第13話 一人営業の限界と後輩のアドバイス
堂島班の背中が湖畔の木立に消えてからも、俺はしばらくその場に立っていた。
タープの下には、使い終えた椀と箸、少しずれた椅子が残っていた。
シンクには泥を流した跡もある。
「……店っぽくなってきたな。だが…」
口に出してから、少しだけ考える。
食事を出すだけなら、これでいい。
けれど八人が座って、水を使い、トイレを確認し、食べて休むとなると話が変わる。
客の確認が入るたび、調理の手が止まる。
「そりゃ手が足りないわけだ」
俺は洗い終わった椀を伏せ、メモアプリを開いた。
次に受け入れるなら、休憩と水場と昼食の扱いを先に決めておく必要がある。
料金はいくらにするのか。
受付はどこでするのか。
水場で装備まで洗わせるのか。
そこまで書いて、俺は手を止めた。
答えが一つも決まっていない。
「……とりあえず掃除するか」
その日はそれ以降客も現れず、地上へ戻った。
◇
週明けの月曜日。
東京ダンジョンマテリアル営業二課の朝は、いつも通り素材価格の確認から始まった。
「朝倉さん、低階層の肉素材、また少し下がってます」
隣の席から声をかけてきたのは、後輩の小坂由真だった。
入社してからは研修の一環で、素材価格の確認や見積書の補助をしてくれている新卒一年目の新人だ。
まだ電話口でお客と相手するには少し緊張が残ってはいるが、資料を作らせると意外と早く、期待の新人でもある。
「ホーンラビットとか値下がり?」
「はい。肉は特に。皮は横ばいですけど、肉は在庫が多いみたいです」
「……だろうな。最近供給多いしな」
「うちの在庫もまだ捌き切れてませんが…」
「うーん。ちょっと入荷控えようか。在庫調整の方が先だろうな」
「分かりました。調達部に話してきます」
「頼んだ」
そんな感じで午前中は進み、昼休憩となる。
「最近素材がだぶつきがちだな」
昼休憩のためノートパソコンを閉じると、スマホに堂島からメッセージが届いた。
『先日の件、改めて相談したい。来週土曜、午前から昼過ぎまで、新人訓練班八名。休憩、水場、トイレ、昼食込みで利用可能か』
「正式にきたかぁ」
ありがたい。
だが、すぐに返すには若干尻込みしてしまう。
俺は返信欄を開きかけて、先に机からノートを引き寄せた。
会社の価格表を見ながら、俺は手元のノートに数字を書いた。
焼きおにぎり十六個。つみれ汁八杯。予備二人分。
これだけならそこまで大した量じゃない。
だが、この先を目指すのなら、これを簡単に捌けないといけないのだ。
「うーん。前回みたいなのは俺の目指す湖畔の休憩地ではないよなぁ」
「あれ? 朝倉さん、昼休憩いかないんですか?」
「ああ、そうだな」
その時小坂が俺のノートに目を向けた。
「それ、見積ですか?」
小坂が首を傾げる。
俺は慌てて手元を見た。
「……仕事にしては、昼食八人分って書いてありますけど」
「見えた?」
「見えました。ホーンラビット肉の在庫確認から、いきなり焼きおにぎり十六個に飛んでいたので」
小坂の視線が、ノートと俺の顔を行き来する。
ごまかすには、書いた数字が具体的すぎた。
「半分は仕事。半分は………知り合いの相談」
「また曖昧な言い方ですね」
「……俺もそう思う」
小坂は少し考えてから、ノートの数字を指した。
「ご飯用の素材計算ですか?」
「まあ、そんなところだな」
「八人分を用意するなら、食材だけじゃなくて、何時に出すとか、提供時間も必要ですよね」
そこで俺の手が止まった。
堂島への返事で引っかかっていたのは、まさにそこだった。
何をどれだけ出せるかだけでは、足りない。
「小坂さん、昼休みに少し相談していい?」
「私でよければ」
昼休み。
休憩スペースの端でお互いにご飯を食べながら、俺は湖畔休憩地のことをかなりぼかして話した。
ダンジョン十階層の湖畔に、世界初確認のオリジンスキルで休憩施設を作りました。
そんな話を会社で出したら、相談ではなく報告事故になる。
「たとえば、山の中に小さな休憩所があるとして」
「はい」
「食事は出せる。水も使える。簡易トイレもある。十人くらいなら座れる。ただ、運営しているのは一人だけ」
小坂は、そこですぐに顔をしかめた。
「一人で、ですか?」
「やっぱりそこ?」
