第15話 穴熊
「あ~。会場、見えてきたよ~。去年ぶりだ~」
僕らの住む町から電車を乗り継いで約四十分。都心部にある某新聞社。その三階にある大会議室が、今日の大会の会場だ。
「おー、おー。西山は今日も元気だな。俺は眠くて仕方ねえってのに」
テンションの高い西山先輩に対し、けだるげに欠伸をする男性が一人。僕ら将棋部の顧問、伊角聡太先生だ。
彼は、普段の部活には滅多に顔を出さない。それに、授業の受け持ちは二、三年の現代文だから、一年生の僕は会う機会も少ない。正直、彼がどんな先生なのかは未知数だ。話によれば、『やるときはやる男』とのことだけれど……。
「伊角先生、いつにもまして眠そうですね。教職の大変さは理解しているつもりですが、睡眠はしっかりとらないと体に毒ですよ」
「里見よ。男には、眠くても寝るわけにはいかない状況ってのがあるんだよ」
「もしかして、何かあったのですか? その様子ですと、相当深刻な事情に思えますが」
「ああ。実は、一昨日出た新作RPGが面白すぎてな。しかも、シナリオが超絶神なんだよ。エンディング見たくてついつい徹夜しちまうほどに」
「……聞かなかったことにしておきます」
キャラ作りモードの里見さんが、はっきりと顔を引きつらせる。なるほど。なかなかにヤバい人のようだ。
ちなみに、伊角先生は里見さんのクラス担任でもあるらしい。里見さんの、いや、クラスメイト達の苦労が手に取るように分かる。
そうこうしているうちに、僕たちは新聞社に到着。自動扉をくぐって中に入ると、エントランス中央に植えられた大木が僕たちを迎えた。大木の周りを囲むベンチには、学生服姿のグループが何組か集まっている。おそらく、彼らも大会に出場するつもりなのだろう。まだ直接彼らの将棋を見たわけでもないのに、とんでもない実力者たちのように感じてしまう。
「渡辺君。緊張していますね」
「う……分かりますか?」
「ええ。表情がいつにもまして固いですし」
からかうように笑う里見さん。
どうやら、彼女にはいろいろとお見通しだったらしい。僕の緊張はすでに限界を迎えようとしている。正直吐きそうなほどに。心臓のバクバクも煩わしくて仕方がない。
「す、すいません。その……」
「初めての大会ですからね。緊張する気持ちは痛いほど分かります。ですが安心してください。意外と対局が始まったら慣れるものですから。今は大きく深呼吸して、少しでも気持ちを落ち着けましょう」
「わ、分かりました」
言われた通り、大きな深呼吸を繰り返す。一回、二回、三回。うん。全く落ち着かない。
「おーい。お前ら、一旦集合」
僕が四回目の深呼吸をしようとした時、伊角先生が僕たちに声をかけた。
「先生~、どうしたんですか~?」
「ああ。一応、俺は将棋部顧問としてここに来てるからな。ちょっとでも激励をと」
腰に手を当て、僕たち三人を順番に見る伊角先生。すごく適当そうな人だけれど、そういうことはちゃんとしてくれるんだとちょっと驚く。少しでもヤバい人と思ってしまったのが申し訳ない。
「お~。先生が激励なんて珍しいね~。里見ちゃんもそう思わない~?」
「確かに。去年は、『お前ら問題だけは起こすなよ。対応するのめんどいから』と言われただけでしたし。どういった心境の変化なのですか?」
はてなマークを浮かべる二人に、先生は堂々とした口ぶりでこう告げた。
「ふ。なにせ、今回の全国大会は大阪が会場だからな。俺、大阪の粉もん巡りとか一回してみたかったんだよ。たこ焼きとお好み焼きを酒で流し込む。最高じゃね?」
ああ、はい。やっぱりヤバい人だった。
「というわけでお前ら、頑張って俺を大阪に連れて行ってくれ」
「……どうしよ~。私、ちょっと帰りたくなっちゃったんだけど~」
「奇遇ですね部長。私もです」
まずい。部の勝ち星を握ってる二人のやる気が。
