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ダンジョン湖畔の休憩地 〜限定オリジンスキルで始めた小さな宿屋に、探索者たちが帰ってくる〜  作者: 小狐


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第28話 湖畔休憩地 新メニュー【ワイルドボアカツカレー】(後半)

 午前中は、その調子で人が増えた。


 四人組が帰る前に、二人組が来た。

 その後、ソロの探索者が一人。

 十階層の湖の方からきた三人組が、水だけ使えるかと聞いてきた。


 全部を受けたわけではない。

 予約者優先、食堂は出せる分だけ。

 シャワーは1人ずつ、時間を空けて。


 それでも、休憩地の椅子には常に誰かが座っていた。

 利用者休憩区画では、靴を脱いでマットへ横になった探索者が、腕で目元を隠している。

 水場では、泥を落とした手袋がシンクの端に置かれていた。


 昼前になると、食堂側の席で味噌焼き丼を食べ終えた男が、椀を戻しに来た。


 「ここ、いいな」


 「ありがとうございます」


 俺が椀を受け取ると、男は外の湖を見た。


 「ダンジョン都市は便利なんだけどさ、都市機能が優先だからどうしても余裕がないんだよ。寝る場所も、食べる場所も、荷物置きも、全部場所代が乗ってめちゃくちゃ高いしなぁ」


 「土地代というか、階層内の安全管理維持費が高いですからね」


 俺がそう返すと、男はうなずいた。


 「分かるんだよ。安全な場所を維持するのに金がかかるのは。あっちは十階層より下に行ける中級者向けの値段だしな。だけど、俺らみたいな稼ぎだと、毎回あっちで休んで食べるのはきつい。シャワーまで使ったら、今日の稼ぎが何割か吹っ飛ぶ」


 男の後ろで、別の探索者が料金表を見ている。


 「こっちは半額どころじゃないな。食事も休憩も込みで考えたら、かなり助かる」


 「正式運営を見据えた価格です。時間や混雑時の扱いは、もう少し見直すと思います」


 「上がってもいいよ。毎日は無理でも、十階層に来る日は使いたい」


 その言葉は、たぶんお世辞だけではなかった。

 男は水を一口飲み、食器を返してから、もう一度客席を見た。


 「魔物を気にしないで椅子に座れるだけで、だいぶ違うんだよな」


 俺は下げた食器をシンクへ置いた。

 俺は縁についた味噌だれを水で流しながら、少しだけ手を止めた。

 休憩地でやりたかったことは、たぶんその一言に近い。


 正午を少し回ったころ、小坂の受付アプリが小さく鳴った。


 「先輩、予約の方です」


 入口案内板の向こうに、三人組が立っていた。

 装備は中堅らしく、手入れされている。

 先頭の男は片手剣と小型盾。

 後ろの女性は弓と短剣。

 もう一人の大柄な男性は、荷物持ちも兼ねているのか、背中のザックが大きい。


 「予約入れてた鹿島です。三人、昼食ありでお願いしてたんですけど」


 小坂がすぐに受付アプリを確認する。


 「鹿島直哉さん、三名様ですね。宮野沙希さん、仁科誠さん。予約確認できています。どうぞ、こちらへ」


 鹿島がほっとしたように肩を下げた。

 宮野は休憩地内を見回し、仁科は食堂側の匂いにすぐ反応した。


 「先にご飯からでもいいですか? 朝から十階層を回ってたので」


 「もちろんです」


 小坂が食堂側へ案内し、俺は厨房でカツ用の肉を取り出した。


 通常メニューを出している横に、今日はもう一枚だけ、予約客用の特別メニューを置いてある。


 小坂が三人へメニューを見せた。


 「本日、予約のお客様向けに特別メニューがあります。湖畔休憩地の新メニュー、ワイルドボアカツカレーです」


 「カツカレー?! それ、今頼めるんですか?」


 仁科の声が一段上がった。

 宮野が少しだけ笑って、鹿島を見る。


 「予約客向けなら、それでいいんじゃない?」


 鹿島もメニューを見たままうなずいた。


 「お願いします。三人とも、それで」


 「ありがとうございます。ワイルドボアカツカレー三つ入ります」


 小坂の声が厨房へ飛ぶ。


 俺は既にある揚げ油の鍋へ火を入れた。

 保冷箱から取り出したワイルドボア肉は、昨日のうちに下味を入れ、筋を切り、厚みを揃えてある。

 硬くなりやすい部位でも、叩いて繊維を緩め、脂の入り方を見て切り分ければ、揚げても固くなりにくい。


 油の温度を見て、衣を少し落とす。

 細かい泡が立った。


 ワイルドボアのカツを鍋へ入れる。

 衣が油に触れた瞬間、厨房の音がまた一つ増えた。

 最初は泡立つ音が連続して重なるが、すぐに細かい音へ変わる。


 「おっ! ダンジョン内で油で揚げる音がこんなにも心地いい音だとは…」


 「安全地帯ならではの、平和な音だな」


 カレーは別鍋で温める。

 市販ルーを複数混ぜ、ワイルドボアの出汁と脂に負けないよう調整したものだ。

 スパイスから作りたくなる気持ちは、昨日、小坂に止められた。


 陶器の深皿に米を盛る。

 カレーをかける。

 揚がったカツを網へ上げ、少しだけ油を切ってから、包丁を入れた。

 

