第53話 俺たちの転換点(前編)
月曜日の昼休憩、俺と小坂は会社から少し歩いた公園にいた。
駅前の定食屋はどこも混んでいたし、社内の休憩スペースで週末の営業反省会をする気にはなれなかった。
コンビニで買ったおにぎりとお茶を膝の上に置き、ベンチの前にある低い植え込みを眺める。
少し離れた広場では、親子がキャッチボールをしていた。
平日の昼間なのに、ここだけは職場とは違った別の時間が流れているみたいだった。
小坂はサンドイッチの袋を開け、紙パックのカフェオレにストローを刺す。
その動作がいつもより少しだけ遅いように感じる。
俺も似たようなものだ。
日曜の夜に帰って、風呂に入って、寝たはずなのに、身体の奥にまだ疲れが残っていた。
「昨日はお疲れ様」
「お疲れ様でした。いやぁ、ほんとにお疲れ様でした」
小坂は一口目のサンドイッチを食べる前に、深く息を吐いた。
「異界人材との初接触だったが、問題は何もなく、無事終わってよかった」
「ですです。そういう意味では成功したと思います。こよりちゃんたちも、思った以上にちゃんと働いてくれましたし」
「だな。だが一方で、色んな課題が見えてきた」
「そうですね…」
小坂は紙パックをベンチ脇に置き、スマホを取り出した。
だが画面は開かず、手に持ったままだった。
それを俺は横目で見つつ、話を切り出した。
「まずは客足だな」
「想定外の利用客が流れてきましたね」
「ダンジョン都市と比較すると雀の涙以下なんだろうが、一つの宿泊地という意味で考えると、かなりの需要があった」
「宿泊地、休憩所、食堂、シャワー、全部ひっくるめてですけどね。利用者側からすると、十階層であれだけまとまって使える場所があるだけで、かなり大きいんだと思います」
「あぁ。もともとダンジョン都市の物価が高すぎたんだろうな。そこに、うちみたいな新しい宿泊地が出てきた。都市全体から見ればほんの一部でも、うちの規模から見たら一気に流れ込んできた形だ」
「周囲で見ているだけの探索者も多かったですからね。あの人たちが次回週末に利用側へ回るのか、また様子見だけで来るのか、それとも仲間を連れてくるのか。正直、読めません」
「次回週末はどうなるか見当もつかないな」
「ほんとそれです」
「そういえば、Y見たか?」
「見ました。謎の湖畔ホテル、ですよね」
「相変わらず、情報拡散力がすごいよな。値段も利用区分も、ほぼ全部載ってた」
「食堂のみは料理代、一時休憩は何分いくら、シャワーの初回時間、屋外臨時休憩の料金、宿泊予約制まで書かれてました。あれ、利用した人だけじゃなくて、外で見ていた人の投稿も混ざってますね」
「よく見てるなぁ」
「受付担当なので」
小坂はそこで少しだけ得意げに笑った。
「概ね評価されてましたよね。地上と比べるともちろん値段は高いけど、ダンジョン都市の中央広場で休むより安い。食事がちゃんとしている。シャワーが使える。安全に仮眠できる。そういう声が多かったです」
「ありがたい話だ」
「ただ……」
小坂はそこで言葉を止めた。
「ずっと週末営業、続けられないですよ? このままじゃ」
表情は真剣だった。
俺はおにぎりの包装を膝の上で丸めたまま、しばらく何も言えなかった。
「そうだな。それは俺も考えていた」
公園の向こうで、ボールがグローブに収まる音がした。
親子の笑い声が少し遅れて届く。
「先輩は……どうしたいんですか?」
小坂がこちらを見た。
責める口調ではない。
ただ、週末の二日間を一緒に頑張った人間として、俺の答えを待っていた。
「そうだな……」
俺は膝の上の包装をコンビニ袋に入れ、指先についた海苔の欠片を払った。
「最初は、このスキルの凄さもよく分からずに始めたんだよ。面白そうだな、くらいで」
「キャンプ地でキャンプしてるレベルでしたもんね」
「そうそう。湖のそばにテーブル出して、ご飯を作って、誰かが休んでくれたらいいなって、そのくらいの視野でしか考えてなかった」
最初の湖畔を思い出す。
草地に置いた簡易テーブル。
持ち込んだ調理器具。
そして調理するごとに周囲に放たれていく食材の匂い。
あの時は、宿泊施設どころか、受付アプリも異界人材も想像していなかった。
「でも、すぐに客が来て、スキルもレベルアップして、同時にやれることが増えた。受付、シャワー、水場、倉庫、極めつけは宿泊型ルート。それでいつの間にか、スキルで宿泊施設を建てられるようになった」
俺は小坂へ視線を戻す。
「ここ一ヶ月程度の話だぞ。信じられるか?」
「すごい速度で進化してますよね、休憩地スキルは」
「あぁ。付いていくのがやっとって感じでさ」
それは本音だった。
通知が出るたびに新機能が増え、利用者が増えるたびに必要なものも増える。
できることが増えるほど、できていないことも同じだけ見えてしまう。
「でも一方で、手応えもめちゃくちゃあった。色んな人が使ってくれて、ありがとうって言われて、おいしいですって言われて。水場が助かるとか、シャワーで生き返ったとか、部屋で眠れるのが信じられないとか。苦労した分、何倍も返ってくるんだよ。その嬉しさが」
自分で言っていて、少し照れくさくなった。
けれど、ここをごまかすと、先に進む理由までごまかすことになる。
俺は遠くでキャッチボールをしている親子へ視線を移した。
父親らしき人が、少し山なりの球を投げる。
子どもはグローブを胸の前に出し、受け損ねたボールを追いかけて走った。
「ここまで来たらさ。見てみたいんだよな」
「……何をですか?」
「このスキルを使って、どこまで行けるか。そして、その結末を」
小坂はすぐには返事をしなかった。
俺も続けるタイミングを探し、誤魔化すかのようにコンビニ袋の口を結んだ。
「だからさ、俺。会社辞めようかと思う」
言葉にすると、思っていたよりあっさりと出た。
小坂は驚かなかった。
目を見開くでもなく、声を上げるでもなく、ただ紙パックのストローから口を離し、広場の方へ視線を向けた。
「人材雇用も目途が立ったし、行けるところまで行きたいと思う」
「……なるほど」
小坂はまだ広場を見ていた。
キャッチボールの球が転がり、子どもが笑いながら拾う。
「何となくは分かってました。だって先輩のハマりっぷり、やばかったですもん」
そこで、小坂はこらえきれないみたいに吹き出した。
「おいおい。そんなにハマってたか?」
「目が血走ってました」
「それは疲労だろ」
「いいえ。厨房に入ってる時と、休憩地の新機能を見てる時の先輩、完全に同じ顔してました」
「そんな顔してたか?」
「してました。あと、宿泊施設の厨房を見た時、ちょっとニヤニヤしてました」
「……それは否定できない」
二人で笑った。
疲れが抜けたわけではない。
それでも、週末営業後の見えない疲労が少しだけ抜けた気がした。
小坂はカフェオレを飲み、息を整える。
「そっかぁ。じゃあ先輩、ここでお……」
「だからさ、小坂」
俺は小坂の言葉へ被せるように言った。
「一緒にやらないか?」
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