第54話 俺たちの転換点(後編)
小坂の動きが途中で止まった。
喋りかけた、その先を被せる俺の言葉に驚いた表情を見せていた。
手に持っていた紙パックが、膝の上で少し傾く。
「いやさ、湖畔休憩地って、俺だけで作り上げたわけじゃないだろ?」
俺は少しだけ視線の置き所を探しつつ、そして言葉も探しながら続けた。
「俺と、お前と、この二人……いや、黒瀬さんもか。三人でここまできたわけじゃないか。黒瀬さんには設備のことで助けてもらったし、小坂には受付も予約も運営も、何度も、それは何度も助けられた」
「……」
「だからさ、一緒にやろうぜ」
小坂は紙パックをベンチ脇に置いた。
笑っていない。
そして正面から俺をじっと見る。
「それって先輩、先の見えないこの事業に私を誘って、一緒に死んでくれって言ってるようなものですよ?」
「そうだな」
俺は頷いた。
ここで格好つけても仕方がない。
ダンジョン内の宿泊施設なんて、普通の事業計画書に書けば一行目で止められる。
『それは危険だからやめろ』と。
しかも基盤は、世界初確認級のオリジンスキルだ。
だけど。
だけど、俺はこの想いを言葉にする。
「砕け散る時はさ、一緒に砕けようぜ!」
小坂の顔が一瞬だけ止まった。
次の瞬間、前かがみになって笑い出す。
「あはははは! 先輩、サイテー!!」
「いや、そこまでか?」
「最低ですよ。もう、ほんと最低です。普通、そこはもっと夢のある言い方をするところです」
「夢はあるだろ。このスキルの結末を見るとか」
「一緒に砕けようぜ、で締める人が言う台詞じゃないです」
小坂は笑いながら、少しだけ涙目になって人差し指で涙を掬う。
そのあと、髪を耳にかけ直す。
「でも、まぁ……ダメダメな先輩だと、宿泊施設なんて運営できないでしょうしね。すぐに厨房の方ばかり目が行って、受付と予約と人員配置が置き去りになって、気づいたら食堂だけ繁盛して宿泊がダメになるのがオチです」
「…ぐぬぬ。否定できない自分がいる」
「そこ、ちゃんと自覚してください」
小坂はそこで、いつもの調子を取り戻すように笑った。
「しょうがないですね。そんなダメダメの先輩には、優秀な部下が必須でしょうし」
「部下でいいのか?」
「そこは今後の待遇次第です」
「急に現実に戻すな」
「大事ですよ。事業ですから」
小坂は人差し指を立てる。
「ただし! 私、高いですよー?」
「……ちなみにどのくらい?」
「湖畔ポイント一万」
「いきなり高くないか!?」
「それも日額っ!!」
今度は俺が声を出して笑った。
公園の向こうで親子がこちらをちらりと見たので、慌てて声を抑える。
「日額一万は、今後の異界人材たちが泣くぞ」
「それくらい優秀ってことです。受付、予約、入場承認、宿泊枠管理、Yの監視、先輩の厨房暴走止め。全部込みですから」
「高いなぁ」
「お安くしてます」
「どこがだ」
俺は笑いながら、でも、そこで姿勢を正した。
冗談の形を借りてくれたから、言えることがある。
小坂が逃げ道を残してくれたから、まっすぐ頼める。
「分かった。それで契約しよう」
小坂の笑みが少し止まった。
「だからさ、小坂」
俺はベンチの上で身体を小坂へ向けた。
「お前が必要なんだよ。付いてきてくれ。頼む」
頭を下げる。
会社の後輩に、こんな場所で頭を下げることになるとは思わなかった。
こよりと井瀬川を動かしていた小坂を思い出すと、ここで軽く言って済ませることはできなかった。
「……まぁ、いいでしょう」
小坂の声が頭上から降ってくる。
「先輩、最後まで面倒見てくださいね!」
俺は顔を上げた。
小坂は、いつもの明るい顔でこちらを見ている。
でも、その目だけは週末の受付カウンターに立っていた時と同じだった。
「あぁ。約束する」
俺は右手を差し出した。
「見ようぜ。この湖畔休憩地の行く末を」
小坂は俺の手を見た。
少しだけ迷うような間があって、それから手を重ねる。
握手は、思っていたよりしっかりしていた。
「はい。見届けましょう」
俺はその手を握ったまま、ニヤリと笑った。
小坂も照れたように口元をゆるめる。
土曜の朝、宿泊施設を前にして震えた時とは違う。
今度は、こっちから次の扉を開けに行く時が来た。
手を離すと、小坂は小さな声でつぶやいた。
「……先輩、今のって他に聞く人がいれば、百人中百人がプロポーズだって言うの分かってるのかな」
「ん? 小坂、何か言ったか?」
「いいえ。なんでもありません」
小坂は急にストローをくわえ、カフェオレを飲み始めた。
なぜか少し機嫌が悪そうに見える。
「なんで急に機嫌悪くなってんだ? 俺、何かしたか?」
「もー、先輩にはデリカシーってものがないんですか?」
「今の流れで、俺に何が足りなかったんだ?」
「そういうところです」
「どういうところだよ」
小坂は答えず、サンドイッチの残りをひと口で食べた。
その頬はまだ少し赤い。
俺はよく分からないままお茶を飲み、会社へ戻る時間をスマホで確認した。
昼休憩はもう半分以上を過ぎている。
会社員としての午後の仕事は、まだ残っている。
けれど、ベンチの上で交わした握手は、その先の週末だけではなく、そのさらに先へ続いていた。
そして湖畔休憩地は、新たな場面へ進むことになった。
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