第49話 初回営業は夜まで続く(前編)
そのあと、食堂にははっきりとした賑わいが生まれた。
最初は、外で様子を見ていた探索者たちが、食堂から出てきた客の顔を見て近づいてくる形だった。
食欲を満たした探索者は、だいたい表情が緩む。
それが十階層の湖畔で、安全地帯の中にある宿泊施設から出てくるとなれば、周囲の関心を引かないはずがない。
「食堂だけでも使えるんですよね?」
「今からでも一時休憩って入れますか?」
「外の臨時休憩区画、まだ空いてます?」
そういう声が、受付に集まる。
小坂が受付で利用区分を聞き分け、こよりと井瀬川が案内を分担する。
チカは食堂側で客を席へ通し、俺は厨房から注文を追う。
昼を過ぎた頃には、休憩利用した客の大半が食堂も使うようになっていた。
二階の一時休憩室から戻ってきた客が食堂へ流れ、屋外臨時休憩区画の客が匂いにつられて入口へ来る。
食堂は常に満席に近い。
宿泊施設の食堂は通常四十席。
昼のピークほどではないが、席が空いたと思ったらすぐ次が入る。
厨房のタブレットには、ワイルドボアカツカレー、味噌焼き丼、湖畔まかないセットが途切れず並んでいた。
「先輩、二階の一時休憩はまだ満室です。外の臨時休憩区画は増やした分もだいぶ埋まってきました」
小坂が受付から厨房入口へ顔を出す。
声は明るいが、額にはうっすら汗がにじんでいた。
「新規来訪は?」
「午後に入ってからは少し落ち着きました。入口回廊前にいる人も、いまは様子見と利用中の人の同行者が中心です」
「なら、今のうちに休憩を回そう」
俺がそう言うと、小坂は即座にうなずいた。
「受付一名、食堂二名なら最低限は回せます。最初は――」
「私は後でいいわ。こよりちゃんと井瀬川さんを先に休ませてあげて」
チカが配膳盆を置きながら言う。
その表情には、先に譲ると決めた落ち着きがあった。
「こよりちゃん、朝からずっと受付で緊張していましたもの。井瀬川さんも案内で階段を何度も上り下りしているでしょう?」
「助かります。では、先に二人を行かせます」
「ええ。食堂は私と召……朝倉さん、で見ます」
チカは言い直しながら、こよりと井瀬川のほうにも目を向けた。
「ありがとうございます」
チカは笑って、次の注文票を見た。
この人は、忙しくなってもそれぞれの間を見て、適切なバランスを意図的に保とうとすることが出来るようだ。
食堂に立ってもらう理由が、俺の中で少しずつ大きくなってきた気がする。
小坂は受付へ戻り、こよりと井瀬川を呼んだ。
「こよりちゃん、井瀬川さん。二階スタッフ休憩室で三十分休憩してください。水分補給と、足を休めるの優先です」
「えっ、でも受付が」
こよりが反射的に言いかける。
井瀬川はすぐに受付の人数表示を確認した。
「今なら、こよりさんと私が抜けても、小坂さん一人で受付対応可能です。食堂は朝倉さんと花森さんが残っています」
「そういうことです。ここで休んでおかないと、夜まで持ちません」
小坂が言うと、こよりは少しだけ迷ってから頭を下げた。
「分かりました。三十分で戻ります」
「休憩は仕事の一部です。急がなくていいので、ちゃんと休んでくださいね」
こよりと井瀬川は二階へ向かった。
その背中を見送りながら、俺はフライパンを火に戻す。
◇
午後二時を過ぎると、新規の来訪者はほとんど止まった。
入口回廊の外にいる探索者も、遠巻きに見ているだけの者が多い。
利用者の中心は、すでに入っている休憩客と食堂客だ。
こよりと井瀬川が戻ったあと、次はチカと小坂が休憩に入った。
受付にはこより、食堂には俺と井瀬川。
井瀬川は食堂補助に入ると注文はいいとして、配膳よりもどちらかと言うと空いた皿の回収と席の入れ替えに意識を向ける。
この辺りは人によって個性がでるものだなと思う。
「井瀬川さん、皿の回収早いですね」
「食べ終わった席を空けておかないと、次の人を案内できません」
「そりゃそうだ」
受付のほうから、こよりが少し声を張った。
「食堂の席、いま空きありますか?」
井瀬川は盆へ皿を重ね、空いた卓をすぐに拭いた。
「二席、いまあけました。二名なら案内できます」
「分かりました。二名様、ご案内します」
こよりの声に合わせて、入口側で待っていた二人が食堂へ入ってくる。
それからチカと小坂が戻ってくるも、俺は厨房を離れられなかった。
食堂で調理できるのは、今のところ俺だけだ。
カレーは温め直しながら焦げないように底をさらいかき混ぜる、味噌焼き丼の肉は注文が入るたびに調理に入る。
つみれ汁は減った分だけ湯と味を見て、米は次の炊き上がりまでの残りを数えながら残量をみつつ、次の仕込みに入るかどうか考え、そしてそのタイミングをはかっていく。
