第11話 不審者かと思いましたが
それから数日後。僕は、駅前のショッピングモールを訪れていた。
食品売り場や多種多様な雑貨店、大きなフードコートも備わっているここは、この町で敵なしの大型商業施設。今日は日曜日ということもあって、いつも以上に人の数は多い。
けれど、僕の今いる場所はいつ来ても静かだ。
「うーん……んー?」
ショッピングモール二階の書店。その将棋・囲碁コーナー。僕の小さなうめき声が響いていた。
「ここをこうして……いや、違うか。あれ?」
絶賛立ち読み中の僕。手に持つのは、詰将棋の本。
今日は、『四間飛車』の勉強に使う新しい本を探しに来ていた……はずだった。なんとなく手に取った詰将棋の本。まさか、それがこんなにも僕を足止めするなんて。いや、僕は悪くない。この本にいい問題が多すぎるのが悪い。
にしても、だ。
この問題、全然解けない!
描かれた盤面図を噛り付くように見る。
いや、おかしいでしょ。全部の手順考えたよね? それでも解けないって何? まさか問題自体が間違ってるとか? さすがにないか。素人が作ったってわけじゃないだろうし。ああ、解答見てすっきりしたい。すっきりして、次の問題に進みたい。けど、ここでそんなことしたら負けた気がする。も、もう少しだけ考えて……。
あまりに分からなすぎて、一旦本を逆さまにしてみる。けれどそれで答えが見つかるほど将棋は甘くない。本の向きを元に戻し、唸り声とともに首をかしげる。きっと、今の僕は傍から見たら完全に不審者だ。あ、文句なら問題の作者さんに言ってくださいね。僕は悪くありませんので。
「ぬぬぬ、ぬ。ああ、もう分かんない。さすがに答えを――」
「初手は4三銀ですね」
「ふぇ⁉」
突然背後から聞こえた声に、僕の肩が大きく跳ねた。振り返ると、そこには一人の女性。
シンプルかつ長丈の白ブラウス。落ち着いたブラウンのロングスカート。肩には、小さなポシェットがかかっている。彼女は、一つ結びにした髪を揺らめかせながら、いたずらが成功した子供のように微笑んでいた。
「さ、里見さん⁉」
普段学校でしか会わない里見さん(キャラ作りモード)だ。
「こんにちは、渡辺君」
「ど、どうもです。えっと、どうしてここに?」
「好きな作家さんの新刊をチェックしに来たんですよ。残念ながら売り切れていましたが。……ところで渡辺君。どうしてさっきから顔をそらしているのですか?」
「べ、別に深い意味はないですよ。あはは」
里見さんの私服、初めて見た……。やば。顔見れない。
好きな人とばったり×初めて見る私服。なるほど。戦闘力は53万といったところか。
「それにしても、休日に渡辺君と会えるなんて思っていませんでしたよ。なんだか変な感じですね」
「ぼ、僕もです」
「……最初、不審者かと思いましたが」
「ああ、はい。文句は作者さんに言ってください」
「?」
首をかしげる里見さん。彼女に僕の謎行動を見られていたなんて。許すまじ、作者さん。あなた、いい問題作りすぎなんですよ。
そうこうしているうちに、どうにか緊張の波は過ぎ去った。改めて里見さんと顔を合わせる。ついでに、普段は見られない彼女の私服姿を脳内フォルダーに最速で保存する。
「そ、そういえば、里見さん。さっき、何か言ってませんでした? 初手がどうとか」
「ああ、はい。渡辺君の見ていた詰将棋の解答ですよ。4三銀、5三玉、7一角、同金、5四金、6二玉、6三金までの七手詰かと」
「……へ?」
口から飛び出す間抜けな声。いつの間にやら閉じてしまっていた本を再度開き、問題に目を凝らす。
「も、もう一回言ってもらってもいいですか?」
「初手は4三銀ですね。その後――」
頭の中で、里見さんの指示通りに駒を進めていく。
「最後に6三金。いかがですか?」
「あ……ああ!」
解けた! すごいスッキリ! そっか! この手順を見逃してたんだ!
