第10話 湖畔まかないセット
週末の朝、俺はいつもより早く家を出た。
玄関先には、最初に湖畔休憩地を作る時に使った折りたたみ式のリヤカーを出してある。
設備の大半は休憩地側に収納できるようになった。
だが、食材や調味料、魔石は別だ。
小分けにしたホーンラビットのつみれと出汁、握っておいた焼きおにぎり用の飯。
調味料、少しの野菜、最低ランクの魔石。
それに手拭きや予備の容器を、保冷バッグごとリヤカーへ積んでいく。
今日の荷物の中心は、明らかに食材だった。
前は、何が必要か分からないまま袋へ詰めていた。
今は違う。
何を作るか決めて、そのための物を運ぶ。
リヤカーの持ち手を握ると、荷物の重さが手に来た。
それでも、設備まで全部背負っていた頃に比べれば、ずっと楽だ。
◇
リヤカーを引いたまま浅い階層を抜け、休憩を挟みながら十階層まで下りてきた。
十階層の湖畔層は、週末らしく人が多い。
中央広場には探索者の列があり、企業店舗の前では朝食用の携帯食が売られていた。
「ああいう携帯食もいいよなぁ」
そんなことを言いつつ俺は人通りの多い店舗前を抜け、湖の北側へ向かう。
人通りは少しずつ減っていった。
湖に行くまで大半は湖畔リゾート企業のおかげで道は整備されており、そこまで苦も無く進むことが出来る。
だが大手が整備した湖畔リゾートから離れると、途端に道は細くなる。
草や土の匂いが強くなり、湖面の光が木々の間から見えた。
そしていつもの場所に着く。
草地にはまだ何もない。
けれど、俺にはもう、そこに置くものが見えていた。
「湖畔休憩地、展開」
足元から淡い光が広がる。
範囲が立ち上がり、登録済み設備が順に姿を現した。
タープ、椅子、テーブル、作業台が順に並ぶ。
続いて、前回登録したシンク、水タンク、簡易トイレ、冷蔵庫も姿を現した。
「まずはアップデートした設備から確認するか」
俺はまず手を洗った。
蛇口をひねると、水が出る。
魔石水タンクは問題なく動いていた。
――――――――――――――――――――
魔石水タンク
投入魔石:最低ランク
供給可能水量:999リットル
供給先:洗い場/簡易トイレ/調理用水
排水処理:有効
――――――――――――――――――――
「よし」
次に冷蔵庫を確認する。
――――――――――――――――――――
冷凍機能付き冷蔵庫
電源供給:有効
稼働状態:冷却中
保管補助:有効
――――――――――――――――――――
自宅で仕込んだつみれと出汁を冷蔵庫へ入れる。
飯は常温で問題ないが、湖畔で置きっぱなしにするわけにもいかないだろう。
ここは四季などは存在せず、一年を通して春夏に近い気候で安定しているものの、カビは生えやすいので食材管理は細心の注意を払わなければならない。
飲食店を名乗るには、まだ足りないものが山ほどある。
それでも、前よりはずっとましだ。
手が洗えて、水が使えて、食材を冷やせる。
使った水も処理できる。
たったそれだけで、作業の怖さがかなり減った。
ただ、人によっては探索者相手にそこまで、という考え方の者も一定数存在する。
なぜなら探索者は、レベルという概念によって人間の枠を超えた存在だからだ。
だから状態異常変化に元々強く、明確な毒からが異常のスタートラインだったりする。
とはいえ、だ。
衛生管理をしないという理由にはならない。
俺の理想とする湖畔の休憩地には、あってはならない考え方である。
俺は鍋を火にかけた。
出汁を入れ、温める。
そこへ、つみれを落としていく。
白く固まったつみれが、汁の中でゆっくり浮いた。
ある程度火が通った段階で一旦火を止めて味噌を溶き、しょうがを少し足す。
次に、作業台の上で焼きおにぎりの準備を始めた。
自宅の試作ではフライパンを使った。
