第66話 湖畔休憩地の地上基地と七人の新人
土曜の午前、旧小坂鉄工所の主工場では、鉄骨の柱を淡い青色の光が這っていた。
黒瀬が連れてきた建物確認の担当者は、手のひらほどの検査用魔道具を柱へ押し当てている。
中央には小さな魔石がはめ込まれ、その横の透明な板へ、鉄骨内部のひびと腐食の深さが線と数字で映し出されていた。
担当者が魔道具を次の柱へ移すと、光は梁に沿って天井近くまで伸びていく。
数秒後、透明な板の表示が切り替わった。
「見た目ほど悪くないですね」
小坂は工場の中央から、錆の浮いた鉄骨を見上げた。
「本当ですか? 外から見ると、かなり古そうでしたけど」
「古いのは間違いありません。ただ、内部まで進んだ腐食や大きな亀裂は出ていません。柱も梁も、表面の錆が目立つ場所が多いだけです。屋根も補修した跡はありますが、昨夜の雨で新しく漏れた形跡は見当たりません」
担当者は検査用魔道具を床へ向け、土間コンクリートに入ったひびも調べた。
淡い光が割れ目の上をなぞり、透明な板へ深さが表示される。
「こちらも表面に近い軽微な割れです。補修材で埋めれば十分ですね。ここへ重い機械を置き直すなら話は別ですが、黒瀬さんから聞いている大型の仮設設備を中央へ置くだけなら、大がかりな工事はいらないでしょう」
工場の端には、使われなくなった作業台と金属棚が寄せられている。
古い旋盤も二台残っていたが、主工場の中央は大きく空いていた。
黒瀬が床へ引かれた黄色い印の外側を指した。
「残す物はあっちへまとめて、使わん物は処分だな。入口と照明、それから雨樋を直せば、ひとまず使える」
「思っていたより、ずっと少なく済みそうですね」
「前の社長が、使わなくなってからも最低限は見てたんだろ。完全に放り出された工場とは違うな」
小坂は工場の幅を端から端まで見た。
朝倉から聞いている宿泊施設の横幅は約二十四メートル、奥行きは十二・五メートルほどだ。
黄色い印で囲まれた範囲だけでも、入口前と左右に余裕が残っている。
「ここなら、予定している設備を中央へ置く分には問題なさそうですか?」
「柱へ寄せすぎなければな。置く時は中央にして、周りを歩ける幅も残したほうがいい。最初はそれで十分だろ」
建物確認の担当者も同意した。
「今日のところは、黄色い印の内側だけ使ってください。西側の床と古い配電盤の周辺には入らないように。正式に使い続けるなら、構造と電気はあらためて詳しく調べます」
工場の外へ出ると、車が通る場所と建物の周囲はコンクリートかアスファルトで舗装されていた。
土が露出しているのは、旧事務所の裏手と敷地の端に残った細い一帯だけだ。
もう一人の担当者は、その未舗装部分へ細い採取器具を差し込んでいた。
採った土を二つの容器へ分け、蓋を閉じる。
「土の方はどうですか?」
「目立った変色も異臭もありません。舗装部分にも、気になる染み出しは見当たりませんね」
担当者は二つの容器をケースへ収めた。
「この二か所は未舗装なので、念のため持ち帰って調べます。今すぐ使用を止めるような状態ではありません」
「では、今日は予定どおり使っても大丈夫ですか?」
「はい。工場内は、先ほど決めた区画を使ってください」
その後、四人は隣接する二階建ての旧事務所も確認した。
壁紙の変色や古い机は残っているものの、床が抜けているような場所はなく、窓もほとんど割れていない。
「こっちも掃除と補修で使えるな」
黒瀬は一階の元応接室の扉を何度か開閉した。
「鍵、照明、水回り、火災報知器。先に必要なのはその辺だ。見栄えは後回しにして、予約確認と荷受けができる部屋を一つ作れば、当分はそれで行けるだろう」
「十分です。最初から全部きれいにする予算はありませんから」
「分かってるさ。使う部屋と通路だけ先に直すよう、こっちで段取りしておくよ」
確認を終えた二人の担当者は、検査用魔道具と採取試料を車へ積み、先に敷地を出た。
