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居酒屋店員が異世界転生して、兵站で魔王を倒し元の世界へ帰るまで  作者: もしものべりすと


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第四章 五十人の敗残兵

「お願い、します……皆、を、助けて、ください……っ」


 リリアナさんの掠れた声を背中に受けて、俺は、暖簾を、そっと、外側にめくった。


 ……息を、呑んだ。


 森の小道に、人が、並んでいた。


 いや、並んでいた、というよりも、立っていることが、やっとに見えた。


 五十人ほどの、武装した男たちと、何人かの女たち。


 全員、鎧は欠けて、布の上着は破れて、頬はこけ、唇は乾いている。


 ある者は槍に体重を預けて、ある者は地面に膝をついて、ある者は仲間の肩を借りて、ようやく立っていた。


 全員の目が――


 俺の手の中の、味噌汁の鍋に、釘付けになっていた。


 誰も、しゃべらない。


 風が、暖簾を、ふわりとめくり上げた。


 その風に乗って、店の中の出汁の匂いが、外へと流れていった。


 最前列の、髭面の壮年の男が、その匂いを胸いっぱいに吸い込み――


 膝から、崩れ落ちた。


 うずくまった彼の喉が、ぐう、と鳴った。


「……すまん……」


「……すまん……ほんの少しでいい……」


 彼の声に重なって、後ろの兵士たちも、口々につぶやいた。


「……ほんの、ひとくちでいい……」


「……うちの妹……今晩、生きてる、と思うか……」


「……団長……団長を、助けてくれ……」


 俺は、振り返って、店内を見た。


 リリアナさんが、テーブルから身を起こそうとしていた。


 毛布が、ずるりと、彼女の肩から落ちた。


 彼女は、俺に向かって、震える声で、もう一度、頭を下げた。


「彼らは、私と、共に、戦った、聖騎士団です」


「……五十人」


「ええ、五十人、です。一週間、何も、口にしていません」


 俺は、頭の中で、計算をはじめた。


 米は、ある。


 大鍋でならば、五十人分の雑炊が炊ける。


 味噌汁は、出汁を伸ばせば、人数分作れる。


 焼き鳥は、五十人に一本ずつで、五十本。


 ……三時間あれば、出せる。


 俺は、暖簾の前に立つ髭面の男に、静かに告げた。


「お入りください」


 男が、顔を上げた。


「店、ですから。お客さん、入ってもらわないと、商売、にならないんで」


 彼の表情が、ゆっくりと、ぐしゃりと、崩れた。


 兵士たちは、お互いの背を支え合いながら、店内に入ってきた。


 俺は、藤堂さんに声をかけた。


「藤堂さん、椅子の配置、手伝ってもらえますか」


「は、はあ? 俺がそんなこと、」


「席数足りないので、酒樽を倒してテーブル代わりに。三十秒で頼みます」


 俺の声に、自分でも驚くくらい、迷いがなかった。


 藤堂さんは、口を開けて、何か言いかけて――


 不思議そうな顔のまま、酒樽を運び始めた。


 ホールを、見たことのある人間は、現場の指示の出し方を、本能で覚えている。


 彼も、新人のころは、一応、ホールに立っていたらしい。


 厨房に立ち、米を、二升分、研いだ。


 大鍋に、湯を沸かす。


 業務用の出汁パックを、十袋投入。


 味噌を、たっぷりと溶く。


 炒め鍋で、刻んだネギと、油揚げと、しめじを軽く炒めて、味噌汁の中に放り込む。


 雑炊にする米は、別の鍋。


 残り野菜、卵、出汁、米。


 最後に、焼き鳥。


 炭火台を、フル稼働。


 串を、五十本、並べる。


 逆台形、繊維垂直、縫い留め――いつもの工程を、五十回、繰り返すだけだ。


 ……手は、勝手に動いていた。


 脳の中の「やるべきこと」の順番が、いつもの居酒屋のピークタイムと、同じになっていた。


 ホールが満席で、注文が二十件たまっていて、ファーストドリンクが鳴り続けている。


 その時の感覚と、同じだった。


 俺は、店長ではない。


 ただの作業者だ。


 でも、現場のフローを、誰よりも、長く見てきた。


