第96話 ダンジョン都市のスライム落としクエスト
第9階層と第10階層をつなぐ大階段を下りきると、幅広の踊り場の脇に転送施設が建っていた。
施設内の転移ゲート前では警備員が到着者を誘導し、都市へ続く道では物資を運ぶ荷車が動き始めている。
相原拓真は剣を腰へ引き寄せ、後ろから来る森下莉奈と小野寺晴斗を待った。
三人は、湖畔休憩地がまだタープと椅子を置いただけだった頃、ワイルドボアに追われて最初に逃げ込んできた駆け出し探索者たちだ。
今もクランには所属せず、三人で実績を積んでいる。
「まだ残ってるかな」
「この時間なら、三人区画が一つくらいはあるでしょ」
小野寺の心配に答えた森下は、ダンジョン都市へ続く道を歩き始めた。
転移ゲートを使えば、第10階層まで一気に来られる。
ただし、料金は一人10万円だ。三人で30万円を払って、これから請ける仕事だけをして帰れば、確実に赤字になる。
そのため三人は自力で第10階層まで降り、そこから約一キロ先の都市まで歩き、次の探索へ向かう前にこの仕事を入れていた。
やがて道の先に、ダンジョン都市の外壁と正門が見えてくる。
門を通り、商店が開店準備を進める中央広場を抜けると、その脇に都市管理所があった。
管理所の壁にある電子掲示板には、受け付け中の依頼が一覧で表示されていた。
森下が探索者用スマートフォンを出し、ダンジョン都市が管理する依頼アプリを開く。
この都市のクエストは現地でのみ発行され、都市内にいる探索者しか受注できない。
電子掲示板とアプリの一覧も、街へ入って初めて更新される仕組みだった。
目的の依頼には、まだ三人分の空きがある。
正式名は、第10階層中継管理区・固定設備付着スライム除去。
探索者は、スライム落としと呼んでいた。
森下がアプリで三人分を受注して受付へ行くと、担当者が三人の顔を見るなり区画表を出した。
「今日も三人か。北側の3番から7番までが空いている」
「いつもの三人区画でお願いします」
相原が答える横で、小野寺は報酬欄を見るより先に貸し保管箱の鍵を受け取った。
三人は更衣区画に入り、相原は剣と小盾を保管箱へ入れた。
森下も弓を下ろす。小野寺の武器と革装備は、その隣へ収まった。
これからスライムを壁から除くにもかかわらず、主力装備はすべて保管箱へ収める。
「これ、弱いスライムだからって普段の装備で行くと痛い目を見るんだよな」
「痛くはなかったでしょ。落とすのに6,000円かかっただけで」
「財布には十分痛かった」
スライムそのものは、今の三人にとって脅威ではない。
しかし、その粘体は布の繊維や革の継ぎ目、金属の可動部へ入り込む。水で洗って消えたように見えても、乾けば残った粘体が固まり、装備の動きを妨げる。
完全に落とすには、専用のスライムクリーナーが必要だった。
三人は表面が滑らかな軽作業着へ着替え、袖口と足首を閉じた。
森下は手袋の袖口が閉じていることと、保護眼鏡に隙間がないことを一人ずつ調べたあと、携帯用クリーナーの残量を見た。
「足りそうか」
「予定どおりなら。小野寺が飛ばさなければ余ると思う」
「俺だけの問題みたいに言うなよ」
受付で長柄の核抜き具とへら、回収布を受け取る。
核を入れる小箱と粘体用の封印容器は、相原が持った。
「飛散が多ければ追加の洗浄費を引く。壁や土台の傷は、自分たちで削らず報告してくれ」
「分かっています」
管理所を出た小野寺は、長柄の核抜き具とへらを肩へ載せた。
「スライムの依頼なのに、武器よりこっちの方が大事なんだもんな」
「壁からきれいに落とす依頼だから」
森下の返事を聞きながら、相原は北側の外周保守路へ向かった。
都市の正門に近い区画には、買い取り所と治療所が並んでいる。
その向かいでは、食堂と宿泊施設が探索者を受け入れていた。
そこを抜けるにつれ、通りに面する建物は倉庫や補修作業場へ変わった。
前方から、給水設備用の交換魔石を積んだ荷車が来る。
荷車の前後には武装した護衛が一人ずつ付き、脇を搬送員が歩いていた。
森下が壁際へ寄り、小野寺は通り過ぎる荷札を読んだ。
荷札には「地上の搬入基地発・第10階層給水設備行き」とある。その横には、途中の中継倉庫で押された検品印が並んでいた。
