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居酒屋店員が異世界転生して、兵站で魔王を倒し元の世界へ帰るまで  作者: もしものべりすと


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第三章 賄い飯

「……たすけて……」


 その小さな声を、俺は、今でも耳の奥で聞いている気がする。


 あれから、丸一日が経った。


 俺は、店の四人がけテーブルに横たえた銀髪の少女の額を、何度も冷やしながら、夜を越した。


 幸い、傷は深くなかった。


 脇腹に大きな打撲と、浅い裂傷。


 血を流しすぎていただけで、内臓には届いていない。


 止血して、氷で冷やし、塩水で洗って、清潔なタオルで包む。


 夜のうちに熱が下がり、明け方、彼女の呼吸は、規則的なものになった。


 藤堂さんは、客席のソファで、毛布をかぶってずっと寝ていた。


 俺は、彼女の隣の席で、メモ用紙に、知っていることを書き出していた。


 ・ここはどこか分からない。


 ・店は無事。電気水道ガス問題なし。


 ・冷蔵庫の在庫が増えている。


 ・少女は、人間に見える。鎧と紋章は中世風。


 ・言葉は、日本語、らしい。


 ……俺は、書類整理の癖で、無意識にチェックボックスを書いていた。


 業務日報をつけるときと、同じ書き方。



 窓のない厨房に、夜明けの色は届かない。


 でも、ふと壁の上の方を見上げると、店の換気扇から、ほんの細い光の筋が、差し込んでいた。


 ああ、外で、朝が始まったんだ。


 俺は、その細い光を、しばらく眺めていた。


 光は、ゆっくりと、角度を変えていく。


 ガス台の上のステンレスに反射して、厨房の隅まで、淡く伸びた。


 まるで、店全体が、息を吸い込みはじめたみたいだった。


 古い建物のはずなのに、今は、生きているように、温かい。


 朝七時、彼女は目を覚ました。


 最初、彼女は、何も言わなかった。


 ただ、天井の蛍光灯を、ぼんやりと見上げていた。


 俺は、コップに水を注いで、彼女の口元に差し出した。


「飲めますか」


 彼女は、まばたきを、ゆっくりと数回、繰り返した。


 俺の顔と、コップと、それから――店内の景色を、順番に見た。


「……ここは……天界、ですか」


 その声は、思ったよりも、芯のしっかりした声だった。


「……いや、居酒屋です」


「いざかや……?」


「あの、お酒と、食事を、出す店です。日本の。あ、日本って言われても分からないですよね」


 彼女は、頭を、少しだけ起こした。


 その動きで顔がゆがんだ。脇腹の傷が痛んだようだ。


 俺は、慌てて、彼女の肩を支えた。


「無理しないでください」


「……あなたが、私を、助けてくださったのですか」


「いや、たまたまです」


「お名前を、お聞きしてもよろしいでしょうか」


「鳴海蓮です。蓮、で」


「私は、リリアナ・エルディアと申します」


 彼女は、長い名乗りの途中で、ふと、息を切らした。


 ベッド代わりの椅子の上で、肩で息をしていた。


 俺は、彼女に毛布をかけ直して、厨房に戻った。


 とりあえず、なにか、食べさせよう。


 弱った人間には、温かいものがいい。


 米は、ある。


 水は、出る。


 味噌は、業務用のがある。


 俺は、土鍋に少量の米を炊き、味噌汁を作り、焼き鳥を二本焼いた。


 たれは塩で。たれの方が刺激が強いから、弱った人には塩がいい。


 お盆に、ご飯、味噌汁、焼き鳥二本、香の物を載せた。


 俺がいつも、まかないで自分用に作るのと、同じ献立だった。


 テーブルに運んで、彼女の前に置いた。


「……これは……」



 米が、白く、湯気を立てている。


 焼き鳥の表面に、塩の結晶が、点々と光っている。


 俺は、いつものように、串の先端を皿の縁に寄せた。


