第27話 湖畔休憩地 新メニュー【ワイルドボアカツカレー】(前半)
朝6時に十階層へ降り、湖畔に休憩地を出してから、もう3時間近く経っていた。
最初に来たのは、相原たち三人組だ。
あの三人からYとダンジョン都市内の噂を聞き、予約用の連絡先を渡し、見送ったところで、ようやく仕込みに戻った。
米は炊けている。
魔物骨出汁のスープも、弱火で湯気を立てている。
味噌だれの鍋からは、ワイルドボアの脂と味噌の匂いが立ち、厨房の奥では、下味を入れたカツ用の肉が保冷箱に収まっている。
小坂は受付テーブルの横で、入口案内板の表示を確認していた。
その足元には、利用者用の靴置きと、泥を落とすための小さなブラシが並んでいる。
昨日までは、そこまで丁寧に置く余裕がなかった。
「先輩、料金表示、これで出しますね」
小坂が入口案内板の横に立ち、運営側にだけ見える表示を指先で送った。
客側の木製看板には、文字だけが浮かぶ。
表示された料金は、休憩のみが1,000円、水場利用が600円、シャワーブースが15分1,600円。
食堂利用は料理代だけで、利用者休憩区画の短い横休みは休憩料金内に入れてある。
細かい延長料金まではまだ出していない。
今日のところは、受付アプリで人数と利用目的を見ながら、小坂が口頭で調整する。
「ダンジョン都市の中央広場に比べると、だいぶ安いですね」
「一応この値段で正式運用を考えているが、まぁ様子見で上下はしようかと思っている。ダンジョン都市と違って安全に全くコストかかってないからなぁ」
「でも休憩だけ1,000円は、かなり助かると思います。都市側の椅子だけの休憩でも、普通に三千円は超えますし」
小坂はそう言ってから、看板の下に小さく「予約者優先」と足した。
俺は厨房へ戻り、揚げ油の鍋をまだ火にかけずに置いた。
カツは昼の予約客に合わせたい。
朝から揚げてしまうと、どうしても衣が湿る。
二度揚げも考えたが、今回に限っては量もそこまででないだろし、その場で揚げたての方向で進める予定だ。
そんな感じで俺たちは仕込みを続けていた時であった。
遠くから話し声が聞こえてくる。
湖畔側の草地を、四人組の探索者がゆっくり歩いてくる。
全員、十階層を歩き慣れている感じはするが、堂島班ほどまとまった隊列ではない。
一人がスマホを片手に持ち、画面と木製看板を交互に見ていた。
「すみません。ここ、Yで流れてた休憩所で合ってますか?」
小坂が俺を見る。
俺は鍋の火加減を確認し、厨房のカウンター越しに小さくうなずいた。
小坂は受付テーブルへ戻り応対する。
「はい。湖畔休憩地です。ただ、今日は予約の方を優先しています。休憩のみでしたら、短時間でご案内できます」
「本当にあるんだ……」
スマホを持っていた男が、看板を見上げた。
隣の女性探索者が、食堂側の椅子と水場を見て目を止める。
「休憩だけでもいいです。少し座れる場所があれば」
小坂が受付アプリを開いた。
俺は厨房の手を止めずに、小坂の横顔を見た。
受けるか、それとも断るか。
予約営業の日に予約外客を入れるのは、正直こわい。
だが、ここで適当に断ればその話もYに流れる。
完全予約制と決めているならそれでいいが、今の湖畔休憩地はまだ試験営業中だ。
小坂も同じことを考えたのか、俺のところへ来た。
「先輩、どうしましょう。休憩だけなら、利用者休憩区画と外の席で回せます」
「予約客の到着は昼前後。今すぐ食事希望でなければ、受けよう」
「ここで返す方が、後に響きそうですよね」
「たぶん、そんなに来ないだろうしな」
俺がそう言うと、小坂はこちらを見た。
「先輩。知ってますか? フラグ、という世にも恐ろしい言葉を」
「……俺も言ってから少し嫌な予感がした」
小坂は口元だけで笑い、受付へ戻った。
「休憩のみで4名様、ご案内します。入場承認を出しますので、入口の線を越えたら、まず泥を落としてから休憩席へお願いします」
受付アプリの決済音が、短く鳴った。
休憩料金4名分。
小坂の手元に、利用区分が並ぶ。
「水場も使えますか?」
「水場は別料金です。飲み水の補充と手洗い程度なら、こちらで案内します」
「シャワーって、本当にあるんですか?」
四人のうち、肩に泥がついた男性が奥をのぞいた。