「そこです。料理専門店で入口に自動券売機があれば、まぁ、ですけど、山の中の休憩地ですよね? 休憩地っていうだけあって、それ以外の需要も対応しなくちゃいけないじゃないですか」
「なるほど。確かにその通りだ」
小坂は俺のノートの余白に四角を一つ描いた。
「まずですけど、オペレーションの観点から話しますね。入口で、休憩だけか、食事込みか、水場を使うかを分けます。料金表と利用ルールもそこで見せます」
「うん。続けて」
「山の中ですから、一服したい、って思う人もいるでしょうし。その時に例えば飲み物だけ、とか簡単な食べ物売ってないかな、とか色々と需要が発生します。まして山の中で貴重な水場とトイレがあるなら、使わせないと何のための休憩地? ってなるじゃないですか」
言われて、昨日の堂島班を思い出した。
焼きおにぎりを返す手を止めて水場を説明し、つみれ汁を取り分ける最中で料金を聞かれた。
「あと、水場は分けたほうがいいです」
「手洗いと食器洗い?」
「それと装備洗いです。泥のついた靴を洗った場所で食器を洗うの、嫌じゃないですか」
「……確かに嫌だな」
探索者の装備には、泥だけではなく魔物の血や体液もつく。
現場を見ていない小坂のほうが、俺より先にそこへ気づいていた。
「水が自由に使えるなら、着替え場所も欲しくなります。できれば簡易シャワーも」
「シャワー?」
「目隠しと排水と荷物置きがあれば、最低限、客を案内できます。女性客がいるなら、特に」
昨日の女性引率役も、女性探索者がいる班ではトイレの問題が大きいと言っていた。
着替えやシャワーにも、同じような需要があるのだろう。
そこまでは、まだ考えていなかった。
「でも、管理が大変だろ」
「だから料金に入れます」
小坂は即答した。
「無料で自由に使わせると、確認と清掃のたびに、誰かがそこへ行くことになります。料理中にそれを聞かれたら、どこから対応するんですか」
「……全部、身に覚えがある」
「あるんですね」
小坂が少し笑った。
「人を増やせるなら、最初に必要なのは料理人じゃなくてお手伝いだと思います。受付、会計、設備案内、片づけ。先輩のいうその休憩地で回すのなら最低でも二人は必要です。料理人と給仕など全般的にやってくれる、いわゆるホールスタッフ的なポジションですね」
俺がすぐに返事を出せなかった理由は、席でも食事でもなくそれ以外をやってくれるポジションだった。
俺は料理をしながら、受付も案内も片づけも全部やろうとしていた。
少なくとも今の段階では、それでいいだろう、そう決めつけていた。
「小坂さん、すごいな」
「すごくはないです。見積でもイベントでも、最初に考えるのは運営設計じゃないですか?」
「ほんとその通りだよ。いや、助かった」
「何か、本当にそういう場所を作るんですか?」
小坂が首を傾げる。
俺は一瞬、言葉を選んだ。
「知り合いが、そういう休憩所をやるかもしれなくて」
「その知り合い、だいぶ行き当たりばったりじゃないですか?」
「……否定できない」
「朝倉さん、その人に言ってあげたほうがいいですよ。設備を増やす前に、客が来て帰るまでの流れを書いてくださいって」
小坂は俺のノートを指で叩いた。
「オペレーション設計ってやつです」
そんな話をしつつ、昼休みが終わった。
「役に立ったならよかったです」
「助かった。かなり実用的だった」
「そう言われると、ちょっと嬉しいですね」
小坂は照れたように笑い、そして休憩室を出た。
◇
午後の仕事中も、俺のノートに残った四角と矢印が頭から離れなかった。
終業後、俺は会社を出る前に堂島へ返信した。
『来週土曜の仮予約、受けられる方向で準備します。利用内容と料金は明日までに整理して送ります。水場とトイレの利用ルールも合わせて作ります』
送信して、少しだけ息を吐く。
今度は、その場しのぎの返事ではない。
堂島からもすぐに返事が来る。
『了解。そちらのルールに従う。必要なら事前に新人へ周知する』
「……ありがたいな」
俺はメモアプリを開き、新しいページを作った。
湖畔休憩地、団体利用ルール案。
入口で受付をする。水場を分ける。簡易シャワーを検討する。
そこまで書いて、小坂の席を見る。
俺はメモの下に、もう一つだけ書き足した。
『手伝ってくれる人を探す』
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