湧き出してくるアドレナリンに身をゆだねる。これだから詰将棋はすごい。思わず次のページをめくろうとして、やめた。さすがにこれ以上は不審者に磨きがかかってしまう。里見さんもいることだし。
「7一角で相手の金をずらすというのがポイントですね。とてもいい問題です」
「ほえー。というか里見さん。もしかして、僕の後ろから問題覗いてました?」
「はは。渡辺君があまりにも不審……熱心に読んでいましたから、つい」
「言い直さなくても大丈夫です。自覚はありますので」
自覚があるならやめろって? すいません、気をつけます。次から。
「けど、あまりにいい問題でしたので、解くのに三十秒ほどかかってしまいました。七手詰めなら、もう少し早く解けないとダメですね」
「……ん? 三十秒?」
「はい。あ、正確な時間を計っていたわけではないですけど。あくまで体感です」
里見さんの言葉に、自分の目が大きく見開かれるのが分かった。体感だったとしても、三十秒はあまりにも早すぎる。え? 僕? たぶん、五、六分くらいは考えてたかな? もっと長い可能性もあるけど。
改めて自覚する。僕と里見さんとの間には、天と地ほどの力の差があると。それをすぐに埋められるなんて自惚れるほど僕はバカじゃない。それでも、少しくらい近づきたいと考えてしまうのもまた事実。
「……僕、これ買います。本当は『四間飛車』の勉強に使う本を探しに来たんですけど。今の僕には、こういう本の方が合ってるような気がするので」
「ええ、それは私も賛成です。大会も近いですし、自分の戦法について今見つめ直すより、詰将棋をどんどん解いていった方が身になると思いますよ」
「里見さんのお墨付きなら、間違いないですね。ちょっと行ってきます」
本を抱え、レジへ直行。店員さんから不審者を見るような目を向けられたような気もするが。うん。きっと気のせいだ。
♢♢♢
ほくほくした気持ちとともに書店を後にする。
「里見さん、ありがとうございます。おかげでいい本が買えました」
「いえ、私は何もしてませんよ。本を選んだのは渡辺君ですし」
「背中を押してくれたのは里見さんですよ」
「……押し方があまりに微量だったような気もしますが。せっかくですし、素直に感謝を受け取っておくとしましょう。どういたしまして」
軽く頭を下げる里見さん。キャラ作りの最中であることを示す、貼り付けたような笑みを浮かべながら。違和感がすごくてどうにも背中が痒くなる。
「あの。里見さんって、休日でもこうなんですか?」
僕は、自分の後頭部を指差しながら尋ねた。
つられるように、里見さんが後頭部に手を伸ばす。一つ結びになった髪がその手に触れる。その瞬間、彼女は僕の問いの意味に気づいたらしく、「ああ」と声を漏らした。
「そう、ですね。はい」
頷く彼女の顔は、胸が締め付けられるほど寂しそうだった。
「…………」
「…………」
少しの沈黙。店内に鳴り響くBGMと周囲の会話声がどこか遠くに感じられる。
休日までキャラ作りとは。もしかして、学校の誰かに見つかることを想定してるのかな? 金城君も言ってたっけ。ここは学生が楽しめる所も多いから、うちの高校の生徒もよく来てるって。いや、ひょっとしたら、もう里見さんの中では、学校の誰かでなくても素を見せるのが苦痛になってるのかも。
僕と二人きり。けれど、人目があるから里見さんは無理をしている。
嫌だ。素直にそう思った。
「……里見さん。今ってお暇ですか?」
ポケットに入れておいたスマホを取り出し、時間を確認する。
十三時半か。ちょっと微妙な時間だけど、あそこは穴場だからいけるかな。確か、会員証アプリはまだ消してなかったはず。
「え、ええ。特に忙しくはありませんよ。十八時くらいには家に帰らないといけませんが」
「それなら大丈夫そうですね。ちょっと僕と一緒に来てもらってもいいですか? 背中を押してもらったお礼がしたいので」
「へ? い、いや、さすがにそこまでは」
「いいですから。早く早く」
困惑する里見さんを引き連れ、目的の場所へ向かって歩く。エスカレーターで一階へと降り、人の波をスルスルとかわし、たどり着いたのはショッピングモール最奥のとある店。
「カラオケボックス?」
入り口横の赤い立て看板を見ながら、里見さんは目を丸くしていた。