衛生区画のパネルの向こうに、更衣用の小さなスペースとシャワーブースがある。
入口からは中が見えないようにしているが、案内表示だけは分かる。
小坂が一度、俺へ視線を戻した。
今は予約客用に空けている時間だ。
しかし、朝のうちはまだ使っていない。
水量も、魔石水タンクもまだまだ余裕がある。
「今は使ってないし、一人ならいい。ただし15分で。タオルは持参分を使ってください」
「はい。シャワーブースは15分1,600円です。利用前に受付で決済をお願いします」
「安っ」
泥のついた男性が、思わず声を漏らした。
「中央広場だとシャワーだけで、安いところでも五千円近くしますよ」
「水と排水の管理が入るから、向こうは高いんですよ。うちは正式運営を見据えた暫定価格なので、細かい時間や枠は今後調整します」
小坂の説明に、四人は何度もうなずいた。
そのうち二人が外の椅子へ座り、一人は水場へ向かい、もう一人はシャワーブースの前で靴の泥を落とし始める。
食事を出していない時間なのに、人がいる。
それだけで、いつもの湖畔と少し違って見えた。
俺は厨房へ戻り、炊き上がった米をほぐした。
木べらを入れると、湯気がまとまって上がる。
倉庫が使えるようになった分、前より多く用意できる。
それでも限界はあるが、この程度であれば全く問題はない。
そう思っていたら、また入口の方から声がした。
「ここだここ。看板出てる」
「本当にあるじゃん」
「おい、食堂って書いてあるぞ」
次に来たのは、六人組だった。
装備の感じからして、恐らく十階層から十五階層あたりを歩く探索者だろう。
若手だけではない。
先頭の男性は、年齢も装備の傷も俺より少し上に見える。
小坂が一瞬だけ、こちらを見る。
俺は包丁を置き、片手で丸を作った。
まだいける。
休憩地倉庫がなければ無理だった。
食材や予備の備品も、そして水回りの消耗品も今までとは仕込める量が違う。
厨房も、業務用コンロと広い作業台になっている。
ちょうどいいテストになる。
小坂は受付テーブルの前へ出た。
「食堂利用でしょうか?」
「はい。食べられるなら、何か温かいものを。Yで見て、半信半疑で来たんですけど」
「予約者優先ですが、今の時間でしたらご案内できます。カレーはまだ予約者向けの試験メニューなので、通常メニューからお願いします」
小坂の案内を聞いて、六人は看板のメニューを見た。
ワイルドボア味噌焼き丼。
魔物骨出汁スープ。
湖畔まかないセット。
「味噌焼き丼、いけますか?」
「大丈夫ですよ!」
俺が厨房から返すと、小坂が少しだけ振り向いた。
「予約者の分まで食材を使わないでくださいよ」
「分かってる。この程度であれば全く問題ない。スープも余裕で足りる」
「先輩の問題ないは、料理の時だけ妙に信用できますね」
「食材仕入れ営業の見積もりを甘く見てもらいたくないな」
「ふふふ、そこは信頼に足る、ですね」
小坂は受付アプリで食堂利用を通し、飲食区画の利用権限を付けた。
六人が食堂側の椅子へ移動する。
椅子を引く音、装備を下ろす音、水場で手を洗う音が、静かな湖畔に混じった。
俺は鉄板へ味噌だれを絡めたワイルドボア肉を並べた。
たれが弾ける音が立ち、同時に焦げた味噌と脂の匂いが、客席側へ流れた。
「うわ、いい匂い」
休憩のみで座っていた四人のうち一人が、顔を上げた。
六人組の方も、厨房側を見ている。
陶器の丼に米を盛り、焼いた肉を乗せる。
スープは椀へ。
小坂が受け取り、食堂側のカウンターへ運んだ。
「熱いので気をつけてください。食器は食後にこちらへ戻してください」
「ありがとうございます」
最初の一人が、箸で肉を持ち上げた。
味噌だれが米に落ちる。
「……うま」
短いが実感がこもっている声だった。
その後、隣の二人がほぼ同時に箸を動かす。
「おいおい、こんな丼をダンジョンで食べられるなんて……」
「味噌の匂いがやばい」
「中央広場でこれ出たら、安い店でも八千円は余裕で超えるだろ」
小坂が客席の端で、少しだけ胸を張る。
俺はそれを見ないふりで、次の丼を仕上げた。
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