第86話 湖畔休憩地は、まだ夢の途中
「おう。そこまで言われたら、客として満喫しないとな」
黒瀬は楽しそうに答え、俺と一緒に正面玄関をくぐった。
「こんにちは!」
扉が開くと同時に、明るい声が飛んでくる。
受付カウンターには、こよりを含む三人のスタッフが並んでいた。
全員が異界人材として召喚され、ここで働いている人たちだ。
黒瀬の歩みが、カウンターの前でゆっくりになる。
「これが……異界から召喚した人たちか。俺らと何ら変わらんな……」
「ははは、分かります。俺も初めて会った時は、そう思いました」
俺たちと同じように生活を送りながら、この施設で働いている。
事情を知らなければ、異界から来たと言われても信じられないだろう。
黒瀬は受付の向こうにある館内を眺めた。
右手には売店があり、左奥では食堂を利用する探索者たちが昼食を取っている。
人が行き交うロビーまで見渡し、何度も感心している。
「おお……本当にもう、これは施設だな……」
「宿泊施設ですからね」
「動画でしか見てなかったが、あのキャンプ施設程度だった湖畔休憩地が、ここまで成長したんだろ。なんか信じられねえな」
最初の湖畔休憩地にあったのは、タープと炊事場、休憩所、簡易トイレと簡易シャワーブースくらいだった。
あの頃を知る黒瀬なら、目の前の光景を簡単には結びつけられないのかもしれない。
「最初から見ているとそうですよね。でも、これは俺たちで作り上げてきた湖畔休憩地ですから」
スキルだけで、ここまで来られたわけではない。
黒瀬や小坂、異界人材のみんなに支えられ、利用者の声を聞きながら形にしてきた場所だ。
「黒瀬さん、ようこそ!」
食堂側から小坂がやってきた。
黒瀬の前まで来ると、嬉しそうに歓迎する。
「おお、小坂か。お前もなんか、しばらく見ないうちに変わったな」
「そうですか? 自分では、あまり分かりませんけど」
「前より、ここにいるのが当たり前って感じがするぞ」
小坂は改めて館内を見回したあと、照れたように笑った。
今では小坂も、湖畔休憩地を一緒に運営する立場として、スタッフや利用者から頼られている。
「話の続きはあとにして、とりあえず受付を済ませましょう」
俺が二人を促すと、こよりがカウンターの向こうから迎えてくれた。
名前と宿泊の確認が終わると、館内での過ごし方が分かりやすく案内される。
事前に黒瀬の宿泊を伝えていたこともあり、手続きは滞らなかった。
「ずいぶんスムーズな受付だな。ここは結構、完成してるじゃないか」
「二十人のスタッフが、三交代で働いてくれていますから」
黒瀬の荷物を持って、俺たちは二階へ上がった。
案内した二人部屋には、二台のベッドと机があり、風呂やトイレも備わっている。
窓の外には、湖と周囲の草地が広がっていた。
黒瀬は荷物を置くと、室内をぐるっと見回した。
「まんま、ビジネスホテルの一室だな」
「これがスキルで実現されているなんて、誰も信じないですよねぇ」
小坂の言うとおりだ。
内装だけを見れば、ここがダンジョンの十階層だとは分からない。
一階へ戻った俺たちは、次に売店へ入った。
飲み物や探索中に使う消耗品など、利用者から要望の多かった商品が棚に並んでいる。
黒瀬は店内を見回し、俺たちに尋ねた。
「売店は、まだとりあえずの運営ってところか?」
「つい最近、オープンしたばかりですから。今は利用者から要望のあった商品を置いています」
「まあ、今は手広くやる必要もないか。何が売れるかを見ながら増やせばいい」
黒瀬は商品の数が少ないことを責めるのではなく、現在の売り方を確かめていた。
売店を出たあとは、建物の外にある野外休憩所へ向かう。
机とベンチでは、休憩中の探索者たちが食事をしたり、仲間と話したりしていた。
そこから宿泊施設の周囲も一通り歩き、再び正面玄関から館内へ戻った。
見学を終えた俺たちは、受付裏のスタッフ用スペースへ入る。
作業用の机を囲むように、俺と黒瀬、小坂の三人で椅子に座った。
黒瀬は腕を組み、これまで見てきた館内を思い返しているようだった。
「短期間で、よくここまでにしたなあ。宿泊施設としては、十分合格だろう」
「ありがとうございます」
「それと同時に、まだ伸ばす余地はたくさんあるけどな」
俺と小坂にとっても、異論のない評価だった。
