第73話 正式オープン当日なんですが…①
6月30日、金曜日。午後9時。
総合試験場からダンジョン庁へ戻った日下部たち三人は、庁舎へ入るなり長官室へ呼び出された。
報告書を作り始める暇すらなかった。
呼び出しの理由など、考えるまでもない。
今日の件だ。
それも、真壁遼へ直接鑑定を依頼したことについてだろう。
長官室へ向かう廊下で、日下部は何度もネクタイの位置を直した。
隣を歩く篠塚は答弁用のタブレットを抱え直し、甲斐谷は緊張からなのかさっきから一言も話さない。
「課長、私たちまで呼ばれたということは……」
「言うな。俺も同じことを考えてる」
真壁への依頼は、管理課の判断で進めた。
総務庁や鑑定学会を通したとはいえ、あれほどの警護がつく人物を未知のスキル案件へ呼んだのだ。
手続きが足りないと叱られる程度で済めばいい。
そんなもやもやした中で、三人は長官の秘書官に案内され、長官室へ入った。
大きな執務机の向こうに、ダンジョン庁長官の瀬尾雅臣が座っていた。
白髪の混じる短い髪と細い目のせいで穏やかに見える。
そして机の上に置かれた紙束―――多分今回の報告をまとめた物は、既に最後まで読まれていたことがはっきりとわかった。
そして約30年前、真壁の政府対応に奔走した瀬尾副長官。
その息子が、今のダンジョン庁長官だった。
「遅い時間に悪かったね。座ってくれ」
三人が横一列に腰を下ろすと、瀬尾は紙束を指先で軽くめくった。
「聞いたよ。今日、真壁さんに会ったんだってね」
やはりそうか、と三人は視線を無意識に送り合った。
「……はい。現在、管理課で既存の分類に収まらないスキル所持者を扱っておりまして、その判定をお願いしました」
「そこは真壁さんの傍付きチームから連絡を受けている。急な依頼だったそうだが、本人も了承したと」
日下部は膝の上で手を組み、次の言葉を待った。
「しかし、驚いたよ」
瀬尾は背もたれへ体を預けた。
「真壁さんが、あれほど関心を示す探索者が現れたとはね」
瀬尾長官のまさかの言葉に、日下部は面を食らった。
「そ、その、関心を示したというのは、朝倉さんに、ですか?」
驚きで何も返せなかった日下部に代わって聞き返した篠塚へ、瀬尾が頷く。
「君たちも真壁さんのお立場は分かっているだろう。あの方は世界の鑑定界で頂点に立っているお方だ。政府も特別な立場だと認識しているし、真壁さんの意向には最優先で取り組む決まりがある」
日下部の隣で、甲斐谷がわずかに身じろぎをした。
三人とも、真壁が著名な鑑定士であり、政府の保護対象であることまでは知っている。
だが、その意向一つを政府が最優先で扱うところまでは知らされていなかった。
「……瀬尾長官、こちらの判断で真壁さんへ依頼してしまい、申し訳ありません」
日下部が頭を下げると、瀬尾はすぐに片手を上げた。
「いや、そのことは別にいい。むしろ、よく真壁さんへ相談する判断を下した。英断だったぞ」
まさかの瀬尾長官の言葉に日下部を除いた2人は「えっ?」と困惑の表情を浮かべた。
「それは…その……ありがとうございます」
叱責を覚悟していた日下部だけは、顔を上げるのが少しだけ遅れた。
「君たちは分かっていないだろうし、分かる必要もない。ただ、真壁さんが『面倒を見てやってくれ』と告げた事実は重い。これだけは理解してほしい」
篠塚も甲斐谷も瀬尾長官の言葉に返答する言葉が思い浮かばず、口を開けなかった。
「あの方は、特定の誰かへ関心を寄せることが本当に稀な人なんだよ。その真壁さんが面倒を見ろと言った。政府として、もう見ないふりはできない」
瀬尾は背もたれに預けていた身体を起こした。
「一方で、余計な介入はするなとも釘を刺されている。本人の自主性を重んじ、スキルを育てるようにと言われた以上、我々が使用方針へ口を出すべきではない。そう判断した」
日下部が篠塚を見ると、篠塚は続けて甲斐谷へ目を向けた。
甲斐谷だけが、長官を見たまま動かない。
監視を強める話でも、上の部署が案件を取り上げる話でもないことに三人は少しだけ驚いていた。
瀬尾は、その三人を順番に見た。
「今後は、君たち三人を朝倉君の窓口として指名する。それに伴い、組織変更を行う予定だ」
「そ、そこまでの対応が必要になるんですか?」
日下部の声が少し裏返った。
一人の探索者へ対応するために、庁内組織そのものを変えるなど聞いたことがない。
「そうだ。追って通達するが、日下部君。君はダンジョン管理部の……今は管理課長だったな」
「は、はい」
「次の昇進会議で、部長補佐兼、新設する室の室長に着任してもらう予定だ」
日下部の口が開いたまま止まった。
「日下部課長、昇進ですか?」
篠塚が思わず横を見る。
甲斐谷も、長官の前だということを忘れて日下部を見た。
「君たち2人も一段階、昇進してもらうぞ。日下部君1人に任せられる案件ではないからね」
篠塚が答弁用に持ってきていたタブレットを抱え直し、甲斐谷は天井へ視線を上げていた。
この時の瀬尾長官は、それが今後訪れる苦労への、先払いの詫びでもあることをあえて言わなかった。
父が現役だった頃から、真壁が関わった人間や事件が普通の範囲に収まったためしがない。
