第60話 正式オープンへの準備(前編)
金曜の終業後、俺は一人で黒瀬工務設備へ向かった。
小坂は来ていない。
旧小坂鉄工所の登記や契約、今後必要になる書類を調べたいと言って、今日は会社から別々に帰っていた。
作業場のシャッターは半分ほど開いていた。
中では黒瀬が、作業台に置かれた配管部品の寸法を確認している。
「黒瀬さん、今いいですか?」
「おう。朝倉一人とは珍しいな。小坂はどうした?」
「土地の書類を調べています。その件も含めて、今日は報告したいことがあって」
黒瀬は手にしていたノギスを作業台へ置き、奥の事務机を顎で示した。
「聞こうか」
俺は丸椅子に腰を下ろした。
どこから話すべきか迷い、最初に【休憩地】が発現した日のことから話し始める。
十階層で偶然見つけたのは、数メートルしかない安全地帯だった。
そこから、ホームセンターで黒瀬と再会してシャワーユニットを相談し、小坂が加わって探索者が増え、宿泊施設と異界人材雇用へ進んだところまでを順番に話した。
黒瀬は途中で口を挟まずに聞いていた。
「それで、俺も小坂も会社に退職願を出しました」
「……会社を辞めるのか」
「はい。引き継ぎと有給消化が残っていますけど、終わったら湖畔休憩地を本業にします」
黒瀬の視線が、作業場の中央へ向いた。
そこは何度も【休憩地】を展開し、設備や宿泊施設を確かめた場所だった。
「最初は、ダンジョンの中に椅子と水場を置きたいって話だったよな」
「そうでした」
「それが会社を辞めて、宿屋の主人になるのか。ずいぶん遠くまで来たもんだ」
自分でも、同じことを思う。
ほんの少し前まで、会社を辞めることも、宿泊施設を運営することも考えていなかった。
「もう一つあります。地上で【休憩地】を展開するための拠点を、購入することになりました」
俺はスマホで旧小坂鉄工所の写真と資料を見せた。
写真には、塩浜九丁目の敷地と古い鉄骨工場、高い天井、残されたクレーンレールが写っている。
小坂家と二十年払いの譲渡方針で合意し、これから鑑定と調査を入れることも説明する。
「土地まで買うのか」
「小坂が祖父から相続した土地です。今の宿泊施設が工場の中に収まります。黒瀬さんの作業場では、もうぎりぎりなので」
「思い切ったことしたなぁ……」
黒瀬は写真を一枚ずつ送り、主棟の外観で指を止めた。
「でも、若いからこそ、その勢いってのは大事だ。それも勝負事ならなおさらな」
「そこまで大きな勝負を始めた実感は、まだないんですけどね」
「会社を辞めて、自分の金で土地を持って、客を相手にするんだ。立派な勝負だろ」
黒瀬はスマホを俺へ返した。
「もちろん、俺にできることは全面的にバックアップする。建物の確認も改修も、設備のこともだ。必要な業者がいるなら、こっちで声をかける」
「黒瀬さん……ありがとうございます」
「ただし、工事として請けるものは請求書を出すぞ。お前が本業にするなら、こっちも仕事として付き合わないとな」
「それは当然です」
「もう少ししたら、お前はうちの顧客になるわけだ。俺はそれが楽しみなんだよ」
黒瀬の言葉に目頭が熱くなった。
退職願を出した時から、俺の判断が正しかったのかという不安は消えていない。
それでも黒瀬は、無謀だとも考え直せとも言わず、これからの付き合いを楽しみだと言ってくれた。
俺は一度息を整え、旧小坂鉄工所の住所を黒瀬へ送った。
「まず、建物を見てもらえませんか。耐震や配線、雨漏り、消防設備、それからアスベストと土壌も気になっています」
「土壌は専門を入れないと駄目だ。鉄工所なら油も薬品も使ってる。明日の朝なら、現場を分かる職人を一人連れて見に行ける」
「助かります」
「先に言っておくが、見ただけで全部に太鼓判は押せねえぞ。明日は人を入れていい場所と、触るなって場所を分けるところまでだ」
「それで十分です。安全が確認できなければ、【休憩地】も出しません」
黒瀬は満足そうに頷いた。
「浮かれて順番を飛ばしてないならいい。さあ、工場の図面を送れ。今夜のうちに見ておく」
俺はもう一度頭を下げた。
湖畔休憩地が小さな椅子と水場だった頃から、黒瀬には何度も助けられてきた。
その関係が、もうすぐ相談相手と協力者から、正式な取引相手へ変わる。
俺もいつまでも、好意に甘えているだけではいられない。
◇
その日の夜。
小坂はいつものようにコンビニ袋を提げ、俺の部屋へやって来た。
テーブルの上には、小坂のノートパソコンと俺たちのスマホが並んでいる。
「黒瀬社長、何て言ってました?」
「全面的にバックアップするって言ってくれた。明日の朝、工場も見に来てくれる」
「さすが黒瀬社長です!」
小坂は嬉しそうに頷き、ノートパソコンを開いた。
「では、こっちも進めますよ。まず、Yで湖畔休憩地の公式アカウントを取りましょう」
「ようやく謎の宿泊施設を卒業できるな」
「その呼ばれ方、もう手遅れなくらい広がっていますけどね」
「聞きたくないなぁ」
