第14話 晩御飯の準備もありますし
「楽しかったですね、渡辺君」
「そうですね」
最初に指定した二時間+延長一時間を終え、僕たちはカラオケボックスを後にした。店を出た里見さんは、すっかりキャラ作りモード。髪もいつの間にやら結ばれている。結構寂しい。
「じゃあ、私はそろそろ帰らないといけませんので。晩御飯の準備もありますし」
「……え? 里見さん、晩御飯自分で作ってるんですか?」
瞬間、里見さんがはっとした表情を浮かべた。だがすぐに、いつも通りの作った笑みが貼り付けられる。
「ええ。将来のために料理を勉強したいなと思いまして。晩御飯も、その流れで作るようになったんです」
「ほえー、すごい」
以前、部室で食べた里見さんの卵焼きを思い出す。
あれ、おいしかったなあ。また食べたい。というか、毎日でも食べたい。さすがにこんなこと言ったらいろいろ勘違いされちゃいそうだけど。
「渡辺君、今日はお付き合いいただきありがとうございました」
「こ、こちらこそ」
「次の日曜はいよいよ大会ですし、お互い頑張りましょうね」
「はい!」
僕の返事に笑顔を返し、里見さんは行ってしまった。結ばれた髪が左右にフリフリと揺れている。まるで、カラオケの余韻を楽しんでいるかのようだ。
「大会……か」
何もかもが初めて。僕の将棋がどこまで通用するのかまるで分らない。緊張するだろう。不安にもなるだろう。里美さんにも、西山先輩にも迷惑をかけるだろう。
けれど……。
『ナベくんと一緒に戦いたかったから』
里見さんがそう思ってくれている。その事実だけで、僕はきっと頑張れる。
頑張って、いい成績を残して、里見さんに……。
本の入った紙袋を握りしめる。心臓がトクトクと優しい鼓動を刻んでいる。里見さんの無防備な笑顔を思い出し、頬がほんのり熱くなる。
「よし! いい本も買えたし、帰って早速特訓しよう!」
紙袋を小脇に抱え、僕は自宅に向かって駆け出した。
♢♢♢
「ただいま」
「おかえりー。だいぶ遅かったじゃない。ちょっと本買いに行くって出ていったのに」
自宅のリビング。絶賛ドラマタイム中の母さんが僕を迎える。
「いろいろあってね」
「いろいろって何よ。もしかして、エロ本に夢中になってたの? そういうの、知り合いに会ったら超絶気まずくなるからほどほどにしときなさいよ」
「すっごい濡れ衣なんだけど!」
というか、思春期の息子の前でエロ本がどうとか言うのはさすがに……。
「あ、ちなみに。ドラマが終わってないから、ご飯はまだ作ってないわ」
「それ、堂々と言うことかな?」
「まあまあいいじゃない。父さんも休日出勤でいないし。あんたもお腹すいてないでしょ。すいてないって言いなさい」
「はいはい。すいてない、すいてない」
実際は、カラオケで体力を消費したせいで、すぐにでもご飯を食べたいところなのだけど。ここで母さんに逆らったところで意味がないのは分かり切っている。将棋でもしてご飯ができるのを待つとしよう。
「じゃ、僕は部屋で将棋してるから」
「はーい。頑張ってねー、将棋狂さん」
「ご飯、待ってるよ。ドラマ狂さん」
「はっはっは。あんたも言うようになったわねー」
笑いながらも、目はしっかりとテレビ画面を捉えている。僕の皮肉が効いている様子は全くない。なんて強さだ、ドラマ狂。
聞こえるようにため息をつき、リビングを出る。自室に入り、いつものようにパソコンの電源をつける。
「にしても、母さんっていろいろすごいよなあ」
起動途中のパソコン画面を見つめながら独りごちる。
家事は適当、人との接し方も雑、いつも強情で皮肉も効かない。けれど、鋭いところは極端に鋭く、持ち前の明るさでこちらの不安を吹き飛ばしてしまう。実際、僕も母さんに何度助けられたことか。これが俗にいう強い母というやつなのかもしれない。そういえば昔、母さんが言ってたっけ。「子供のためなら、母っていうのは超絶強くなれるのよ」って。まあ、母さんは子供のためとか関係なく常時強いわけだけど。
考えているうちに、パソコンが起動し終える。画面に表示されたアイコンをクリックし、将棋アプリを起動する。
とりあえず、ご飯ができるまで時間がありそうだし、二局くらいはできるかな。で、ご飯食べた後は買ってきた詰将棋の本読んで……あ、やば。そういえば、明日提出の数学の課題があったんだった。……うん。後回し、後回し。数時間後の僕に期待しよう。
画面に表示された『対局開始』のボタンをクリックする。数秒後、対戦相手とマッチング。PC画面いっぱいに将棋盤が表示され、どこかの誰かさんとの対局が始まる。
「……うーん。難しい」
お互いにサクサクと駒を進め、あっという間に中盤。攻めに回るか、様子を見るか。重要な局面に立たされる。
一旦頭を整理するため、椅子の背もたれに身を預ける。その時、扉の向こうから味噌の良い香りが漂ってきていることに気がついた。どうやら母さんが晩御飯を作り始めたようだ。お腹から「キュー」とかわいらしい音が漏れると同時、今日里見さんが言っていたことを思い出した。
『じゃあ、私はそろそろ帰らないといけませんので。晩御飯の準備もありますし』
里見さん、将来のためにそういうことしてるって言ってたな。さすがに家ではキャラ作りもしてないだろうし、自分からやりたいって思ったってことだよね。いや、もしかして、お母さんから「自分で料理できるようになりなさい!」って言われたからとか? 里見さんのお母さん、会ったことないけどどんな人なんだろう。いつか会えたりするのかな? 例えば僕が里見さんと……。
『残り、五分です』
PCから聞こえてきた声が、僕を現実に引き戻した。
「やば! えっと。と、とりあえず攻めるが勝ちだ!」
慌ててマウスを操作する。数秒後、それがとんでもない悪手であったことに気づき、僕はうなだれてしまうのだった。