注文を止めずに回すには、その場で全体の進行を逆算してから回し続けていかないといけない。
色んな仕事を同時並行に進めて、注文順に提供していく技能が必要で、今日のお昼はキャパオーバーになりかけ、破綻する寸前になりそうになった。
前回とは更にハードルが上がったこの状況に、おいそれと人に任せることは出来るわけがなかった。
少しすると注文の切れ目を見て、小坂が厨房入口へ来た。
「先輩、提案があります」
「……聞くのが怖いな」
「十六時から十七時は、食堂を仕込み時間として一度閉めましょう」
俺は厨房の中を見た。
カレーも米も、夜営業まで持つ量ではない。
倉庫から追加を出して、肉も野菜も夜の分を仕込み直す必要がある。
食器類もどんどん溜まりっぱなしになっていているので、宿泊者が来る前に再度厨房を使える状態へ戻す時間が必要になって来た。
全部をこの状況のままで続けるのは、さすがに無理がありそうだ。
「この状況だと、そうするしかないか」
「十六時までに入った注文は受けて、十六時から十七時は仕込みと清掃。十七時から二十二時まで夜営業。食堂のみの新規受付は十七時再開で案内します」
「分かった。それでいこう」
小坂はすぐに受付へ戻り、こよりと井瀬川に案内文を共有した。
チカは食堂側で、食事中の客に柔らかく声をかけていく。
急な閉鎖ではなく、仕込み時間として前もって伝えれば、客側も納得してくれる。
そして午後四時。
食堂を一度閉めた。
客席から完全に人が消えるわけではない。
食事を終えた客はロビーや休憩区画へ戻り、外の臨時休憩区画にもまだ人がいる。
だが、注文が止まるだけで厨房は随分と静かになった。
そこで初めて、俺は二階スタッフ休憩室へ上がった。
座った瞬間、足に重さが来る。
朝から立ちっぱなしで調理し、受付や外の区画にも出ていたのだから当然だった。
水を飲み、十分だけ目を閉じる。
「なんか深い水の底に身体が落ちていく感じがする…」
本業とは全く違った厨房での作業は、想像以上に身体に負荷がかかってたみたいだ。
探索者としてダンジョンを潜って無茶していた、あの学生時代の時を思い出す。
「あの時は探索者としてのランクを上げるために色々と無茶していたけど、これはまた別の種類の厳しさがあるなぁ」
そして休憩を終え、厨房へ戻り夜に向けて仕込みを再開した。
仕込みはここ数日かけて準備はしていたので、冷凍庫から食材を出したり、冷蔵してある追加用の食材を温め直したりして進めていく。
チカはその間に食器を洗い、井瀬川は食堂の机や床の簡単な清掃を行った。
こよりと小坂は、受付で今日の集計データをまとめつつ、引き続き受付対応を行っていた。
「こよりちゃん、井瀬川さん。受付と食堂が落ち着いているうちに、ロビーと外の区画を一度見てきてもらえますか」
こよりが受付用スマホを持ち、食堂側にいた井瀬川がうなずく。
二人はロビーへ出て、入口回廊と外の臨時休憩区画の様子を見に行った。
小坂は受付に残り、チカは洗い場へ戻る。
昼だけの臨時対応ではなく、夜の客を迎えるための持ち場が少しずつ分かれていった。
午後五時。
食堂を再開した。
夜も、食堂は盛況だった。
昼に一時休憩へ入った客の延長が相次ぎ、外の臨時休憩区画でも、もう少し休んでから帰るという声が増えた。
探索者は、帰る体力を残しておく必要がある。
その判断ができる者ほど、安全な場所があるなら急いで動かない。
「これだと、休憩のまま夜を越しそうな勢いですね」
小坂が受付画面を見ながら呟く。
「確実にそうなると思います!」
こよりが、受付画面から視線を上げて言った。
「こよりちゃん、断言した」
「皆さん、椅子から立ったあとも、荷物を持つ前に食堂のほうを見ています。深夜のご飯事情を考えているかもですね」
「それ、受付としてかなり大事かもしれない」
小坂は苦笑しながら、受付画面へ視線を戻した。
「明日以降のオペレーション、もう一度見直さないとなぁ」
その言葉には、疲れよりも手応えが混じっていた。
俺も同じだ。
明らかに、初回営業の想定を超えている。
けれど、客が来ていない不安よりはずっといい。
二十時を少し過ぎた頃、入口回廊の方から、見覚えのある装備の一団が入ってきた。
先頭にいたのは久我だった。
その後ろには、以前に堂島班として来た新人六人が続いている。
三枝を先頭に、矢代や早見たちも見覚えのある装備で入ってきた。
あの時より装備の扱いが少しだけ落ち着いている。
それでも、宿泊施設のロビーへ入った瞬間、全員の視線が一斉に上へ向いた。
「……本当に施設になってる」
早見がぽつりと言った。
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