第80話 湖畔バーベキューコンボと巨大骨付き肉③
「とりあえず食ってみろよ。とぶぞ?」
俺の言葉を聞いた三人は、揃って口を開けたまま固まった。
大げさだと思われたのかもしれない。
しかし、皿の上では焼きたての肉から湯気が立ち、焦げ目をまとった脂の香りが早く食べろと三人を急かしている。
相原がステーキナイフを握り直した。
「食えば分かるってことだ。いくぞ」
森下と小野寺が頷き、三人は切り分けられた肉へ一斉にナイフを入れた。
一口分にした肉をフォークで持ち上げ、ほとんど同時に口へ運ぶ。
三人の動きが止まった。
相原はフォークを宙に残し、森下は空になった皿へ目を落とし、小野寺は何度も口を動かしている。
焼き目の香ばしさを追うように、赤身の濃いうま味が舌の上へ広がった。
噛めば肉の繊維がほどけ、溶けた脂が熱い肉汁と一緒に流れ出す。
その脂は舌へまとわりつかず、肉汁と混ざった途端に消えていく。
「なんだこれっ! 本当に、あのロックホーン・バイソンの肉か?」
最初に声を上げた相原が、皿に残った肉へナイフを入れた。
「口の中で溶けるんだけど……。噛まなくても勝手にほどけて、いつの間にかなくなってる」
森下も次の一切れを作りながら言った。
「飲み物かと思うくらいですよ。肉を飲むって、意味分からないですけど」
小野寺は自分で言った感想に首を傾げながら、二切れ目を口へ入れた。
三人分の皿から、切り分けた肉が次々となくなっていく。
地上で食べ慣れた、くすんだ色の節約ステーキとは何もかもが違う。
口の中にある間は、炭火の香ばしさと赤身のうま味を正面から味わわせる王道のステーキだ。
ところが、肉が溶けてなくなると、脂の重さではなく、熟した果実に似た甘さだけが舌の奥へ残る。
「後味がすごくさっぱりしています。これだけ肉汁が出たのに、全然しつこくないんですよ!」
森下は名残を探すように舌先で唇をなぞった。
「食べている間は、これ以上ないくらいお肉なのに……なくなった瞬間、果物みたいな甘さへ変わりました。今まで食べたお肉と、もう次元が違います」
「さっき言ってた、一人一枚の意味が分かった…」
相原が大皿に残る巨大な骨付き肉を見た。
「一キロ以上あるのに、重さをまるで感じない。何より、これなら一枚食べ切れるって俺の腹が言ってる」
森下と小野寺も否定しなかった。
むしろ、残った肉へ伸ばすナイフの速さが、相原の意見に賛成している。
その言葉を聞いて、俺は最初にこの肉を試した日のことを思い出した。
◇
ロックホーン・バイソンの肉が届いた翌日、6月27日。
俺たちは木場の旧工場へ展開した宿泊施設の厨房で、最初の試食を行うことにした。
調理台の上には、長い肋骨を残した厚切り肉が並んでいる。
海路は肉の表面と切断面を観察し、指先で弾力を測った。
「へえ。典型的な魔物肉ですね。肉そのものの状態は、そこそこですか」
「こういう肉はよく扱ったことがあるのか?」
俺が尋ねると、海路は迷いなく答えた。
「ええ。むしろ主食でした」
「主食か。そりゃ頼もしいな」
「ただ、この魔物肉は、ずいぶんと魔力を失っていますね」
海路は赤身の中央へ指を当てた。
「加工されてから、それなりに日が経っているからな。これでも卸業者に頼んで、状態のいいものを回してもらったんだぞ」
地球の基準なら、十分に上等な肉だった。
食用の魔物肉は地上でも流通しているが、牛、豚、鶏ほど一般家庭へ定着してはいない。
安く量を確保できる代替肉という扱いが多く、食用として育てられた家畜の肉には及ばないというのが地球の常識だ。
海路は肉をもう一度確かめた。
「肉質もそうですが、鮮度も悪くはないです。これなら魔力戻しをした方がいいと思います」
「魔力戻し……抜けた魔力を、肉へ戻せるのか?」
「この世界では、やらないんですか?」
海路が説明した魔力戻しは、向こうの世界では珍しくない調理技法だった。
鮮度を保っている魔物肉を魔力水へ浸し、失われた魔力を肉の中へ補い直す。
