りたがってるから教えてもいいかって」
「……ダメです」
「は?」
「理由は言えませんけど、それじゃダメなんです」
連絡されてしまえば、必ず「どうして?」という話になる。他人である僕が、里見さんたち家族の話し合いに参加しに行こうとしている。そんなの、向こうが認めるわけがない。
「理由は言えないって……。はあ。じゃあますます教えられねえよ。お前が里見の家に行って犯罪じみたことをする可能性だってあるわけだからな。俺は、やるときはやる男だ。教師として、生徒の命を守る義務がある」
正論を言われて足がすくむ。自分がどれだけ無謀なことをしようとしていたか、改めて自覚する。けれど、どうにかしないといけない。話し合いが行われるのは今日。明日また説得を、じゃ遅いんだ。
「お願いします、伊角先生。絶対に犯罪なんてしませんから。里見さんの家の住所、教えてください」
勢いよく頭を下げる。薄暗い廊下の床を真正面に捉える。
「無理だ」
けれど返ってきたのは、拒絶の言葉だった。
伊角先生が僕の横を通り過ぎる。ジャラジャラと耳障りな音が、どんどん遠ざかっていく。
頭を下げたまま動けずにいる僕。瞬間、教室の床が歪み始めた。目に涙がたまっているのだと理解するのに、さほど時間はかからなかった。
「……ヒック」
小さな嗚咽が口から漏れる。
無力な自分が嫌だった。何もできない自分が嫌だった。里見さんが部室を出る時、すぐにこの突破口に気づいていれば。最後のチャンスすらものにできなかった自分が、これ以上ないほど嫌だった。
だが、今更後悔してももう遅い。話し合いはもう始まっているのだろうか。里見さんは、きっとこれまで以上の我慢を重ねているに違いない。そうして……。
「あー……まずったなあ」
不意に背後から声が聞こえた。目元を拭って振り返ると、そこには先ほど以上に顔をしかめた伊角先生の姿があった。
「お。丁度いいところに渡辺がいるじゃねえか。ちっとばかし頼まれごとをしてほしいんだが」
「た、頼まれごと?」
僕のお願いは断ったくせに。そんな文句が口をついて出る寸前、伊角先生がこう告げた。
「俺、今日里見に重要なプリント渡すの忘れたんだわ。親御さんの返事いるやつ。渡辺、同じ部のよしみで届けに行ってくれないか」
「…………え?」
それって、つまり……。
「ち。やるときはやる男のくせに情けねえなあ。ちょっと待ってろ。すぐに職員室にプリント取りに行ってくっから。あ。届けるの面倒くせえって逃げるのはなしだぞ」
「逃げません、よ」
「ならいい。向こうへの連絡は……もし繋がらなかったらあれだから別にいいか」
頭をガジガジとかきながら、伊角先生は職員室の方に歩いていった。
その後。住所を殴り書きしたメモ用紙とともに、僕は一枚のプリントを手渡された。
『地域清掃ボランティア募集のお知らせ』
今日の朝、僕のクラスでも配布された、全く重要ではないプリントだった。




