第9話 自宅キッチンのダンジョン飯試作
平日の夜、仕事を終えて家に戻った俺は、スーツを脱ぐより先に冷蔵庫を開けた。
中には、きちんと処理しておいたホーンラビットの肉がある。
先週ダンジョン内で、初心者三人組が差し入れに持ってきてくれた二羽分だ。
それとは別に、退勤前に素材市場の一般販売枠で買ったワイルドボアの脂も少しある。
やはり値段は安かった。
だが、ちゃんと火を入れると、牛とは違った本能を刺激する匂いに変わっていく。
「ステーキ丼だけだと、重いよな」
台所に立ちながら、ひとりでつぶやく。
ワイルドボアのステーキ丼は評判がよかった。
ただ、毎回あれを出すのは無理がある。
肉を厚く切れば原価に直結するし、火入れにも時間がかかる。
探索帰りの客に出すなら、もっと早く、もっと安く、体に受け入れやすいものが欲しい。
今はまだ店ではなく、ただの湖畔休憩地だ。
それでも、食べ物を出すなら適当にはできない。
俺はまな板にホーンラビットの肉を置いた。
見た目は普通の肉だ。
だが、ホーンラビットは厄介だ。
角と皮は素材として分かりやすいが、肉は硬く、部位によっては臭みが出る。
素材会社でも、肉はまとめて安く流されることが多い。
肉質は鶏肉に近いとのことだが、ちゃんと食べたことが無いので正直わからない。
「まずは、焼いてみるか」
薄く切って、塩を振る。
フライパンに油を引き、強めの火で焼いた。
じゅう、と音がする。
匂いは悪くない。
「とりあえず味見するか」
一枚口に含んで噛んだ瞬間、俺は顔をしかめた。
「硬い」
噛めるし、食べられないことはない。
だが、休憩地で出すには駄目だ。
探索で疲れた人間に、顎を使わせる料理は向いていない。
腹は満たせても、うまいとは言われない。
俺は焼いた肉を取り分けて、残りの肉を解体用の小さな包丁で切り分けた。
筋の走り方と脂の入り方を見ながら、臭みが強そうな膜を外し、柔らかい部分だけを切り分けていく。
スキルを使うほど大げさな量ではない。
だが、【解体】の感覚は指先に残っている。
「焼くよりも向いてる調理方法がありそうだな」
肉を細かく刻み、包丁の背で叩く。
粘りが出るまで叩き、少しの塩としょうが、卵、片栗粉を混ぜた。
骨と端肉は鍋に入れ、水から火にかけた。
灰汁を取り、臭みを抜く。
少しだけ酒を入れ、火を弱める。
しばらくすると、鍋から薄い香りが上がってきた。
鶏とも豚とも違う。
俺は味噌を少し溶いた。
味噌汁へ寄せすぎると、肉の癖が隠れすぎる。
だが、癖を前に出しすぎると食べにくい。
その間を探す。
「素材としては安い。けど、汁物なら化けるな」
鍋に丸めたつみれを落とす。
白く固まり、ぷかりと浮いた。
次は飯だ。
炊いておいた米を握る。
大きすぎると食べにくい。
小さすぎると物足りない。
探索者が片手で持てて、二つ食べれば腹に溜まるくらい。
フライパンにワイルドボア脂を落とすと、すぐに透明になった。
香りが立つ。
そこへおにぎりを置く。
表面が焼ける音が、部屋に広がった。
醤油を刷毛で塗ると、匂いが一段強くなる。
「……これは反則だろ」
自分で言って、少し笑った。
肉を焼く匂いより、ずっと軽い。
だが、米と醤油と脂が混ざると、本能に訴えかける強い主張を伴った匂いが生まれる。
湖畔の風に乗ったら、かなり遠くまで届くかもしれない。
皿に焼きおにぎりを二つ置き、横につみれ汁を添えた。
見た目は地味だし高級感はない。
だが、探索帰りに食べたい、まさにこれだよね感が前面に出ている。
熱い汁と香ばしい米、そこにワイルドボアの脂の匂いが重なる。
硬いはずのホーンラビット肉も、つみれにしたことで噛みやすくなっている。
俺は箸でつみれを割り、汁ごと口に入れた。
「……うん」
悪くない。
いや、これはかなりいい。
肉の癖は残っている。
だが、しょうがと味噌がそれを消して、むしろいい味に変えていた。
噛むと、ホーンラビットらしい野性味が少し出る。
それを味噌汁がしっかりと受け止めていた。
焼きおにぎりも食べる。
外はかりっとして、中は柔らかい。
醤油の焦げた香りに、ワイルドボア脂の重さが乗っている。
肉を食べているわけではないのに、満足感があった。
「原価は抑えられる。仕込みも簡単。なによりも提供が早い」
俺はメモアプリを開いた。
湖畔休憩地の新メニュー候補として、ホーンラビットつみれ汁とワイルドボア脂の焼きおにぎりを書き込む。
そこまで書いて、少し考える。
料理名をそのまま並べると、ただの材料説明だ。
客に出すなら、もう少し言いやすい方がいい。
「湖畔まかないセット、かな」
まだ店ではないし、立派な定食でもない。
休憩地の主が、余り素材と安い部位で作る飯。
すぐに食べることが出来るし、なんなら持ち運びだって出来る。
今の段階には、そっちの方が合っている。
俺は残ったつみれを小分けにし、汁の出汁も別の容器に移した。
焼きおにぎりは、明日もう一度試すために形だけ作って冷蔵庫へ入れる。
湖畔休憩地には、冷蔵庫と魔石電源がある。
水も使えて、トイレもある。
あとは、現地で温めて、焼いて、出すだけだ。
「次の営業日は、これでいくか」
台所には、まだ醤油と脂の匂いが残っていた。
俺は換気扇の音を聞きながら、週末に持っていく荷物を頭の中で組み直した。
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