♢♢♢
新聞社三階。大会議室。
開会式もそこそこに、僕たちは指定された席に着いた。三人一組の団体戦。大将は里見さん。次いで副将が西山先輩。最後に三将が僕。単純に実力の高い順だ。チームによっては、副将や三将の位置に最も強い人を持ってくるらしい。だが、どう策を練ったところで、それが上手くはまるかどうかは時の運。それならば、最初からオーソドックスにいった方がいいと西山先輩は言っていた。
頑張れ。頑張れ、僕。
テーブルの下で両手を握りしめる。じんわりと感じる汗が気持ち悪い。横に視線を向けると、いつになく真剣な表情の二人が見えた。
二人が負ける姿は想像できない。けれど、万が一ということもある。二人にばかり負担をかけちゃだめだ。僕が、ちゃんと勝たないと。
『皆様、準備はよろしいでしょうか?』
会場に流れるアナウンス。僕は、急いで顔を戻した。僕の前に座るのは、眼鏡をかけた真面目そうな男子生徒。いかにも強そう。ダメだとは分かっているのに、彼に負けるビジョンを思い描いてしまう。
『それでは、対局を始めてください!』
「「「よろしくおねがいします」」」
会場の皆が一斉に頭を下げる。持ち時間を表示するチェスクロックのボタンが押され、いたる所から『ピー』と開始の音が鳴る。
よし、いくぞ!
浮かんでいた敗北のビジョンをどうにか振り払い、僕は盤上の駒に手をかけた。
♢♢♢
序盤は一定のリズムで進行していた局面。しかし、中盤に入るにつれ考えることが増え、進行のリズムは遅くなる。
盤面をじっと見つめる僕。現在、相手の王様は『穴熊』という陣形によって守られている。完成までの手数はかかるが、数ある陣形の中で最高硬度をほこる守りだ。本当なら、『穴熊』が完成する前に攻め潰すことができればよかったのだが、あいにく僕にそんな技術はない。となれば、僕の取るべき策は一つ。自分の囲いの強度を上げること。
僕の王様を守る『高美濃囲い』を、より強固な『銀冠』へと変化させていく。以前里見さんと対局した時は、変化の途中にある一瞬の隙を突かれてしまった。けれど、今は特に向こうからの有効な攻めはなさそうだ。陣形整備をするなら今がチャンス。
僕の予想通り、相手は攻めを選ばず、様子見にも似た手を繰り出してきた。そのおかげもあって、無事『銀冠』が完成。陣形の強度としては『穴熊』に劣るが、これなら早々に潰されてしまうことはないはず。
慎重にチャンスをうかがう。お互いに固い守り。小さなミスが命取りになる。全神経を、次の一手を読むことに費やす。
だがしかし、それは突然に起こった。
パチリ。
「……え?」
変化した局面に思わず声が洩れる。瞬間、相手がほんの少し口元を緩めたのが見えた。
相手が繰り出したのは、僕の予想にはなかったもの。自身の角とこちらの桂馬を交換する一手。
なんで? 角の方が桂馬よりも価値が高い駒のはず。わざわざ敵に塩を送るみたいなことを。一体この人には何が見えてるの?
不穏な予感とともに、角を捕獲し自分の駒台へ。これがあれば、『穴熊』攻略が容易に……。
…………あ。
気づいた。気づいてしまった。けれど、もう遅い。
桂馬がいなくなった隙を突き、相手の駒たちがなだれ込んでくる。そして、攻めの要である飛車がこちらの陣地に侵入。龍へと進化したそれが、盤上を闊歩する。
まずい。止められない。こっちからも攻めたいけど、『穴熊』が固すぎてそれどころじゃ……。
僕は、弱い駒と引き換えに強い駒を手に入れた。だがしかし、いくら強い駒があったとしても、『穴熊』を攻略するのには相応の時間がかかるし、攻略途中でのミスはつきもの。相手はある程度の損を覚悟したうえで、『穴熊』の固さを信頼して攻めの手を放ったのだ。
将棋の世界には、こんな用語がある。『穴熊の暴力』。僕は今、それを目の当たりにしていた。