 「やべぇ…サクサクだぞおい」


 「この音がたまらん」


 「カレーの匂いもやばいですね」


 衣を包丁で切ると中から、ワイルドボア肉の湯気が上がる。

 切ったカツをカレーの上へ並べると、客席側から小さく声が漏れた。


 「ダンジョン内でカツカレーとは…」


 最初に来ていた六人組の一人だった。

 自分の丼は食べ終わっているのに、完全に厨房を見ている。


 「予約客向けの試験メニューです」


 小坂が先に釘を刺す。

 だが、声の弾みまでは隠せていない。


 俺は三皿をカウンターへ出した。


 「ワイルドボアカツカレーです。熱いので気をつけてください」


 三人はそれぞれ視線を合わせる。


 「「「いただきます!」」」


 鹿島がスプーンを手に取り、カツの端を切った。

 カレーと米と一緒に口へ入れる。


 少し噛んで、口元の動きが止まった。


 「……これ、ワイルドボアですよね?」


 「正真正銘、十階層のやつです」


 「ジューシーすぎません?」


 宮野も一口食べて、皿を見下ろした。


 「十階層でカレーを食べられるだけでも変なのに、カツがまたちゃんとカツしてる」


 「変って言われると否定しづらいですね」


 俺が言うと、仁科が大きめに切ったカツを口へ運んだ。

 数秒後、スプーンを持つ手が止まる。


 「いや、これ、地上の店で出ても普通に頼みます」


 「ダンジョン内補正抜きで?」


 「もちろんですよ! 抜きで頼みます!!」


 その一言で、小坂が小さく拳を握った。


 カレーの匂いは、休憩地の外まで流れていた。

 味噌焼き丼の匂いとは違う。

 揚げ物の香りと温めたカレーの匂いに、何人かが椅子の上で体の向きを変えた。


 休憩スペースで横になっていた探索者が、上半身を起こした。

 水場にいた男が、手を拭きながら食堂側へ来る。

 六人組の一人は、もう完全にメニュー札の前に立っていた。


 「すみません。それ、予約客向けって言ってましたけど、今日はもう無理ですか」


 小坂が俺を見る。


 俺は保冷箱の中身を確認した。

 カツ用の肉は、予約客三人分だけではない。

 昼に何かあった時のため、多めに仕込んでいた。

 米も十分にあるし、今後のことも考えて今は炊いている最中だ。

 カレーも気合を入れて仕込んでいたため、今日の昼なら余裕で足りる。


 「……今日は出せる。数は限るけど」


 「いいんですか?」


 「ちょうどいいテストになる。食材があるうちに、反応を見ておきたい」


 小坂はすぐに受付アプリへ限定メニューを追加した。

 客側の看板に、小さく文字が出る。


 ワイルドボアカツカレー 限定提供 3,600円


 「高い、いや、安いな」


 六人組の男が妙な声を出した。


 「中央広場でカツカレー頼んだら、安い店でも八千円、席付きなら一万超えるぞ」


 「ダンジョン内で揚げたてなら、それくらいしますね」


 宮野が皿から顔を上げずに言う。

 彼女はもう半分ほど食べていた。


 「すみません、俺もそれお願いします」


 「こっちも一つお願いします」


 「シャワー待ってる間に食べていいですか」


 「食べてから浴びた方がいいですよ。カレーの匂い、服につきますし」


 小坂がそう言うと、客席から笑いが起きた。


 俺は次のカツを油へ入れた。

 鍋の音がまた増える。

 カレーをかき混ぜる木べらが、鍋底をこする。

 陶器の深皿を出し、米を盛り、揚がったカツを切る。


 さっきまで、ここは予約客のための週末営業だった。

 今は、噂を聞いて来た探索者たちが椅子に座り、湖を見ながらカレーを待っている。


 もちろん、これを毎回やれるとは思っていない。

 食材も、人手も、席も、すぐ足りなくなる。


 それでも、目の前でカツカレーの皿を受け取った探索者が、スプーンを入れてから一口目で黙る。

 俺は次の皿へ米を盛りながら、その沈黙を眺めていた。


 「……幸せだな」


 水場帰りの男が、カツを噛みながら言った。


 「十階層で、魔物を気にしないでカレー食べてる」


 「しかも揚げたて」


 「これ、休憩地っていうか、もうなんだろうな」


 「店にしたら、もっとちゃんと料金取られますよ」


 小坂がさらっと返す。

 客席の何人かが、それでもいい、というように笑った。


 鹿島は最後の一切れを丁寧にすくい、皿を空にした。


 「朝倉さん」


 「はい」


 「これ、次も予約できますか」


 俺は揚げ油の火を少し落とした。

 即答したい。

 だが、即答してしまうと、たぶん明日以降の俺が困る。


 「食材と仕込み次第です。予約時に希望を書いてもらえれば、できるだけ対応します。もちろん週末限定ですけど」


 「じゃあ、希望します」


 鹿島はそう言って、受付アプリの予約欄を小坂へ見せた。

 宮野と仁科も、同じようにうなずく。


 小坂は画面を受け取り、俺の方へちらっと視線を投げた。

 面白そうなことを見つけた時の目だった。


 「先輩、カツカレー、正式メニュー候補入りですね」


 「候補な。正式はまだ早い」


 「はいはい。候補です」


 カレーの鍋は、思っていたより早く底が見え始めている。

 油の横には、使い終わったバットと、追加で出した深皿が並んでいる。

 シンクには、味噌焼き丼の椀とカレー皿が重なり始めた。


 湖畔の風が、カレーの匂いを外へ運んでいく。


 入口案内板の向こうで、また誰かが立ち止まった。

 スマホを見て、看板を見て、それから食堂側の匂いに気づく。


 小坂が受付テーブルの前で、少しだけ姿勢を正した。

 俺は倉庫に戻って、事前に仕込んでいたカレー鍋を持ってくる。


 今日の営業は、まだ昼を少し過ぎたばかりだった。

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