第26話 噂の休憩地と新メニュー
開店前の準備で、俺は陶器の丼と木製の汁椀を棚に並べていた。
倉庫機能が解放された時に決めたのだが、今回から料理の提供は紙皿をやめることにしている。
ダンジョンの中で使うなら紙皿の方が軽くて楽だ。
けれど、せっかく十階層で温かい料理を出しても、器がそれだとどうしても味気なく見える。
洗い物は増えるが、休憩地で出す料理はそこも含めてちゃんと美味しそうに見せたかった。
その時、入口案内板の向こうから声が飛んできた。
「また来ました!!」
入口案内板の向こうで、三人の若い探索者が手を振っていた。
第十階層でワイルドボアに追われ、最初にこの休憩地へ飛び込んできた三人だ。
小坂が受付アプリを確認し、俺へ小さく首を傾げる。
画面には予約者の名前しか出ていない。
つまり、三人は今日の予約客ではない。
三人の視線が、小坂の方へ少しだけ流れる。
前に来た時、この休憩地にいたのは俺だけだったから当然だ。
「今は運営を手伝ってもらってます。小坂です」
「小坂です。よろしくお願いします」
「すみません。今日は予約の方を優先していて、すぐの利用は難しいんです」
小坂が先に声をかけると、三人のうち一番背の高い青年が慌てて両手を振った。
「いや、今日は食べに来たっていうより、様子見です。Yでめちゃくちゃ流れてたんで、最近もやってるのかなって」
「そんなに流れてるんですか?」
俺が聞くと、今度は小柄な女性探索者がスマホを取り出した。
画面には、探索者向けSNSの投稿が並んでいる。
十階層に週末だけ開く休憩所があり、料理がうまくて、水場も使えるらしい。
魔物が入ってこないという話まで混じっているが、場所が分かりにくく、予約がいるのかどうかで投稿者同士が言い合っている。
どれも短い投稿だが、数は増えていた。
堂島のクラン関係者だけでなく、名前も知らない探索者の投稿も混じっている。
「俺たち、前にここでご飯食べたじゃないですか。だからYで十階層の休憩所って投稿を見た時、これ、あそこじゃないかって三人で話してて」
背の高い青年が、少し気まずそうに笑う。
「勝手に広めなかったのは助かります」
小坂が言うと、別の青年が申し訳なさそうに肩をすぼめた。
「場所を勝手に広めていいのか分からなかったんです。だから投稿には何も書いてません。ただ、噂だけ大きくなってたんで、最近どうなってるのか見に来ました」
「それで様子見ですか」
「はい。あと、いま初心者から中級者くらいの探索者の間で、かなり噂になってます。十階層で安全に休めて、食事ができて、水も使えるって、普通に考えたら欲しい人だらけなんで」
堂島班から広がる話とは別に、ダンジョン内の横のつながりでも噂が流れ始めているらしい。
小柄な女性探索者が、今度はダンジョン都市の掲示板系アプリを見せてくれた。
そこでは、湖畔の店、個人経営の休憩施設、十階層の都市伝説、などと好き勝手に書かれている。
「都市伝説は盛りすぎでは」
俺が言うと、三人が同時に苦笑した。
「でも、ダンジョン都市ってそういう話、すぐ盛られるんですよ。隠しショップとか、幻の食堂とか」
「ここを幻にしないでほしいな」
「すみません。俺らも変に煽らないようにはします」
話しているうちに、三人の名前も改めて確認した。
背の高い青年が相原拓真、二十一歳。
剣と小盾を使う、三人のまとめ役に近い。
小柄な女性探索者が森下莉奈、二十歳。
周辺情報やSNSを見るのが早く、今日はほとんど彼女が情報を持ってきていた。
もう一人の細身の青年が小野寺晴斗、十九歳。
少し前のめりだが、装備の手入れと素材の目利きには興味があるらしい。
三人ともクランには属していない。
今は臨時パーティーを組みながら実績を作り、いずれ大手クランに声をかけられる探索者になるのが目標だという。
「なので、ここが変な騒ぎになって潰れるのは困ります。俺ら、またここでご飯食べたいんで」
相原が真面目な声で言う。
理由の最後が正直すぎた。
「分かりました。情報ありがとうございます。ただ、今日はこのあと予約の方が来るので、利用はまた今度でお願いします」
「もちろんです。勝手に押しかけてすみません」
森下が頭を下げ、小野寺もそれに続いた。
三人は案内板の料金と利用時間を確認し、小坂から予約用の連絡先を受け取った。
相原の連絡先も、受付アプリの利用希望者欄に登録しておく。
これで次からは、いきなり来るのではなく、空いている時間を確認してから来られる。