ただし、傷んだ肉や、時間が経って肉質そのものが落ちたものまでは元に戻せない。
あくまで、肉に残った魔力の通り道を使って、抜けた分を補う方法らしい。
「とりあえず、その魔力戻しを試してくれないか?」
「分かりました。準備します」
湖畔休憩地には、食堂で出す魔力水を常備していた。
設備へ水を供給する魔石水タンクとは別で、浄化した魔石を水へ浸して作る飲用水だ。
回復薬ほど即効性はないが、飲めば消耗した魔力をごく緩やかに補ってくれる。
海路は大きな調理用バットへ魔力水を注ぎ、骨付き肉を一枚ずつ沈めた。
「もう少し濃度を上げた方がよさそうですね」
調理用に選別した最低級魔石を乳鉢で砕き、細かな粉を目の詰まった布袋へ入れる。
それを魔力水の中で揉み、溶け出す魔力を確かめながら濃度を上げていった。
「このくらいで試しましょう。漬ける時間は十五分です」
俺には、肉を水へ浸しているだけにしか見えない。
「こんなので本当に魔力が戻るのか?」
「肉の状態がいいので、反応は出ると思います」
十五分後、海路がバットから肉を持ち上げた。
俺は思わず調理台へ身を寄せた。
先ほどまでくすんでいた赤身が、切りたてを思わせる鮮やかな色へ戻っている。
「ええっ? 肉の色がまるで違うぞ!」
「ロックホーン・バイソンは初めてですけど、そこそこ戻せたと思います」
色が戻れば、味も変わっているはずだ。
俺は表面へ塩と胡椒を振り、熱した鉄板へ肉を載せた。
最初に強い火で片面へ焼き目を付け、裏返してから蓋をして中まで蒸し焼きにするつもりだった。
だが海路が強めに熱された鉄板に肉を載せた時、声を上げた。
「あっ…」
「なんだ、まずかったか?」
「そうですね。魔物肉は、焼く時に魔力をどれだけ逃がさないかで味が決まります。最初から強い火を当てると、表面から魔力が散ってしまうんです」
俺が普段ステーキへ行っていた火入れは、魔物肉には向いていなかったらしい。
「もう焼き始めたからな。まずは俺のやり方で最後まで焼いて、味を確かめよう」
「はい。それで失われる量も分かります」
焼き上げた骨付き肉を大皿へ移し、待っていた全員のところへ運んだ。
最初の一枚なので、切り分ける量は一人一口ずつだ。
俺と小坂は、ほとんど同時に肉を口へ入れた。
噛んだ瞬間、二人とも次の言葉を失った。
「これが、あの節約ステーキの定番だったロックホーン肉ですか?」
小坂が噛みしめながら聞いてきた。
「ああ。驚いたな。俺の常識がひっくり返ったぞ」
ほかのスタッフも、噛む力が要らないほど柔らかく、肉汁の濃さも十分だと評価した。
しかし、海路とチカだけは、食べ終えても次の一切れを求めなかった。
「海路、どうだ?」
俺が尋ねると、海路は皿へ残った肉汁を確かめた。
「そうですね。普通といったところでしょうか」
「これで普通なのか?」
「私も、もう少し戻せそうに感じます」
チカも、肉の中に残った魔力が足りないと説明した。
俺と小坂、そして海路とチカを除いた異世界から来た二人は、完成品だと認めていない。
「朝倉さん。このロックホーン・バイソンの肉は、まだありますか?」
「今日は試験用の分だけだ。追加を頼めば、明日には持ってきてもらえるぞ」
海路は空になった皿を調理台へ戻した。
「でしたら、この肉を私に任せてもらえないでしょうか」
その申し出に迷いはなかった。
俺は一度、小坂へ確認した。
小坂は業務用スマホで追加発注画面を開き、俺の前へ置いた。
「そうだな。うちのメインシェフがそう言うなら、任せてみるか」
海路は俺の言葉を聞き返した。
「調理責任者を、私に任せてもらえるんですか?」
「調理を一番分かってる人に任せるのは当然だろ」
「先輩、よっぽど海路さんを気に入っているんですねぇ」
小坂が笑い、海路は照れたように後頭部へ手を当てた。
それから海路は、ほかのメニュー開発と並行してロックホーン肉の研究を始めた。