 四十分で、雑炊が炊けた。


 五十人前を、一気に出す。


 兵士たちが、椀を両手で受け取る。


 彼らは、誰一人として、声をあげなかった。


 ただ、頭を、深く、深く、垂れて、食事を口に運んだ。


 味噌汁を飲んだ瞬間、髭面の壮年男――団長らしき男――が、両手で顔を覆って、声を、ほんの一瞬、漏らした。


 うめき声に近い、息の音だった。


 他の兵士たちも、次々と、肩を震わせていた。


 昔、店の先輩の板前――もう亡くなった、おじいちゃんの板さんが、よく言っていた。


「蓮、忘れんな。食わせるってのは、生かすってこったぞ」


 あの人は、戦争を経験した世代だった。


 いつも、賄いを、たくさん作って、若い俺たちに食わせてくれた。


「腹が満ちりゃ、悩み事の半分は消える。残りの半分は、寝りゃ消える」


 そう言って、笑っていた。


 ……俺は、その人の口癖を、今、思い出していた。


 あのおじいさんは、今、どうしているだろう。


 あ。


 亡くなったんだった。三年前に。


 葬式で、俺は、店を抜けられなかった。


 藤堂さんに「人手が足りねえ」と、シフトを抜けさせてもらえなかった。


 あの日の悔しさが、まだ、胸の片隅で、固まっている。


 俺は、深く、息を吸って、その固まりを、焼き網の上に、押し付けた。


 ジュッ、と、串の脂が、いつもの音を、立てた。



 彼らは、泣きながら、しかし、行儀よく、ゆっくりと、食事を続けた。


 ……「神の食事」だ、と、誰かがつぶやいた。


 俺は、聞こえないふりをして、次の焼き鳥を、ひっくり返した。


 藤堂さんが、こっそり、近寄ってきた。


「お、おい鳴海……これ……一人いくらで売るんだ。金、取れんのか」


「お金、彼ら、持ってないと思いますよ」


「は? お前、こいつらに、タダ飯食わせるつもりかよっ」


「藤堂さん」


 俺は、ひっくり返した焼き鳥の脂を、ティッシュで、ぽん、と押さえた。


「俺、ここでは雇われてる立場じゃ、ないみたいなんで」


 彼の顔が、ぽかんと、抜け落ちた。


 俺自身、自分が、こんなにすらすらと言葉が出るなんて、意外だった。


 夕方近く、団長らしき男が、皿を脇に置き、姿勢を正して、俺の前に進み出てきた。


 彼は、剣を、鞘ごと、抜いて――


 その柄を、両手で持ち上げ、俺の足元に置いた。


「我が剣を、貴公に捧げる」


 彼の声は、もう、震えていなかった。


「マルキューズ・ガラハド・ヴェルス。第三聖騎士団、団長。本日より、貴公の盾となる」


 彼の後ろで、生き残った四十九人の兵士たちが、一斉に、片膝をついた。


 俺は、足元に置かれた剣を、見下ろした。


 刃は、欠けていた。


 鞘の革は、長年の戦闘で、剥がれかけていた。


 その剣を、彼は、こちらに、ただ、差し出していた。


 受け取り方を、俺は、知らない。


 俺は、調理用の白い手ぬぐいで、手を拭いて、それから、彼に向き直った。


「あの、すいません」


 団長の頭が、少しだけ動いた。


「俺、剣の持ち方、わかんないんで……これ、これ、お返ししていいですか」


 兵士たちが、息を呑むのが、空気で、わかった。


 団長は、ゆっくりと、顔を上げた。


 その目から、また、涙が、一筋、落ちた。


「貴公は……剣を、ご存じない、と、おっしゃるか」


「はい。あ、でも、包丁なら、ちょっと、わかります」


 団長は、いきなり、低く、笑い始めた。


 その笑い声に、兵士たちの何人かも、つられて、肩を揺らした。


 誰かが、しゃくりあげて、泣き笑いをした。


 誰かが、椀を、両手で抱えて、また、頭を垂れた。


 俺は、結局、その剣を、受け取らなかった。


 代わりに、団長に、おかわりの雑炊を、もう一杯、出した。



 夜になって、団長は、俺の前で、片膝をついたまま、低い声で告げた。


「明日、領主の使いが来る。我らが噂を、流したからだ。許してくれ」


 俺は、エプロンを外しながら、うなずいた。


「お客さん、来てくれるなら、いいことです」

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