第58話 木場の工場跡地(前編)
「土地って、なんでまた」
さっきまでスマホの中にある売上や予約枠を見ていたはずなのに、急にガラリと話が変わった。
小坂は俺の反応を予想していたらしく、ローテーブルに置いていたノートパソコンを自分の前へ引き寄せた。
「このスキル、レベルが上がるたびに建物が大きくなっていますよね」
「まあ、そうだな。最初は屋根もない休憩場所だったのが、今は三階建てだ」
「これから先も成長するなら、もっと大きくなる可能性があります。そこで一番困るのが、地上で自由に展開できる場所がないことです」
「地上なら黒瀬さんのところで出してるぞ」
「先輩、発動できない、という意味じゃないですよ。今の施設を人目に触れさせず、必要な広さで出しておける自前の場所がない、という意味です」
小坂はノートパソコンを開きながら続けた。
「今は黒瀬社長の作業場を借りていますけど、建物はもう敷地ぎりぎりです。これ以上大きくなったら、試すだけでも場所を探さないといけません」
小坂の言葉に俺は、黒瀬の作業場に三階建ての宿泊施設を出した時の光景を思い出す。
安全地帯の範囲を絞り、資材の置き場を避け、それでも施設の外壁と作業場の端にはたいした余裕がなかった。
「敷地の問題だけじゃありません。【休憩地】が何を出せるのか、新しくどんな機能が増えたのか。毎回どこかを借りて確認していたら、それだけこのスキルの秘密を知る人が増えるかもしれません」
俺は小坂の言葉に「ぬぬぬ」と声を思わず漏らす。
「……秘密を守るための場所も必要ってことか」
「ですです。このスキルを十全に使うなら、広さと秘匿性の両方が要ります」
俺は返事をせず、テーブルの上に置かれた二台のスマホを見た。
片方には最上位管理者、もう片方には管理者と表示されている。
《湖畔休憩地アプリ》ができた今後は、予約や在庫の確認も地上で行うことになる。
それなのに、肝心の施設を出して確認する場所は借り物のままだ。
黒瀬が迷惑だと言うとは思わない。
だが、だからといって、いつまでも頼り続けていい理由にはならなかった。
「必要なのは分かった。でも、土地なんて簡単に買えるものじゃないだろ」
「先輩。実は、心当たりがあるんです」
小坂の返事は早かった。
ノートパソコンの画面に地図アプリが開く。
「半年くらい前に、祖父が亡くなりまして」
「それは知らなかった。悪かったな」
「ありがとうございます。それで相続の時に、大問題な土地を家族の中で、私が引き取ることになったんです」
「ぬ? 小坂、お前がか?」
小坂はちらっとこちらを見つつ、PC上の地図は東京の東側へ動き、江東区の一角で止まった。
「もしかしてお前、その大問題を俺に売りつけようとしてないか?」
「まぁ普通なら、そう聞こえますよね」
小坂は否定せず、タッチパッドを操作して地図を拡大した。
「でも、【休憩地】を知った今なら、むしろ使える土地じゃないかと思ったんです」
画面に表示されたのは、木場駅から南へ下った塩浜九丁目だった。
運河沿いに倉庫や事業所が並び、太い道路の近くに大きな屋根が見える。
「祖父はここで小坂鉄工所をやっていました。工場を畳んだのは十三年前ですけど、土地と建物はそのまま残っています」
地図上に示された土地は思いのほか大きい。
「結構広いな」
「約四百坪です。建物は古いですけど、鉄骨の加工をしていたので、中に大きな天井クレーンを入れていたそうです」
小坂が航空写真へ切り替えた。
敷地の大半を占める長方形の屋根と、その横に小さな建物がある。
「主棟は横が三十八メートルくらい、奥行きが二十八メートルくらい。中に二階や三階はなくて、五階建ての建物が入るくらいの高さまで吹き抜けです」
俺は頭の中で、黒瀬と確認した宿泊施設の寸法を重ねた。
横二十四メートル、奥行き十二・五メートル、高さ十・五メートル。
数字どおりなら、工場の中へ施設全体を出しても、周囲に点検用の空間が残る。
「それに、東京湾岸ダンジョンの入口は青海じゃないですか。ここからなら近いです。道路が空いていれば、車で二十分前後ですよ」
「……確かに、場所だけならかなりいいな」
地上で施設を展開して、そのまま資材や備品を確認できる。
改修が済めば、外の道路からスキルの光や建物を見られる心配も減らせる。
湾岸ダンジョンへ物を運ぶ時も、遠い郊外に拠点を持つより都合がいい。
ただし、画面の右下に出ている周辺の売地情報には、桁の多い数字が並んでいた。
「だが、小坂。ここ江東区の湾岸地区だぞ? 場所が場所だけに高いだろ」
「もちろん高いです」
「迷いなく言ったな」
「でも、今の売上を基準にして、退職後に営業日を増やしていくなら、手が届かない金額ではないと思います」
小坂は別の資料を開いた。
固定資産税、相続時に必要だった支払い、建物の維持費が年ごとに並んでいる。
「名義は祖父の遺言で私になっています。相続の時の支払いは両親にも立て替えてもらいました。両親は、そこを回収できて、今後の税金と管理費がなくなるなら助かると言っています」
「となると…もしかして分割でもいいってことか?」
「はい。現況のまま引き渡す代わりに、支払いは長期で相談できます。家族だけで決めずに、ちゃんと不動産の鑑定と契約を入れるのが条件ですけど」
相場どおりの土地を一括で買えと言われたら、その場で話は終わっていた。
だが、売り急いでいる小坂という身内から長期分割で買えるなら、条件は大きく変わる。
もちろん、古い鉄工所なら建物の補修だけでなく、地面に何が残っているかも調べなければならない。
「とりあえず、見に行くことはできるか?」
「そう言うと思って、鍵を持ってきています!」
小坂は鞄の内ポケットから、黒い札のついた古い鍵を取り出した。
金属部分がテーブルに当たり、小さく鳴る。
「売りつける気満々だったんだな」
「何言ってるんですか先輩! 有望な買い手への事前準備です」
「お前、言い方を変えても同じだろ」
小坂は鍵を握ったまま、にししと笑った。
俺は小坂の笑顔に思わずため息をついた。
「とりあえず、今から見に行くか」
「はい!」
返事と同時に、小坂はタクシーアプリで配車場所を探し始めた。
◇
夜の塩浜は、住宅地よりも大型車の走行音が周囲を満たしていた。
そして幹線道路から一本入ると、明かりの落ちた薄暗い倉庫と事業所が並んでいる。
配車した車を降りた俺たちは、錆の浮いた門扉の前に立った。
門柱には、文字の薄れた《小坂鉄工所》の看板が残っていた。
敷地の奥には、古い板に覆われた鉄骨造の工場がある。
閉じた大型シャッターは、トラックがそのまま入れそうな幅だった。
「外から見ると、なかなかだな」
「相続の書類を見た時、私も同じことを思いました」
決して褒めてはいない。
雑草の伸びた空き地には、雨除けのシートをかけた資材と、用途の分からない鉄枠が残されている。
工場横の二階建て事務所も、窓ガラスこそ割れていないが、壁はくすんでいた。
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