今回も、きっと…いや、それ以上に何かが起きる。
あの人は配信が有っても無くても、生きている限り必ず何か特大の事故を起こす人なのだ。
「詳細は後日通達する。それまでは今までの業務を進めてくれ。時期が来たら引き継ぎも必要になるから、今のうちに準備だけはしておくように」
「……承知しました」
日下部の返事に続き、篠塚と甲斐谷も頭を下げた。
三人は長官室を出て、扉が閉まってから数歩進んだところで立ち止まった。
「…なんでこうなった?」
日下部が誰にともなく呟く。
「多分、何かあったんでしょう。……私たち、昨日、鑑定をお願いしただけですよね?」
「そうだな。そのはずだ…そのはずなんだが…」
「…昇進はありがたいですけど、むしろ今後が怖いんですが……」
甲斐谷の言葉に、二人とも何も返せなかった。
◇
午前2時前。
俺と小坂は、いつもの駅前で配車アプリから呼んだタクシーを待っていた。
昼間は人の絶えないロータリーも、この時間は空車のタクシーが数台通り過ぎるだけだ。
俺は昨夜、総合試験場で起きたことを小坂へ話した。
「えっ、あの真壁さんが鑑定したんですか?」
「ああ。あの真壁さんだ。本物を見たのは初めてだったけど、昔の動画とほとんど変わってなかった」
小坂はスマホを持ったまま、こちらへ一歩詰める。
「真壁さんって、もう60歳近いですよね?」
「そのくらいのはずなんだけどな。俺と同い年くらいにしか見えなかったぞ」
昨夜の姿を思い出しても、年齢を重ねたようには見えない。
動画で見た頃より服装が少し落ち着いた程度だった。
「シオちゃんはいました?」
「ああ、いたぞ。きらきらしたマスコットみたいで、すごく可愛かった。でも帰り際に小僧呼ばわりされた」
「いいなぁ! シオちゃんに呼ばれるとか、めっちゃ羨ましいです!」
「小僧だぞ?」
「それでも羨ましいです」
小坂は俺の抗議を聞き流し、スマホでシオの動画を検索し始めた。
「それで、営業はしていいんですよね?」
「止められなかったから、大丈夫だろ。むしろ管理課の人たちに、今後も俺を支えてくれって頼んでた」
「そこまで頼んでいったんですか?」
「ああ。それより、真壁さんはオリジンスキルだって一発で見破ったぞ。俺が何も言ってないのにだ。あの人、やべぇな」
「そりゃそうですよ。世界で鑑定士と言えば、真っ先に名前が挙がるのが真壁さんですし」
小坂は、駅前へ入ってきた車のナンバーを確かめた。
「あの訳の分からない乗り物で世界中を移動しているレベルの探索者でもありますからね」
「そうだよなぁ」
ロータリーへ、配車番号の一致するタクシーが入ってきた。
俺たちは後部座席へ乗り、東京湾岸ダンジョンへ向かった。
◇
東京湾岸ダンジョンの受付を通り、俺たちは十階層を目指した。
階層を下りながら、俺は正式オープンの告知について小坂へ確認する。
「そういえば、告知はどうなってる?」
「一週間くらい前から、段階的に始めていますよ。営業日、入場券、食堂、宿泊の順で出しました」
「で、どのくらい埋まった?」
「もう売り切れです」
小坂の返事が、あまりにもあっさりしていた。
「今日の分が?」
「違います。最初の水曜日は営業にしたじゃないですか。初めての定休日は、その次の水曜日です。そこまでの営業日分、全部売り切れました」
「……絶好調で何よりだよ」
売り切れは嬉しいが、営業開始前から一週間以上先まで埋まるとは思っていなかった。
「みんなとも話したんですけど、入場券を持っている人しか入れない状態にするのもまずそうなんですよね」
「食堂だけ使いたい人や、当日空いた枠に入りたい人もいるからな」
「ですです。なので、予約とは別に一般入場待機券も用意しました。現地でずっと並ばなくても、順番が近づいたら分かるようにしてあります」
「なんにしても、大量のお客を捌くという意味では前回以上になりそうだな」
そんな話をしながら階層を下り、四時間近くかけて十階層へ到着した。
疑似太陽の淡い光が広がる湖畔層を、いつもの北側草地へ向かって歩く。
湿った草と湖水の匂いは、前に来た時と変わらない。
普段はほとんど誰とも会わないルートなのに、今日は前にも後ろにも探索者がいる。
二人組や四人組が、俺たちと同じ方向へ歩いていた。
「……まさかなぁ」
「まさかですよ」
小坂はそう返したあと、前方を歩く四人組と、その先の一団を順に数え始めた。
分かれ道を一つ過ぎても、前を歩く探索者たちは曲がらなかった。
さらに別の一団が横から合流し、全員が北側草地へ向かっていく。
森の脇を抜ける直前には、話し声が風に乗って聞こえてきた。
何人かが集まっている程度の音ではない。
むしろ喧騒だったり、人々のざわめきに近かった。
俺と小坂は、無言で顔を見合わせた。
森の端を抜ける。
「……は?」
北側草地から湖畔にかけて、人が埋め尽くしていた。
探索者装備の男女が何十もの集まりを作り、その後ろからも続々と人が増えている。
百人や二百人ではきかない。
「うそ……これ、全部うちの客ですか?」
「ははは。これは考えてなかった……」
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