「土を持ち帰ったのも、古い工場を使う前の確認手順だ。今のところ、大事になるようなものは見つかってないから、とりあえずだが聞いている範囲であれば問題もないだろう」
黒瀬の言葉に、小坂は工場中央の黄色い印を見た。
「分かりました。先輩にも、そのまま伝えます」
午前の確認は、主工場と旧事務所の限定使用なら可能というところで終わった。
未舗装部分から採った土の結果と、本格的な改修の範囲は、どちらもその先の話になった。
◇
俺が木場の鉄工所へ着いたのは、十四時を少し回った頃だった。
黒瀬たちの車はすでになく、開いた主工場の前で小坂が待っていた。
俺の車が止まると、小坂が黄色い線の引かれた通路を指す。
「先輩、そこから来てください。今日は黄色い印の内側だけ使います」
「そんなにまずいのか?」
「逆です。思ったほど建物は悪くありませんでした。床の割れも軽微で、補修材で埋めれば済むそうです。外の未舗装部分だけ、念のため土を持ち帰ってもらいました」
俺は黄色い線の中を通り、主工場へ入った。
午前中に見たダンジョン庁の駐車場より、はるかに広い空間が奥まで続いている。
工場の中央には大きな長方形の印があり、古い作業台や棚はその外へ寄せられていた。
「ここが使用可能区画です。休憩地を出すには十分だそうです」
「隣の建物はどうだった?」
「古いですけど、少し直せば使えます。黒瀬社長の方で、鍵と照明と水回り、それから消防設備の確認まで、必要最低限だけ先に進めてもらいます」
「いきなり全部は予算の都合上無理だし、それでいいと思う」
小坂は俺の鞄を見た。
「ダンジョン庁はどうでした?」
「建物も食事も見てもらった。今のところ、すぐ営業を止める理由はないそうだ。ただ、向こうでも確認することが多いから、後で連絡するって話になった」
「正式に問題なし、ではないんですね」
「そこまでは無理だった。でも、来月一日から本営業に入る予定なのは伝えてきた」
小坂は工場の柱に掛けられた時計を見た。
「では、連絡を待っている間に、こっちは予定通り進めましょう。七人を期限的に放置はできませんし」
「そうだな。さっさと始めるか」
俺たちは印の内側に入り、展開位置を見て回った。
柱も残置物もない。
入口の正面を合わせても、建物の左右と背面にかなりの余白ができる。
俺は【休憩地】を意識し、スキルを起動させた。
安全地帯は建物と入口前の動線が収まる最小範囲にする。
頭上にも左右にも、出現を妨げる物はない。
展開を確定すると、コンクリートの床へ淡い光が走った。
薄い境界が長方形の印の内側へ収まり、その中心に白い輪郭が浮かぶ。
次の瞬間、三階建ての宿泊施設が工場の中へ現れた。
屋根と工場の天井との間には、まだ数メートルの空間がある。
外壁の左右にも、人が並んで歩けるだけの幅が残っていた。
小坂が建物と工場の壁の距離感を目測で測る。
「こうして見ると、結構余裕ありますね」
「駐車場へ出した時は、あんなにでかく見えたのにな。建物内にすっぽり入るとそれはそれで小さく見えてしまう。不思議なもんだ」
「宿泊施設の中で研修する分には十分です。工場の空いた場所は、私たちが物資を置く区画に回せそうですね」
「そこは検査が全部終わってから考えよう。今日は全員、休憩地の安全地帯から出ないようにする」
靴底を入口前のマットでよく拭き、俺たちは施設へ入った。
ロビーには誰もいない。
営業日ではないため照明も最低限だったが、受付カウンターもソファも、湖畔で使った時と変わらず並んでいる。
「召喚はここでいいか」
「はい。七人そろったら食堂へ移りましょう。十二人だと、ロビーで立ち話は狭いです」
俺は従業員管理を開いた。
掲載期限を迎えた応募者名簿には、採用を決めた七人が残っている。
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