 食べ進めるとき、串の角度が変わって、最後の一本まで、まっすぐ口に運べるようにするためだ。


 誰に教わったわけでもない。


 ただ、いつも、客の食べ終わったあとの皿を片付けるとき、「ここに串があるとお客さんが食べづらかったろうな」と思って、自分の中で改善してきた、ちょっとした工夫だ。


 ……まあ、誰も気づかないやつだ。


「賄いです。あの、弱ってるときに、いつも俺が作って食べてるやつなので」


 リリアナさんは、目を丸くした。


 白い湯気が、ご飯から立ち上っている。


 味噌の匂いが、店内に、静かに広がる。


 彼女は、震える手で、箸を持った。


 いや、箸を、持とうとして、戸惑った。


 箸の使い方を、知らないらしい。


 俺は、フォークとスプーンを持ってきた。


「これでどうぞ」


「ありがとう、ございます……」


 彼女は、スプーンで、まず、味噌汁を一口、口に含んだ。


 ……スプーンの動きが、止まった。


 ぽろり、と。


 彼女の頬を、涙が、伝った。


 止まらない。


 次から次へと、彼女の頬を、涙が伝っていく。


 俺は、おろおろした。


「あ、あの、すいません、口に合わなかったですか」


「ち……ちがいま、す……」


 彼女は、味噌汁のスプーンを握りしめたまま、肩を震わせていた。


「こんなに、こんなに、優しい食事を……いただいたことが、ありません……」


 俺は、しばらく、立ち尽くしていた。


 味噌汁が、どう優しいのか、俺には、よく分からない。


 ただ、よく分かったのは、彼女が、ずっと、ずっと、何かに、追い詰められていたということだった。



 リリアナさんは、味噌汁を、ゆっくりと、もう一口。


 今度は、しっかりと、味を、噛みしめていた。


 白い喉が、こく、と、上下した。


 彼女のまつ毛が、湿って、震えた。


 俺は、エプロンのポケットから、清潔なハンカチを取り出して、彼女の手のひらに置いた。


 言葉は、なにも言わなかった。


 彼女は、ハンカチを握りしめて、もう一度、頭を、深く、深く、下げた。


「……あたたかい……」


 その一言が、店の空気に、ぽとり、と、落ちた。


 俺の八年分の労働の手が、ほんの少しだけ、震えていた。


 ふと、視界の隅で、なにかが動いた。


 藤堂さんが、ソファから上半身を起こして、こちらを見ていた。


 毛布の隙間から、目だけがのぞいている。


 ぎょっとした顔だった。


 ……何で、こんな小娘が泣いてるんだ、という顔だ。


 俺は、藤堂さんと目が合った。


 彼は、何か言いたそうに口を開いたが、結局、毛布をかぶり直して、また横になった。


 知らないものを、見ないことにする。


 彼の昔からの癖だった。


 俺は、再び、リリアナさんに向き直った。



 別に、感動したわけじゃない。


 ただ――


 目の前の、知らない国の少女が、俺のいつもの賄い飯を食べて、こんなに泣くなんて。


 そういう日が、人生に、来るとは、思っていなかった。


 冷蔵庫のモーターの音が、店内に、低く響いていた。


 壁の時計が、こちん、と、針を進めた。


 その瞬間、店の暖簾の向こうから――


 ガサッ、と、何かが、地面を踏みしめる音が、聞こえた。



 彼女の頬の色が、さっきよりも、ずっとよくなっていた。


 でも、その表情は、ぴたりと、緊張に固まっていた。


 たくさんの足音は、暖簾の外、十メートルほどのところで、止まっていた。


 話し声は、聞こえない。


 まるで、誰かが、合図ひとつで、何十人もの息を抑えている、そんな静けさだった。


 たくさんの、足音だった。


 武具の擦れる、金属音もする。


 リリアナさんが、はっと、顔を上げた。


「お願い、します……皆、を、助けて、ください……っ」

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