第20話 朝倉チーム、十階層湖畔へ
土曜の朝、東京湾岸ダンジョンの入口前は平日より明らかに人が多かった。
探索者用の大型ロッカーの前で、装備を点検する音があちこちから聞こえる。
朝の駅前とは違う、これから地下へ向かう人間だけのざわつきがあった。
小坂は、その中に一人の探索者として立っていた。
会社で見るブラウス姿ではなく、軽量の胸当てに膝当て、腰には小さなポーチを二つ。
武器は短い警棒型の護身具だけだが、靴はしっかりした探索者用だった。
「おはようございます、先輩」
「おはよう。思ったより本格的だな」
「十階層まで下りるなら、このくらいの装備は必要です。今日は運営の手伝いですけど、道中は普通に魔物が出ますから」
小坂はそう言って、胸当ての位置を一度で直した。
肩紐を引く手つきにも、膝当てのずれを確かめる間にも、久しぶりとはいえ探索者だった頃の癖が残っている。
胸当てを直す手つきを見るまで、俺はその話を会社で聞いた雑談くらいに受け取っていたのだと思う。
俺たちは受付端末で入場記録を済ませ、浅い階層へ下りる階段前の列に並んだ。
小坂は途中で何度か周囲を見ていた。
階段の列、壁際の案内板、先に下りていく探索者の装備を順に追っている。
「久しぶりか?」
「はい。会社に入ってからは素材流通側ばっかりでしたし。十階層、懐かしいです。湖畔は訓練で一回だけ来ました」
「今日出す場所の見当はつくか」
「だいたいは。中央広場から北へ外れた、湖に近い草地ですよね」
「そう。中央広場の人の流れから外れてるし、前に堂島さんたちが来た場所でもある。今日もそこを使う」
言いながら、俺はリヤカーの取っ手を握り直した。
今日持ち込むのは、昼食用の食材一式と、受付で配る消耗品、衛生区画まわりの予備品だ。
タープやテーブルは登録済み設備として収納できるが、食材や使い切る物まで全部任せられるわけではない。
小坂はリヤカーの荷台を見て、少しだけ眉を上げた。
「先輩、それ一人で引いてくる量じゃないですよ」
「前は一人で何往復かしてた」
「え、毎回これやってたんですか? そのうち、そういうところもスキルで楽になるといいですね」
「そこまで育ってくれたら、だいぶ助かるな」
そして俺たちは順調にダンジョン内を進み、十階層に到着した。
◇
中央広場を抜けて北側へ進むと、靴底から湿った土の感触が返り、木々の向こうから水音が聞こえてきた。
春の午後みたいな陽の光が、湖面と草地を明るくしている。
小坂は一度だけ足を止め、湖の方を見た。
「……やっぱり、ここで温かいご飯出されたら、探索者は確実に足止まりますよね」
俺は荷物の肩紐を直しながら、小坂が湖畔の草地を見ているのを待った。
「探索者側からすると、絶対寄りたくなります。探索中は複数回どこかで休憩はしないといけないですし、逆にここ知っておけば探索中もここを利用する前提でプランも組めますしね」
俺たちは北側のいつもの場所へ向かった。
前回より早い時間なので、周囲に人影は少ない。
前回タープを張った土の広場に立ち、俺は【休憩地】を発動した。
足元に淡い光が広がる。
円の中に、保存済みの配置が薄く浮かび上がった。
飲食区画、休憩区画、水場区画、衛生区画の境目が、地面に引いた薄い線のように浮かぶ。
衛生区画の奥では、簡易トイレの入口とシャワーブースの待機場所が向かい合わない配置になっていた。
「保存配置のまま展開する」
登録済みのテーブルと椅子が現れ、タープの支柱が立つ。
水場用のシンク、簡易トイレ、衛生区画の目隠しパネル、シャワーブースが順に形を取った。
会社の空き地ではただの仮置きに見えたものが、湖畔では入口、客席、水場、目隠しの順に並んだ。
小坂は声を上げず、受付予定の場所に立って、客が入ってから座るまでの流れを目で追った。
「受付テーブル、もう半歩だけ入口側に寄せたいです」
「邪魔にならないか?」
「入ってすぐ説明を受けられる方が迷いません。食事の匂いがすると、たぶん新人さんはそっち見ちゃいます。先に受付で足を止めてもらいます」
小坂は受付テーブルの位置に立ち、手元のスマホを出した。
「ここでQRを見て、支払い済みか団体予約か、シャワー希望があるかを確認します。説明が終わった人から飲食区画へ案内して、シャワー希望者は堂島さん側でまとめてもらって時間を分けましょう」
「そうだな。予定通り今日俺は料理側を担当するから、そっちは任すぞ」
「はい。こちらはお任せください!」
言われて、俺は簡易キッチンの方を見る。
「助かる」
「そのために来ました」
小坂はにこっと笑ってから、すぐに衛生区画の方へ歩いた。
「シャワー希望の人は、受付で先に声をかけてもらう形でいいと思います。細かい案内は、使ってもらいながら直しましょう」
「最初から決めすぎない方がいいか」
「はい。今日は試験ですし、止まったところを見た方が早いです」
俺は頷き、受付テーブルの下に衛生区画用の備品をまとめた箱を置いた。
その時、目の前に薄い表示が出た。
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【休憩地】
表示種別:運営スタッフ権限確認
登録名:湖畔休憩地
管理者:朝倉歩
従業員登録:登録済み
対象:小坂由真
役割:運営スタッフ
状態:待機中
入退場承認:使用可能
飲食区画利用権限:決済連動
シャワーブース利用権限:決済連動
休憩区画利用権限:手動確認
水場区画利用権限:手動確認
備考:休憩のみ、水場利用、詳細時間管理は未対応
――――――――――――――――――――
「休憩と水場は、俺たちで確認するんだな」
「全部自動じゃない方が、今日はむしろ安心です。私が受付で声をかける相手がはっきりしますから」
小坂は受付テーブルの前に立ち、髪を邪魔にならないよう後ろでまとめた。
ブラウス姿で営業二課の机にいる後輩とは、もう立ち方が違っていた。
客が来た時、最初に声をかける場所ができたのだと分かった。
遠くから、複数人の足音が近づいてくる。
湖畔の道の向こうに、堂島班の姿が見えた。
堂島が先頭で、補助引率らしい女性が少し後ろ。
新人たちは前回より整った隊列で歩いている。
小坂はスマホの受付画面を開き、俺が簡易キッチンの前に並べかけていた食材へ視線を落とした。
「先輩、料理側に入ってください。最初の挨拶と予約確認は私がやります」
「もう任せていいんだな」
「はい。堂島さんたちには、受付で予約内容と利用区分を確認してから入ってもらいます。分からないことが出たら呼びますので、先輩は昼食の準備を進めてください」
「了解だ。分からないことあったら遠慮なく聞いてくれ。やりながら色々と整えていこう」
小坂は頷く。
俺は料理の下準備へ回り、小坂は受付テーブルの前に立つ。
湖畔休憩地の本番が、ようやく始まろうとしていた。
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