「地上の搬入基地から来た荷だ。ここまでに、いくつもの中継倉庫を通ってる」
「魔石一箱をここまで持ってくるだけでも、護衛と人手が要るんだね」
荷車は三人とすれ違い、給水設備のある区画へ進んでいく。
地上からいくつもの中継倉庫を経てきた荷は、都市へ入ったあとも二人の護衛と搬送員を必要としていた。
三人は荷車が通りを抜けるのを待ち、外周保守路へ向かった。
外周保守路の入口では、警備員が引き継ぎをしている。
三人も区画札を見せ、担当区域以外へ出ないよう指示を受けた。
軽作業着だけで外壁の仕事ができるのは、スライムが弱いからだけではない。
警備員が保守路を管理し、ほかの魔物や無関係な探索者を近づけないからだ。
「店が開く前から、こんなに働いてる人がいるんだな」
小野寺が補修石材を運ぶ作業員を見送る。
「店を開けるために働いてる人たちでしょ」
補修石材を運ぶ作業員は、外壁沿いの道を北へ進んでいく。
傷んだ壁を直す作業と、その壁へ貼り付いたスライムを落とす作業。どちらも、店を開け続けるために必要だった。
三人も作業員の後を進み、北側の3番区画へ入った。
そこでは、都市の外壁と土台に半透明のスライムが貼り付いていた。
そのままにすれば、ダンジョン産の石材を少しずつ消化していく。
森下が壁へ斜めから灯りを当てた。
水濡れにしか見えなかった箇所の輪郭が浮かび、森下は作業用の赤いチョークで粘体の外側へ印を付ける。
「右へ20センチ。下は目地の手前まで。核は中央より少し上」
小野寺が長柄の核抜き具を、森下の示した位置へ当てる。
粘体を押し潰さないよう先端を閉じ、そのまま核だけを引き抜いた。
相原が差し出した小箱へ核を落とすと、壁に貼り付いていた粘体から動きと張りが失われた。
それでも粘体は、石材へ張り付いたまま残っている。
相原は壁の下へ回収布を広げ、封印容器の口を開いた。
小野寺が長柄のへらを印の端へ差し込み、残った粘体を一方向へこそぎ落とす。
相原は落ちてくる粘体に合わせて回収布の角度を変え、地面へ触れる前に受け止めた。
粘体を封印容器へ入れると、森下は壁に取り残しがないことを確かめた。
森下は区画表へ一体分を記録し、次の付着箇所へ灯りを向けた。
三人は同じ流れを繰り返した。
森下が範囲と核を見つけ、小野寺が核を抜いて粘体をこそぎ落とし、相原がそれぞれを受ける。初めて請けたころと違い、途中で手順を相談する必要はない。
離れた新人用区画から、へらを何度も往復させる音が響いた。
細かく切れた粘体が飛び、そのたびに作業者がクリーナーを使っている。
「俺たちも最初は、へらで剥がして回収すれば終わりだと思ってたよな」
「核を先に抜いて、残った粘体は一方向にこそぎ落とす。手順を崩せば、ああなる」
「そう。そうしないと粘体が飛び散って、クリーナーも作業時間も余計にかかるからね。雑にやったら、報酬が高くても残らないよ」
森下が言い終えた直後、へらでこそぎ落としていた残存粘体から細い糸が伸びた。
髪の毛ほどの粘体が、作業着の右袖へ付く。
小野寺は拭わず、その姿勢のまま動きを止めた。
「右の袖に一か所ついた。払わないから、取ってくれ」
「そのまま動くな。森下、クリーナーを頼む」
「見えてる。糸の根元から緩めるね」
森下が携帯用クリーナーを取り出し、粘体の根元へ一滴ずつ垂らした。
粘体の糸が袖から浮いたところを、相原が剥離用の布で挟み、そのまま封印容器へ入れた。
「取れた。クリーナーで緩めないまま普通の布で拭いてたら、粘体が袖全体に広がってたよ」
「分かってる。広げないように、払わず止まったんだ」
「袖に残りはない。もう動いていい。作業に戻るぞ」
三人は5番区画の残りを片づけ、次の区画へ進んだ。
6番区画で、森下が壁の継ぎ目を照らしたまま動きを止める。
「これ、奥まで入ってる」
小野寺が核抜き具を近づける前に、相原は手で制した。
「そこは触るな。担当者を呼ぶ」
巡回中の保守担当者が検査具で壁を調べると、石材の一部が浮いていた。
担当者は区画の入口へ立入禁止札を置き、補修班へ連絡する。
「ここで気づいてくれて助かった。石材が剥がれ落ちていたら、外壁沿いの保守路を封鎖するところだった」