だが、ここではコンロの上に鉄網を置く。
網の上で焼いた方が、匂いも焦げ目も分かりやすい。
小鍋に醤油を入れ、細かく刻んだワイルドボア脂を少し落とす。
弱火で温めると、脂が溶けて醤油に薄く浮いた。
そこへすりおろしたにんにくを少しだけ足して、焼きおにぎり用のたれにする。
鉄網の上に飯を置く。
表面が乾いて固まり始めたところで、刷毛にたれを含ませて塗った。
醤油とにんにく、そしてワイルドボアの油が濃密に絡まり、周囲に濃厚な匂いが満ちていった。
自宅で試した時より、ずっと強く感じる。
湖畔の風が、タープの下から草地の方へ抜けていき、それと共に匂いまで運んでいく。
「ここまで香ると結構目立つか?」
焼きおにぎりを返す。
焦げすぎないように火を弱める。
汁の鍋からは、味噌とホーンラビットの出汁の匂い。
鉄網の上からは、焦げたにんにく醤油とワイルドボア脂の匂い。
「敵を寄せる効果があるかどうかも検証しないといけなさそうだな」
その時、遠くから草を踏む音がした。
俺は顔を上げる。
湖畔へ続く細い道の先に、探索者が二人立っていた。
一人は槍を背負った男。
もう一人は、短い杖を腰に差した女。
一見すると装備は初心者のものではない。
傷も汚れもあるが、手入れはされている。
男の方がこちらに寄ってくると、休憩地を見て眉を寄せた。
「……こんなところに…店か?」
「いえ、まだ試験運用中の休憩地です」
俺は慌てて手を拭いた。
女の方は、鍋と鉄網を見ている。
正確には、匂いの元を探していた。
「この辺に美味しそうな匂いがしてるんですが…」
「あぁ。いま丁度仕込みしてまして」
俺が答えると、二人は顔を見合わせた。
「仕込み?」
「えぇ。この辺りで個人で営む休憩地を作ろうかなと思って。それの試験運用中なんですよ」
男が少しだけ笑う。
「こんなとこでか??」
俺は苦笑する。
「そうです。見晴らしのいい場所に構えたくて」
男は周辺を見回す。
「確かにここは湖も見下ろせる場所だし、場所は悪くないが…」
男は怪訝な顔をするも、女の方は会話の最中ずっとキッチンの方に視線が向いていた。
「あ、あの? 今作っているのって売り物ですか?」
売り物か、と聞かれ俺は少しだけ考える。
「正式な店ではないので、今日は試験提供です。湖畔まかないセットで、一食八百円」
「食べます」
女の返事は早かった。
ほとんど食い気味だった。
「お、おい。待てって」
男が止める。
「まだ試験提供って言ってなかったか? それに、こんな場所で一食八百円って、安すぎるのも怖いだろ」
「中央広場まで戻る方が面倒だし。それに、この匂いで我慢する方が無理だよ!」
女は男を見ず、鉄網の上の焼きおにぎりを見ていた。
目が釘付けになっている。
男はまだ納得していない顔だ。
だが、さっきから周囲を漂っている匂いから意識を逸らせていない。
俺は焼きおにぎりを皿に移し、つみれ汁を椀によそう。
「ホーンラビットのつみれ汁と、ワイルドボア脂の焼きおにぎりです。地上食材も使っています。初回なので、この値段で」
「ホーンラビット?」
男が露骨に渋い顔をした。
分かる。
普通に焼いたら硬い。
魔物食自体は探索者界隈で広く知られているが、とりあえず腹を満たす料理、として浸透されている。
その影響もあって市場でも肉の評価は高くない。
「焼くと硬いです。これは筋を外して叩いて、つみれにしてあります」
「あ、そういう処理してるんですね」
女の目が少し変わった。
「ワイルドボア脂は?」
「焼きおにぎり用です。肉より安い部位ですが、にんにく醤油と米には合います」
「ほら。絶対においしいやつですよコレ」
「お前は判断が早すぎる」
男はそう言いながらも、椅子を引いた。
