第75話 正式オープン当日なんですが…③
ロビーへ入ると、外の騒ぎが少し遠くの喧騒へと変わった。
それでも、大勢の話し声は自動扉越しに聞こえてくる。
「しかし、すごい人だな」
「結構、野次馬も多かったですね」
小坂がロビーの窓から外を確認する。
宿泊装備を持たず、撮影だけを続けている者もかなりいた。
「あれが全員、利用希望者だったら大変でした」
「受付する前に一日が終わるな」
冗談で済む人数ではなかった。
予約客と一般入場待ち、それに見物人を分けるだけでも時間がかかりそうだ。
「とりあえず、みんなを呼んで準備に入ろうか」
「はい。開店まで、あと四時間くらいしかありません」
俺は従業員管理を開いた。
契約中の十人を確認し、全員を勤務開始へ切り替える。
ロビーの床に黒い渦が次々と現れた。
最初にこより、井瀬川、チカが現れ、その後を海路、曽布川、若井、比志野、熊谷、阿武原、珍田が続いた。
光が収まる頃には、ロビーに十人がそろっていた。
「はわわわっ! ちゃんと呼ばれました!」
こよりが両手を胸元で握り、周りの仲間を見回す。
「全員います! 十人ともいますよ!」
「いる。だから少し落ち着いて」
井瀬川はそう言いながらも、いつもより口元が緩んでいた。
曽布川と比志野も互いの姿を確かめ、熊谷は隣に現れた珍田の肩を軽く叩く。
海路とチカは、早くも厨房の方を見ていた。
契約が更新されても、本当に次の勤務へ呼ばれるまでは不安だったのだろう。
十人とも、再びこのロビーへ立てたことを喜んでいた。
こよりが新しく加わった七人へ向き直る。
「だから言ったでしょ? この召喚主さんは大当たりだって!」
「俺、そんなふうに言われてたの?」
「はいっ! おいしいご飯が出て、お仕事もちゃんと教えてくれて、次も呼んでもらえます!」
「こより。それ、本人の前で言うことじゃない」
井瀬川の指摘に、こよりは今さら口元を両手で隠した。
俺と小坂はお互いを見合った。
こういう時、どういう顔をすればいいのか分からない。
ほかの七人からも、否定する言葉は出なかった。
「ええと、喜んでもらえているならよかった」
俺はそこで一度、柏手を打つかのように手を叩いた。
「開店まであと数時間しかない。挨拶はこのくらいにして、みんな準備を進めていこう」
「はいっ!」
十人が、それぞれの担当へ散っていく。
受付担当の四人は、小坂と一緒にカウンターへ向かった。
珍田は入口と境界周辺を確認する。
井瀬川、熊谷、阿武原は客室と共用部へ向かった。
海路とチカは俺と一緒に厨房へ入る予定だ。
その前に、野外休憩所を出しておくことにした。
前回は、混雑してから屋外臨時休憩区画を作った。
今回は最初から正式な野外休憩所として使えるよう、地上研修の間に机とベンチを登録してある。
俺は《登録済み設備》から、保存済みの《野外休憩所・基本配置》を選んだ。
「これで出すぞ」
ロビーに残っていた熊谷と井瀬川が、窓際へ寄る。
俺が一括配置を確定すると、建物の湖畔側へ光の枠が六つ並んだ。
枠の中へ、六人用の机とベンチが一組ずつ現れる。
二列三組。
全部で36人が座れる野外休憩所が、数秒で出来上がった。
休憩地の登録設備なので、展開中はダンジョンに取り込まれない。
スライムに消化される心配もなく、閉店時には設備収納へ戻せる。
熊谷が窓の向こうに並んだ机を見た。
「これ、力仕事が減っちゃいますね」
清掃と運搬を希望して来た熊谷にとっては、少し複雑らしい。
「まだまだ序盤だぞ。食材もリネンも、運ぶ物はいくらでもある」
「それなら安心しました」
「安心するところ、そこなんですか」
井瀬川の突っ込みに、三人で笑う。
準備の大半は、地上研修と前日までの確認で終わっていた。
客室の備品は補充済み。
受付画面には今日の予約者が入り、料金表と館内案内も更新されている。
確認を終えて手が空いたスタッフは、厨房の仕込みへ回った。
海路が大鍋の蓋を開け、チカが食器と配膳用トレーを並べる。
阿武原と熊谷は、井瀬川の確認を終えると食材の搬入を手伝った。
俺も厨房へ入り、仕込み済みの肉と野菜、米の量を順番に確認していく。
途中でロビーへ戻ると、入口周辺の様子が変わっていた。
壁には小さな飾りが並び、受付カウンターには花を模した装飾が置かれている。