魔力水の濃度を変え、漬ける時間を変え、肉の厚さごとに魔力の戻り方を記録する。
焼き入れでも最初から強火を当てず、蓋の中で温度を保ちながら、最後に表面へ焼き目を付ける方法を試した。
正式オープン二日前の6月29日。
海路が調整を終えたバットから、ロックホーン肉を持ち上げた。
鮮やかな赤身の表面で、光の粒が生まれては消えている。
「現状でできる、最高の魔力戻しです」
食べ物が焼く前から光をこぼしている光景は、俺も初めて見た。
「最高の魔力反応じゃないですか」
チカが肉の周囲を確かめ、海路も結果を認めた。
「そういう調理法なのか?」
「ええ。魔物由来の食材は、魔力をどれだけ蓄えたまま仕上げられるかが、味を決める鍵の一つです」
海路は骨付き肉を大型《魔道炭火コンロ》へ移した。
「魔力戻しは成功しました。このまま焼きへ入って、最後の試食をしましょう」
焼き入れ方法も、すでに海路が調整を終えている。
蓋の中で肉の内側まで熱を通し、魔力が外へ逃げない温度を保つ。
最後に炭火を強めて表面へ焼き目を付けると、香ばしい脂の匂いが食堂まで流れ込んだ。
大皿へ載せられた完成品を前にして、全員の言葉が同じになった。
「これは、すごいな……」
それ以上の感想は、食べるまで誰の口からも出てこない。
海路が切り分けた肉を配り、全員で口へ運んだ。
今度は、本当に誰も話さなかった。
肉を噛む音さえ聞こえない。
柔らかな赤身が舌の上でほどけ、飲み込んだあとで、全員がほとんど同時に息を吐いた。
「先輩。私は生涯にわたって、これを超えるお肉を食べたことがありません」
小坂の言葉に、俺も頷いた。
「俺も同じだ」
「王侯貴族が食べる晩餐の主役じゃないですか、これ」
スタッフの一人が言い、周りからも同意が返る。
海路は切断面に残った肉汁と、表面を舞う光の粒を最後まで確かめた。
「魔力調理反応を出せたのは、生涯で二度目です」
海路が俺の前へ来て、深く頭を下げた。
「朝倉さん。こんな機会をくださって、ありがとうございます」
「おいおい、やめてくれよ!」
俺は慌てて海路の肩へ手を置いた。
「これは海路じゃないと完成させられなかった料理だ。礼を言うより、胸を張って誇ってくれ」
海路が頭を上げると、食堂の全員が拍手を送った。
今日、相原たちへ出した三枚も、その時に決めた濃度と時間で魔力戻しを行っている。
処理を終えた肉は魔力保持用の専用ケースへ収め、十階層まで運び込んだ。
◇
「朝倉さん、早く次も焼き始めないと!」
森下の声で、俺の意識は現在へ戻った。
「そうだ。二枚目、すぐ焼くぞ!」
相原と小野寺が冷蔵保管箱から次の骨付き肉を取り出し、二人がかりで網へ載せる。
森下が大型ステーキモードへつまみを合わせ、三人で蓋を閉じた。
焼き上がるまで二十分。
三人は待っている間にも、一枚目の肉を切り分け続けた。
「ちょっと相原、持っていきすぎ!」
「いいだろ。まだ二枚焼くんだから」
「二人とも落ち着いてください。骨の周りにも、まだ残ってますよ」
「お前が一番大きいところ取ってるじゃねえか!」
小野寺の皿には、骨際から外した赤身が山のように積まれている。
三人は言い合いながらも、肉を切る手と口へ運ぶフォークを止めなかった。
「仲良く食ってくれよ」
俺がコンロを離れると、宿泊施設側から次の一団が湖畔へ出てきた。
先頭を歩いているのは久我で、その後ろには《銀嶺の道標》の新人たちが続いている。
海路が人数分の食材を載せたワゴンを押し、俺の横へ並んだ。
「朝倉さん。次のバーベキュー利用は、久我さんたちです」
相原たちのコンロからは、二枚目の脂が焼ける匂いが漂い始めていた。
食堂の方からも、新しい注文を知らせる声が飛んでくる。
「さあ、次々!」
俺は久我たちへ挨拶をしてから、次の料理を出すため厨房へ戻った。
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