第23話 週末限定の謎のお店
月曜の午前、営業二課はいつも通りだった。
素材価格の更新通知が入り、見積依頼が並び、低階層肉素材の相場表が共有フォルダに上がる。
俺も取引先へ送る見積書を開き、様々な素材の単価を確認していた。
そこへ、小坂が自分のスマホを持って近づいてきた。
「先輩、これ見ました?」
「何を?」
小坂は声を少し落とし、画面を俺の机の端へ寄せた。
表示されていたのは、探索者がよく使うSNSの「Y」だった。
俺もアカウントだけは持っているが、ほとんど見る専門になっている。
画面には、東京湾岸ダンジョンのタグが並んでいた。
>東京湾岸ダンジョン十階層に、週末だけ営業してる謎の店があるらしい。
>安全に座れてご飯が出るって何。
>第十階層の湖畔で味噌焼き丼食った。普通にうまい。
>シャワー使えるって聞いたんだけど本当?
>あれ店なの? 野営じゃなくて?
俺は一瞬だけ、会社のことを忘れた。
「……これ、うちのことか?」
「たぶん、というか確実にうちです」
小坂は画面を軽くスクロールする。
投稿の中には、明らかに堂島班の新人らしいものも混じっていた。
>午後の訓練前に温かい飯食えるの、本当に助かる。
>椅子に座って飯食って水場使えるだけで全然違う。
>安全に休める場所があるの、十階層だとかなりでかい。
その最後の投稿で、俺は少しだけ手を止めた。
ご飯のことより、先に安全のことを書いている。
堂島が見ていたのは、飲食店ということではなく、装備を下ろして座れる安全な休憩所、ということだったのだと思う。
「結構、好評です。使ってみたいって声、かなりありますよ」
「ありがたいけど、なんか怖いな」
「この評判が独り歩きしているこの感じがちょっと、ですね。でも、悪い話題じゃないです」
小坂はスマホをしまい、周囲を一度だけ見た。
会社の中で、湖畔休憩地の話を広げるわけにはいかない。
それは小坂も分かっている。
「午前中は仕事しましょう。これ見始めると、多分止まりません」
「見せてきたの小坂だろ」
「確認だけです。確認」
小坂はそう言って、自分の席へ戻った。
俺も見積書へ視線を戻す。
ただ、ワイルドボア肉の単価表を見ていると、どうしても味噌だれの匂いが頭の端に戻ってきた。
午前中は、どうにか仕事をした。
電話を受け、納期を確認し、素材の在庫数を取引先へ送る。
そのちょっとした隙間時間に、Yでの『休憩地について』をどうしても見たくなる衝動に駆られる。
だが、そこで見てしまったら昼まで戻ってこられない気がしたので、俺はスマホを鞄に入れた。
昼休憩になると、小坂と会社近くの定食屋へ入った。
混み始める前の時間だったので、奥の二人席が空いている。
俺が日替わり定食を頼むと、小坂は唐揚げ定食を選び、席に着くなりスマホを出した。
「先輩、今後どうします?」
「早いな」
「早くないです。Yであれだけ流れてたら、次の土曜までに何か決めないと色々とまずいですよ?」
「知らない人が朝から来るのは、さすがに困るな」
「ですです。だって場所までほぼ特定されているんですよ」
「……まじか」
「まじです」
俺はすぐに配膳された定食を見て、味噌汁椀を手に取り一口飲んだ。
「……どうしようかね」
確かに、話題になるのはありがたい。
だが、知らない探索者が勝手に、それも先に来られたりするのはちょっと困る。
休憩地は安全に休める場所だが、受け入れる側が回らなければ、その安全も崩れる。
「今は、という前提だが、まずは完全予約制だな。飛び込みは無理」
「そこは絶対です。あと、利用時間も必要です。何時から何時まで開けるのか、食事は何食まで出せるのか」
小坂が唐揚げに箸を入れたところで、俺のスマホにメッセージが届いた。
画面を見ると、堂島からだった。
「堂島さんだ」
「噂の本流が来ましたね」
小坂が唐揚げを皿に戻す。
俺はメッセージを開いた。
内容は、思ったより重かった。
《銀嶺の道標》の中で、二十階層までを主な狩場にしている複数のパーティーが、湖畔休憩地を使いたがっているらしい。
十階層を経由する日であれば、こちらの利用時間に合わせて立ち寄る。
時間を教えてくれれば、その範囲内で動く。