「除去は手前まででいいですか」
「ああ。設備損傷の報告加算も付けておく」
小野寺の表情が明るくなったところで、森下が区画表を差し出した。
「壊れてるのを見つけた加算だから、喜ぶところじゃないよ」
「分かってるけど、ちゃんと見つけたのは俺たちだろ」
「二人とも、残りを終わらせるぞ」
指示された範囲まで仕上げ、三人は管理所へ戻った。
検品担当者が核の数と粘体の回収量を照合する。
続いて三人に両腕を広げさせ、検査灯を作業着へ斜めから当てて、粘体特有の反射がないか調べた。
小野寺の右袖を含め、光の反射が変わる箇所はなかった。
受付担当が精算結果を窓口のモニターへ表示する。
基本報酬9万円に、完全回収と核提出の加算3万円、固定設備損傷の早期報告加算1万5,000円が加わる。
合計13万5,000円。一人4万5,000円だった。
「一人4万5,000円。手順どおり終わらせれば、やっぱり稼げるな」
「クリーナーを無駄にしなければね」
「壁を傷つけず、取り残しを出さない。そこまでやって、この額だ」
受付担当も精算を終え、相原へ保管箱の鍵を返した。
「空きがある日に来たら優先してまた回すからよろしくな。新人区画の後始末をするより、慣れた三人に払う方が都市としても安く済む」
「わかりました。近いうちにくるので、よろしくお願いします」
三人は作業着を脱ぎ、手袋を裏返して袋へ封じた。
粘体を移さないよう手を洗ってから、保管箱の剣や弓を回収する。
管理所の隣にある資材店で、森下がスライムクリーナーの値札を見た。
小さな容器の値札は6,000円。
地上なら1,000円前後で買える量だった。
「相変わらず高いな」
「まだ残ってるから、今日は買わなくていいでしょ」
その先には、共同シャワー15分1万円の案内が出ている。
食堂の温かい食事は一人8,000円からだった。
三人はクリーナーを買わず、シャワーも使わず、食堂で食事だけ取ることにした。
「稼げるけど、使うのも早いんだよな、この街」
小野寺はスマートフォンの計算機を開き、一人分の報酬4万5,000円から食事代8,000円を引いた。
「地上の5倍から、物によっては20倍以上。持って降りられる物は持ってくるのが基本だから」
「理由が分かっても、1万円のシャワーは高いけどな」
「そう、それは別の話」
三人は食堂へ入り、それぞれ食事を頼んだ。
手元には一人3万7,000円残る。まだこのあとの探索時間も残っていた。
席に着いた相原は、窓の外を見た。
通りでは、補修石材の荷車と、封印した廃棄粘体を載せた回収車が行き交っていた。
その間を、給水設備用の交換魔石を積んだ護衛付きの搬送隊が通る。
地上から物を運ぶたびに、搬送員と護衛の人件費がかかる。
都市では、外壁や給水設備を維持する費用も必要だった。
「地上からここまで運ぶ費用と、街を維持する費用が、商品の値段に乗るんだな」
森下はうなずいた。
「そう。だから地上の5倍で売っても、5倍儲かるわけじゃない。場所代と管理費まで入れたら、それでも厳しい店はあると思う」
運ばれてきた食事を見て、小野寺が箸を取った。
「高い理由は分かった。でも、食事に8,000円はやっぱり高いな」
食事を終えて管理所前を通ると、電子掲示板の表示が切り替わり、森下の探索者用スマートフォンにも新着依頼の通知が届いた。
スマートフォンの画面上部に、通知ウィンドウが開く。
《ダンジョン都市依頼アプリ・新着依頼》
依頼名:給水設備用魔石・搬入補助
報酬:基本報酬+重量加算
「今度は魔石の搬入か?」
「報酬と、何時間かかるかを見てからよ」
森下は依頼アプリで詳細画面を開いた。
大階段脇の搬入拠点から都市の給水設備区画まで荷車を護衛し、交換魔石の積み下ろしを手伝う依頼だった。
相原は朝に見た護衛付きの荷車を思い出した。
「朝に見た荷車と同じ仕事だな。護衛と積み下ろしなら、報酬次第で受けてもいい」
森下の依頼アプリに、給水設備用魔石・搬入補助が検討中の依頼として保存された。
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