俺は二人分を用意して、折り畳みテーブルへ置いた。
正式な店なら、もっと説明がいる。
料金表も必要だし、考え始めたらきりがない。
だが、今日も引き続き試験提供だ。
食べてもらって、反応を見る。
二人は椅子に座った。
まず女がつみれ汁を一口飲む。
そのまま、少し止まった。
「……普通においしい」
その言い方が妙に正直だった。
続けて、女はつみれを噛み、すぐに焼きおにぎりへ手を伸ばした。
「ちょっと待て。先に確認させろ」
男は椀を持ち、匂いを確かめてから汁を飲んだ。
それから、つみれを一つ噛む。
眉間に寄っていた皺が、そこで少し緩んだ。
「ホーンラビットって、こんなに食えたか?」
「部位と処理次第です。肉だけで値段を見ると安いんですけど、全部が駄目なわけじゃないので」
「なんか素材屋の言い方だな」
「本業が素材卸なので」
二人の視線が一度こちらへ向いた。
女はもう焼きおにぎりを持っていた。
男はまだ少し疑っていたが、結局、焼きおにぎりに手を伸ばした。
表面を少し割る。
湯気が出ると醤油の焦げた匂いが、また広がった。
男は一口食べて、すぐに二口目へ行った。
「……これは駄目だ」
「駄目ですか」
「いや、旨い方の駄目だ。歩いてたらこの旨さで動きが止まる…」
女はすでに半分ほど食べていて、黙って何度も頷いた。
「中央広場の携帯食より、こっちがいいです。座れるし、あったかいし」
女は椀を持ったまま、作業台の横に置いたシンクへ目を向けた。
男もその視線を追う。
「水、使えるんですか?」
「手洗いと調理用です。飲用も試していますが、今は提供前提ではなく、設備確認中ですね」
言いながら、自分でもまだ言い訳が多いと思った。
だが、ここは慎重に進めるべきだ。
旨いものを出せばいい、で済む段階ではなくなってきている気もする。
男は椀を置き、休憩地の範囲を見回した。
「なんかここ…やけにリラックスできるというか…なんて言えばいいのか」
「そこは俺のスキル効果と思ってくれれば」
男はスキル? と訝しむ。
「そんなスキルがあったのか。バフ系統なのか?」
「そんなもんです。大した効果ではないんですけど、魔除けの効果もあります」
「へぇ…地味だがいいスキルだな、それ」
女が小さく笑った。
「謎が多い飲食店、ですね」
「すみません。俺もまだ分かってないことが多くて」
「でも、このご飯は分かりやすいですよ?」
そう言って、女は椀の汁を飲み干した。
それだけで、十分な感想だった。
二人は千円札を一枚ずつ置いていった。
「釣りはいい。取っておいてくれ。といっても大した額じゃないけど」
「……ありがとうございます」
「また来てもいいか?」
男が立ち上がりながら聞いた。
俺は一瞬だけ迷い、すぐに頷いた。
「週末中心になると思います。それでもよければ」
「分かった。北側に飯があるって、仲間にも言っとく」
「いや、まだあまり広められると困るんですが」
「そうか? じゃあ適当に腹が減ってるやつにだけ言うさ」
それは広めるのとほとんど同じではないだろうか。
二人は笑いながら湖畔の道へ戻っていった。
タープの下に、空になった椀が二つ残る。
焼きおにぎりの皿も、きれいに空だった。
俺はそれを片付けながら、鍋の中を見た。
つみれ汁は、まだまだある。
焼きおにぎり用の飯も、まだかなり残っている。
「……新規客、来たな」
口に出すと、急に現実味が増した。
湖畔まかないセットの試験提供一組目。
反応は、悪くない。
俺はシンクで椀を洗い、排水が問題なく処理されるのを確認した。
それから、次の焼きおにぎりを鉄網に置く。
湖畔の風がまた、醤油と脂の匂いを運んでいった。
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