こよりたちが作った案内看板には、利用券確認、一般入場待機券、食堂受付の場所が大きく書かれていた。
その中央に、ひときわ大きな看板が立っている。
《湖畔休憩地 本日正式オープン》
外では、今も大勢の探索者が開店を待っている。
館内では十人が動き、厨房からは仕込みの音が聞こえていた。
俺は看板の前で立ち止まる。
「ああ、オープンするんだな」
◇
そこからも準備は進み、厨房の仕込みも終わりが見え始めた。
八時を回った頃、小坂が厨房の入口から俺を呼んだ。
「先輩、今日の正式オープンについて、セレモニーの打ち合わせをしておきましょう」
「分かった。今行く」
海路とチカに厨房を任せ、俺は小坂と食堂へ移動した。
まだ客のいない食堂で、窓際の席に向かい合って座る。
小坂が運営用の受付アプリを開き、予約管理とは別の表を表示した。
「前にも話していましたけど、これまでお世話になった方へ優先招待状を送っています。全員から返信が来ました」
画面の最初には相原拓真の名前があり、その隣にいつもの二人も並んでいた。
森下莉奈と小野寺晴斗だ。
俺がこの湖畔で初めて出会った探索者たちだ。
その下には、《銀嶺の道標》の堂島修吾と久我沙織、それに旧堂島班の新人六人が続く。
初めて団体利用の話を持ちかけてくれて、宿泊施設になってからも利用してくれた人たちだった。
さらに、宿泊施設の初回営業で最初の利用者になった《青嵐の足跡》の六人も、全員参加で返事をくれている。
参加の返事をくれたのは合計17人だった。
二十人にも満たない人数だが、表に並ぶ名前を見ていると、これまでの出来事が次々に浮かんできた。
「こうして見ると、俺たち、こんなにも縁をつないできたんだな」
最初は草地に椅子とテーブルを出しただけだった。
そこへ三人が逃げ込んできて、堂島班が休憩し、小坂が運営を手伝ってくれるようになった。
週末だけの休憩地が建物になり、今では十人のスタッフが開店準備をしている。
「ですねぇ。短い期間だったと思うんですけど、ずいぶん遠くまで来ちゃいましたね、先輩」
小坂も画面に並ぶ名前を見たまま、そう返した。
「招待客には九時三十分に来てもらうよう伝えています。安全地帯への入域権限は、もう全員に付与してあります」
「外で待っている人たちと一緒にならないのか?」
「招待状の登録情報で判別されます。許可された人だけ、境界を通れるようにしてあります」
小坂が表を閉じ、今度は式の進行表を表示した。
「自動扉の前には、セレモニー用の赤いじゅうたんとテープカットの準備をしてあります。先輩が挨拶をして、招待客の代表者にテープを切ってもらったらスタートです」
「俺が挨拶するのか」
「運営者ですから」
「俺にスピーチなんてできるのかな」
人前で営業説明をしたことはある。
だが、数百人に見られながら開店の挨拶をするのは、話が違う。
「適当に、今日は空が青いですね、とか言っておけばいいんですよ」
「それ、スピーチになってないだろ」
俺は声を上げて笑った。
小坂は何事もなかったように進行表を閉じる。
「なんか、どこかで聞いたことがあるような台詞だな?」
「気のせいですよ、先輩」
「そうか? まぁ挨拶は考えておくよ。頑張る」
打ち合わせを終え、俺は厨房へ戻った。
海路が進めていた仕込みを引き継ぎ、提供順に鍋と食材を確認していく。
食堂では配膳用のトレーが積まれ、受付では招待客と予約客の一覧が最終確認されていた。
時刻が九時を過ぎた頃、正面入口の方から珍田の声が聞こえた。
「朝倉さん、招待客が来ました!」
俺は手を洗い、厨房からロビーへ向かう。
自動扉の向こうでは、赤いじゅうたんの手前に三人の探索者が立っていた。
先頭の相原が俺に気づいて手を振り、森下と小野寺もこちらへ顔を向ける。
【新作のお知らせ】
新作『人間嫌いのハイエルフ、父になる』の連載を開始しました!
※ハイファンタジーです。要注意!
人間を嫌っていた長命種のハイエルフが、ひょんなことから人間の赤ちゃんを拾い、慣れない子育てに奮闘するお話です。
本人はあくまで一時的に保護しているだけのつもりですが、周囲から見ると、どう見ても父親になりつつあります。
本作とはまた少し違った、ほのぼのとした子育てファンタジーになっています。
楽しんでいただけましたら嬉しいです!