去り際に、小野寺が振り返った。
「次、予約して来ます! できればご飯ありで!」
「予約が取れたらな」
俺が返すと、三人は笑いながら森の方へ歩いていった。
小坂は受付アプリの利用希望者欄を閉じる。
「先輩、噂の広がり方、思ったより早いですね」
「早いな。しかし試験運用期間中なのに随分と影響が広がっているな」
「まだそこまでお客さん迎えているわけじゃ無いのにこれですもんね。本格運用になったらどうなることやら」
「今日の営業が終わったら、本格運用について考えるか。ずっとこのままってわけにもいかないし」
「はい。それと完全予約制にしたとして、予約の導線設計も考えていかないとですね。いまはここを探り当てた人しか来れないようになってますけど」
小坂はそう言って、受付アプリを閉じた。
話している間にも、開店準備の時間は減っている。
俺は厨房へ戻り、まず米を研いで大釜に移した。
倉庫から出しておいた米は、昨日のうちに量を計って小分けにしてある。
今日は予約客の分に加えて、少し余裕を持たせた。
業務用コンロでは、大鍋が二つ並んでいる。
一つは魔物骨出汁のスープ。
もう一つは、ワイルドボア肉を使った味噌だれ用の鍋だ。
隣の作業台には、焼きおにぎり用に握った米と、ホーンラビットつみれの下ごしらえを置いてある。
「今日の通常メニュー、確認しますね」
小坂が厨房側の準備を見ながら確認する。
「ワイルドボア味噌焼き丼、魔物骨出汁スープ、湖畔まかないセット。まかないセットは、ホーンラビットつみれ汁とワイルドボア脂の焼きおにぎり。水場利用とシャワーは予約内容に合わせて案内」
「それでいこう。丼はしっかり食べたい探索者向け。まかないセットは途中休憩用だな」
「カレーは、今日出さないんですか?」
「今日はまだ出さない。まず通常メニューで回せるか確認する」
小坂が少しだけ不満そうに眉を寄せる。
「昨日あれだけ試作したのにですか」
「新メニューは、出すなら一番いいタイミングで出したい」
「……そういうところ、先輩らしいです」
褒められているのか、少し呆れられているのか。
どちらにしても、今は手を動かす。
俺は鉄板を温め、ワイルドボア肉を味噌だれにくぐらせた。
熱が入ると、味噌と脂の香りが厨房から客席側へ流れていく。
別の鍋では魔物骨出汁が既に沸騰しており、つみれを落とす準備もできている。
休憩地で出す料理は、地上の定食屋とは違う。
長く歩いた探索者が椅子に座り、温かくて美味しいご飯を食べて、もう少し先まで行けると思える料理でなければならない。
水場や休憩区画も大事だが、十階層で温かい食事を出せることは、それだけで休憩地の売りになる。
「先輩、丼と椀、こっちに出しておきますね」
「助かる。丼用とセット用で分けておいてくれ」
小坂は棚から器を取り出し、受付側からでも取りやすい位置に並べていく。
俺はスープの味を見て、塩を少しだけ足した。
器と鍋の位置が決まり、予約客が来てもすぐ盛りつけに入れるところまで進んだ。
そう思ったところで、小坂の手が作業台の端で止まった。
「先輩。これ、なんですか?」
小坂が見ていたのは、蓋付きの浅い容器だった。
中には、衣をつけたワイルドボア肉がきれいに並んでいる。
「ワイルドボアですよね。なんで衣がついてるんですか?」
俺は火加減を確認してから、容器の蓋を少しだけ開けた。
下味を入れたワイルドボア肉。
厚みを揃えて筋をある程度切って、そして叩き、衣をつけ、揚げる直前まで仕込んである。
「昨日言っただろ。俺は普通のカレーだけで終わるとは言ってない」
「……先輩、そういうのを拗らせてるって言うんですよ?」
小坂の視線が、容器と俺の間を行ったり来たりする。
俺は冷蔵箱から、もう一つの容器を出した。
中には、試作を重ねたカレーが入っている。
市販ルーを混ぜ、ワイルドボア肉の出汁と脂に負けないよう少しだけ香りを足したものだ。
「新メニュー候補。ワイルドボアカツカレー」
小坂が少しだけ間を置いて、作業台へ身を乗り出した。
「それ、絶対に探索者が好きな料理じゃないですか!!」
「だろ?」
まだ揚げていないのに、俺の頭の中ではもう音がしていた。
熱い油に衣が触れる音。
カレーの上に、切ったカツを乗せる瞬間。
湯気の向こうで、探索者が最初の一口を食べようとするところ。
今日はここからが、いや、このカツカレーが登場してからが本番だ。
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