第64話 ダンジョン庁の実地調査(前編)
三人が動き出すまで、しばらくかかった。
日下部は「ちょっと待て」と言ったものの、それ以上は何も言えず、宿泊施設を見上げる。
一方で篠塚はタブレットを持ち替え、ようやく録画ボタンを押した。
最初に建物へ近づいたのは甲斐谷だった。
建物を見上げたまま数歩寄ると、さっきまで何もなかった駐車場の端と宿泊施設を何度も見比べている。
「……待ってください。これは、その…本当に建物なんですか?」
「多分…そうだと思いますが」
変な返しになった。
俺にとっては何度も使ってきた宿泊施設だが、こうしてダンジョン庁の駐車場に出すと、俺まで何をしているのか分からなくなる。
篠塚は構えていたタブレットを下ろし、周囲を何回も見渡した。
「映像もそうですけど、この目で見ても他の建物と重なっているようには見えません。窓にも庁舎が映っています」
「確かに…それに影もしっかりとあるな」
日下部は建物の影を靴先で確かめたあと、俺を見た。
「朝倉さん。中へ入れるんですか?」
「もちろんです。とりあえず、中で確認しませんか」
俺は三人を入域承認の対象に加えた。
入口へ向かおうとすると、甲斐谷がその場から動かない。
「その前に、安全地帯を確認させてください」
俺が足を止めると、甲斐谷は建物を囲む光へ目を向けた。
「先ほど、許可していない人間は入れないと説明されました。許可を受けていない我々が進もうとしたら、どこで止まるんです?」
確かに、そこは見逃せない確認ポイントである。
「分かりました。一度、三人の入域承認を取り消します」
俺は今加えたばかりの名前を承認対象から外した。
駐車場には、宿泊施設を囲む淡い光の円がまだ残っている。
「その光の境界へ触れてみてください。ただ、勢いをつけて突っ込むのはやめてくださいね」
甲斐谷が最初に境界へ近づいた。
片手を伸ばすと、何もない空中で手のひらが止まる。
「……何かある」
もう片方の手も当てて、体重をゆっくりとかける。
腕は前へ伸びているのに、靴底だけがアスファルトの上でわずかに滑った。
篠塚も隣へ並び、指先からゆっくり触れた。
「壁ですか?」
「見えませんけど、そんな感じです」
篠塚は手のひらの位置を上下に動かした。
光の円の上には何も見えないが、どこへ動かしても同じ場所で止められる。
日下部は二人から少し離れた場所を選び、境界へ拳の甲を押し当てた。
「こちらも同じだ。隙間はなさそうだな」
「上はどうなっているんでしょう」
甲斐谷が建物の屋上より上を見た。
「このまま境界が上まで続いているのか、それとも一定の高さで閉じているのか。新手の結界術やスキルにしても、これだけ広いものは聞いたことがありません」
篠塚は境界に手を当てたまま、俺へ顔を向ける。
「測定器を持ってきて、反発の強さを調べることはできますか?」
「可能なら、物理衝撃と魔力干渉の両方を試したいですね」
甲斐谷はすでに試験内容を考え始めていた。
「破壊行為は勘弁してください」
俺が止めると、甲斐谷は境界から両手を離した。
「壊すことが目的ではありません。どこまで耐えられるか分からないものを、安全設備とは呼べませんから」
「今のところ、十階層にいる魔物は入ってこられない程度には強いです。ワイルドボアが突っ込もうとしても、境界の中には入れませんでした」
「十階層の魔物まで止められるのに、強度は分からないんですか?」
痛いところを突かれた。
使い始めた頃は、魔物が近づきたがらないだけだと思っていた。
今では人間も止められるし、境界に触れれば見えない壁のように押し返される。
けれど、何トンまで耐えられるのかと聞かれても、試したことがない。
「正確なところは、俺も確認していません」
日下部の視線がこちらへ向く。
「確認する方法は?」
確認する方法と聞かれて俺は少しだけ考える。
その時、あの白いアレが頭の中に浮かんで来た。
「そうですね……聞ける相手はいます」
俺は宿泊施設の方を向き、ガイドアシストを呼び出した。
目の前に白い光が集まり、バレーボールほどの球体になる。
音もなく浮かび上がったガイドアシストを見て、境界の前にいた三人がそろって一歩下がった。
『お呼びになりましたか』
「な、な、しゃべった……」
篠塚の手からタブレットが傾いた。
甲斐谷はガイドアシストと俺の間へ視線を何回も往復させる。
「あ、朝倉さん…それは何です?!」
「このスキルの使い方を案内してくれる、アシスト機能みたいなものです」
「あ、アシスト機能????」
職員三人は信じられない物を見て、そして説明を受けてそれ以上、喋り出すことが出来なかった。
少しだけ沈黙の時間が続き、ようやく三人は我に返る。
「……スキルに、その、質問へ答える機能? が付いているんですか??」
「はい。私も分からないことがあると、たまに聞いています」
日下部は白い球体の周囲を半周した。
ガイドアシストは日下部を避けることもなく、同じ高さに浮かんでいる。
「こんなものは聞いたことがないぞ。そもそも、これは本当にスキルなのか?」
「私のスキルを使うと出てくるので、そうだと思っています」
返事をしながら、自分でも頼りない説明だと思った。
篠塚がガイドアシストを見ながら言った。
「なんか……あの人のスキルに、少し似ていますね。中身は全く違うんですけど、何と言うか、不気味さっていうか…」
甲斐谷が「あの人」と言う言葉にピンと来たのかすぐに反応した。
「……あぁ、何となく言ってることわかるかも。あの人の能力も、判定上は確かにスキルなんだけど、スキルの皮を被った何かに思える時がある。これは、それとよく似ています」
何の話か分からなかった。
二人とも俺へ説明するつもりはなさそうなので、俺はガイドアシストへ向き直る。
「安全地帯の境界は、どの程度の攻撃まで耐えられる?」
『安全地帯の境界に、通常設備と同じ耐久値は設定されていません』
甲斐谷の眉がその言葉に僅かに反応した。
『入域権限を持たない対象による通過、接触および攻撃干渉は遮断されます。ただし、管理権限を上回る干渉、展開維持条件の喪失、管理者による解除は別処理となります』
「すいません、わかりやすく言うと、つまり、攻撃を受けても壊れないということですか?」
篠塚の問いに、ガイドアシストがわずかに向きを変えた。
『境界は破壊可能な構造物ではありません。現行環境における破壊試験は推奨しません』
甲斐谷は口を開いたが、日下部が先に言った。
「今日はやめておこう。少なくとも、駐車場で試す内容ではない」
「……それは、そうですね」
甲斐谷も庁舎と宿泊施設の距離を見て、境界から二歩離れた。
俺は三人をもう一度入域承認へ加えた。
「今度は入れます。どうぞ」
甲斐谷が先ほど止められた場所へ足を出す。
今度は何の抵抗もなく、光の境界を越えた。
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