「あとで嫌でも見てもらいます。その前に、入場券の販売ページです」
小坂がブラウザを切り替えると、白と深緑を基調にしたWEBページの試作画面が表示された。
上部には《湖畔休憩地》という文字があり、その下に営業日、利用区分、入場券購入の項目が仮置きされている。
「もう作ってるのか?」
「大学時代の友達に、こういうページを作る仕事をしている子がいるんです。詳しい事情は伏せて、予約制宿泊施設のページとしてお願いしました」
「仕事が早いな」
「正式な料金や注意事項はこれからですけど、土台は先に作れますから」
小坂は試作ページと、スマホの湖畔休憩地アプリを交互に見た。
「ただ、WEBで入場券を売っても、こっちへ手作業で移すのは嫌なんですよね」
「俺も嫌だな。人数が増えたら絶対に間違える」
「なので、ガイドアシストに聞きます。先輩、出してください」
俺は【休憩地】を開き、ガイドアシストを呼び出した。
光の球がテーブル上に浮かぶ。
『お呼びになりましたか』
小坂はノートパソコンをガイドアシストへ向けた。
「今、Yの公式アカウントと入場券販売用のWEBページを作っています。この販売ページと休憩地運営管理アプリを紐づけたいんです。何とかなりませんか?」
『少々お待ちください。現在、外部情報との連携可否を照合中です』
光の球の周囲に細い輪が現れ、ゆっくり回り始めた。
俺と小坂は黙って待つ。
一分ほどすると、二人のスマホに同時に通知が表示された。
――――――――――――――――――――
【休憩地運営管理アプリ】
表示種別:外部WEB連携
対象施設:湖畔休憩地
連携情報登録欄:追加済み ★新規
登録対象:
・公式WEBページ
・入場券販売ページ
反映可能情報:
・購入者識別情報
・購入した利用券の区分
・利用日
・利用人数
・決済完了情報
連携先:未登録
拡張対象:宿泊券、食事券、商品引換券等 ★新規
注意:外部決済契約、法定表示、返金処理は運営者側で設定してください
――――――――――――――――――――
『運営管理アプリへ、連携を希望するWEBページの情報登録欄を追加しました』
『登録欄へ必要情報をアップロードし、連携先で発行された購入情報の受け渡しを許可してください』
『販売された入場券は、入場券管理および予約管理へ反映できます。今後、販売項目を拡張した場合も、対応する利用区分または商品情報と紐づけ可能です』
「おお……できるのか」
「さすがオリジンスキル様々です!」
小坂は両手を合わせ、光の球を拝んだ。
『外部サービスの保守および決済上の責任は負いかねます』
「そこは現実的なんだな」
「何でもスキル任せにはできないってことですね。友達にも、この登録方式に合わせて調整できるか確認します」
小坂は試作ページを閉じ、今度はカレンダーを開いた。
「次は営業日です。もう金曜ですし、今週末の営業はスキップしましょう」
「いいのか? 一週間空くぞ」
「予約窓口も入場券もないまま開けたら、噂を聞いた人が押しかけます。正式オープン前に一度休む方がましです」
「確かに、準備期間を作るって決めたばかりだしな」
「ですです。月末までに、WEBページ、入場券、料金、スタッフ研修を終わらせます。最終出社日の翌日からは有給消化に入るので、そこを実質的な毎日営業の開始日にしましょう」
「正式な退職日は、有給を使い終わったあとだけどな」
「会社へ行かなくてよくなる日から、湖畔休憩地が本業です」
俺はカレンダーを見た。
今まで営業できなかった平日に、営業予定が並ぶことになる。
「毎日営業するにしても、定休日は作っておいた方がいい」
「私も賛成です。先輩、休ませないと料理の試作を始めて、そのまま厨房に住みそうですから」
「おいおい。さすがに住まないぞ」
俺は小坂のツッコミに思わず苦い顔を見せた。
「では、今のところ水曜日を定休日にしましょう。週の真ん中で仕入れ、設備確認、WEB更新もできます」
「水曜休みで、週六日営業か」
今までの週末限定から考えれば、一気に営業日が三倍になる。
売上が増える期待より先に、俺の頭の中では料理、清掃、宿泊、夜間対応を回す人数が気になりだした。
「と、なるとだな。スタッフも増員しないと無理だなこりゃ」
「そういえば先輩、追加募集の応募者名簿、もう確認しました?」
初回営業一日目を終えた土曜の夜、異界人材の追加募集告知だけは出していた。
厨房で仕込みや調理に入れる人を最優先にし、清掃や案内、休憩交代を手伝える人も候補に入れてある。
前回と同じ一般人材枠で対象を人間に絞り、告知費用として千ポイントを使っている。
三日後の火曜には応募者名簿が届いたと通知されていたが、土地と退職の話が続いて、内容まではきちんと確認できていなかった。
俺は小坂に促されて通知欄を開いた。
「火曜に来てた。応募者は七人だ」
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