食事や水場、シャワーについては、利用できる分だけで構わない。
ただし、クランとしては週末二日間、できれば通しで開けてもらえるとありがたい。
そんな内容だった。
「二日間、通し」
小坂が小さく復唱した。
俺は画面を見たまま、少しだけ息を吐く。
「営業するだけなら、たぶんできる。問題はそこじゃない」
「食材ですね」
「食材と水とタオルと紙皿と清掃用品。あと、俺たちの体力、だな」
「最後、けっこう大事です」
小坂は真面目に頷いた。
からかうでもなく、現実の項目として受け止めている。
「堂島さんのところなら、いきなり変な客が来るよりはずっと安心です。でも、二十階層まで行く人たちって、堂島班の新人さんたちとは使い方が違いますよね」
「休憩だけじゃなくて、補給地点として見られる可能性があるな」
「ご飯も、昼だけじゃ当然ですけど足りないでしょうね。三食を基準に考えないと」
俺は定食の白飯を見た。
会社近くの店なら、米は炊けば出てくる。
だが十階層では、米も鍋も椀も、水も、全部持ち込む。
休憩地倉庫はまだない。
看板は出たが、休憩地の倉庫は相変わらずリヤカーだ。
「ぶっ通し営業自体は、やってみたい気持ちはある」
「ありますよね」
「ただ、何も考えずに受けると二日間どころか初日の夜で終了しそうだ」
「先輩、絶対に調理場所から離れられなくなります」
小坂は唐揚げを一つ食べてから、スマホのメモを開いた。
「今日の昼休みで決めるのは無理です。堂島さんには、営業時間と提供可能数を確認してから返す、でいいと思います」
「だな」
俺は堂島へ返信する。
――相談ありがとうございます。
――週末二日間の利用について、営業時間、提供数、食材量を確認してから返答します。
――現時点では完全予約制、飛び込み不可でお願いします。
送信すると、すぐ既読がついた。
堂島から返事が来る。
――分かった。急がせるつもりはない。
――ただ、使いたがる班は多い。安全に休める場所を探している連中は、俺らを除いても需要は多いぞ。
俺はその文面を小坂に見せた。
「やっぱり、安全なんですよね」
「そこが一番なんだろうな」
温かい飯も、シャワーも、最近は看板まで立ってしまった。
だが、探索者が一番欲しがっているのは、ダンジョン内で気を抜ける場所だ。
俺はそこを忘れないように、スマホのメモに短く書いた。
安全が最優先。
昼休憩はそこで終わった。
午後はまた、見積書と電話に戻る。
小坂も普通に仕事をしていた。
ただ、俺の頭の中では、週末二日分の米の量と、ワイルドボア肉の仕込み量と、魔石水タンクの補充回数が勝手に並んでいた。
終業後、会社を出ると、小坂が駅とは逆の方を指した。
「先輩。今日、このあと少し時間あります?」
「あるけど、会社の近くで話すのはやめよう。誰に聞かれるか分からない」
「ですよね。なので、先輩の家で今後について話しましょう」
「……なんでそうなる」
俺は思わず足を止めた。
小坂は当然のようにスマホのメモを見せてくる。
「理由は三つあります。会社では話せない。ファミレスだと画面を広げづらい。あと、新メニューを考えるならキッチンが必要です」
「三つ目が…断れない…」
「はい。新メニューも開発しませんか? 週末二日間やるなら、焼き場に張り付きっぱなしにならない料理が必要です」
確かにその通りである。
だが、会社の後輩を急に自宅へ呼ぶのは、かなり落ち着かない。
「部屋、片付いてないぞ」
「大丈夫です。見なかったことにします」
「見た時点で見てるだろ」
「じゃあ、片づける時間込みで行きましょう!」
小坂は明るく言った。
逃げ道が一つずつ丁寧に埋められていく。
俺は駅前の人の流れを見てから、諦めて頷いた。
「分かった。今日だけな。作戦会議と、軽い試作だけ」
「はい。まずは週末二日営業の可否と、新メニュー候補です」
小坂は嬉しそうにスマホへメモを追加した。
湖畔休憩地は、まだタープと机とリヤカーの店だ。
けれど、週末限定の謎のお店は、もう次の週末を勝手に呼び込み始めていた。
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