施設が完成したからといって、湖畔休憩地まで完成したわけではない。
「ダンジョン内の休憩施設って意味なら、大手でもないのによくやれてる。これはむしろ、偉業と言ってもいいと思うぞ」
黒瀬はそこで、いったん言葉を切った。
「だが、お前たちの夢を聞いているからな。そういう意味では、まだ夢半ばだ」
その評価は、俺自身が感じていたものと同じだった。
黒瀬は、成果を認めたうえで話を続ける。
「客は来るだろう。場所も悪くないし、ダンジョン都市とも上手く差別化できてる。あの宿泊料金でやれているのも強い」
館内は今日も多くの利用者で賑わっている。
受付は待つ人を早く案内し、食堂は注文を順番に出し、売店では必要な物をすぐに買えるようにしている。
それは今の湖畔休憩地に欠かせない運営だった。
「だが、ここはお前が言っていた、くつろげる場所なのか。そう聞かれたら、今は真逆の運営をしてると言えるだろうな」
黒瀬の言葉に、俺と小坂はもう一度頷いた。
「はい。そこは、俺たちも分かっています」
利用者が増えた今は、受付でも食堂でも、目の前の仕事を止めないことが優先される。
一人一人にゆっくり過ごしてもらうより、多くの利用者へ滞りなく対応することで精いっぱいだった。
「今は、とりあえず来た客をさばいてる感じだ。ここから、お前たちが最初に描いていた宿にするなら、まだ足りないものが多すぎるな」
「探索者がくつろいで、普段の厳しい生活を少しでも癒やせる宿、ですよね」
「そういう場所にしたいって、最初に聞いたからな」
「そうなんです。俺の目標は、まだずっと先にあります。宿泊施設ができて、ようやく出発する場所に立てたばかりです。ここからが大事だと思っています」
建物を手に入れることだけが、俺の夢ではない。
探索を終えた人が安心して休み、また次の日にダンジョンへ向かえる場所を作りたい。
そのために必要なものは、まだ見えていない部分も多かった。
黒瀬は最後まで俺の話を聞いた。
「とはいえ、一足飛びにあれもこれもやろうとするのは、やめておけ」
「分かっています。と言いたいところですけど、気をつけます」
やりたいことが見つかれば、すぐに実現したくなる。
スキルで設備を増やせるようになってからは、なおさらだった。
「それより、もっと楽しめよ。お前はスキルが成長するたびに、できることを増やして、ここまで来たんだろ」
黒瀬の言葉に俺は頷いた。
「だったら、これからも楽しんで作り上げていけばいい。最初から完成した宿を作る必要はないんだからな」
その言葉を聞いて、俺は急ぐことばかり考えていたと気づいた。
忙しくなった湖畔休憩地を何とかしようとするうちに、作ることを楽しむ気持ちを忘れかけていたのかもしれない。
「それなら、まずは今の利用者がどこで落ち着けていないか、見直すところからですね」
「そうだな。受付の流れは悪くないが、用事を済ませたあとに居場所がない客もいる。外の休憩所も、使われ方を見れば分かることがあるだろ」
そこから俺と黒瀬は、これからの湖畔休憩地について話し始めた。
休憩する人がどこへ集まるのか、食堂の混雑が館内へどう広がるのか、黒瀬は見学中に気づいたことを次々と挙げる。
俺も普段の運営で困っていることを話し、気づけば二人とも、机へ身を乗り出していた。
しばらく隣で聞いていた小坂は、俺たちに声をかけることなく椅子を離れた。
スタッフ用スペースの出口から振り返り、呆れたように笑っている。
「先輩と黒瀬さんは、似た者同士だなぁ。今日は黒瀬さん、ここに遊びに来たのに仕事の話ばっかりで……ほんと、二人とも何しに来たんだか」
そう言いながらも、小坂は楽しそうだった。
そのまま食堂へ向かい、厨房にいる海路へ声をかける。
「海路さん、先輩と黒瀬さんが話し込んでるから、二人の食事は遅めでいいですよ」
「分かりました。食べる時間が決まったら、声をかけてください」
小坂が食事の時間をずらしてくれたことにも気づかず、俺と黒瀬の話は続いた。
昼から始まった話が途切れないまま、窓の外では人工太陽の光が夕方の色へ変わっていく。
黒瀬が遊びに来た一日は、結局、二人で仕事の話に夢中になったまま過ぎていった。
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