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居酒屋店員が異世界転生して、兵站で魔王を倒し元の世界へ帰るまで  作者: もしものべりすと


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第十八章 賄い再び

翌朝、王城の調理場に俺は立っていた。


 ガイウス氏が白い調理服を用意してくれていた。俺のサイズにぴったりだった。


「鳴海どの、本日、何をお作りになられるか」


「賄いをつくります」


「マカナイにござりまするか」


「ええ。あれをもう一度、リリアナさんに食べてもらいたい」


 ガイウス氏は深く頷いた。


「我ら料理人ギルドがお手伝いいたします」


「ありがとうございます。米と味噌と、鶏もも肉と、ねぎと、岩塩をお願いします」


「すぐに」


 王城の巨大な厨房に、五十人の宮廷料理人が集結した。


 彼らは俺のたった一人分の賄い飯のために、最高の食材を用意してくれていた。


 俺は調理服の袖をまくった。


 ステンレスの調理台にまな板を置いた。


 米を研いだ。水を三度入れ替えた。味噌を丁寧に漉した。出汁の煮干しを丁寧に骨と皮を取り除いた。


 鶏もも肉に隠し包丁を入れ、繊維方向を確認した。串を打った。


 ……いつもの、八年分の手順。


 でも、今日は一人分。いちばん丁寧に打った。


 炭火台に串を置いた。炭の温度を額の皮膚で測った。いつもより少しだけ低めに調整した。


 弱っている人には、香ばしさよりも肉汁のしっとりさを優先する。


 ジュッ、といつもの音。でも、いつもよりもずっと静かに、低く響いた。


 俺の後ろで――料理人ギルドの五十人が、息を止めて見ていた。


 ガイウス氏は両手を後ろに組んで、ぴくりとも動かなかった。


 彼らの視線が、俺の串と米と味噌のすべての工程を追っていた。


 四十分後、俺はお盆に賄い飯を載せた。


 炊きたての白い米。味噌汁。焼き鳥、塩、二本。香の物。


 ……一年前、リリアナさんを店で最初に迎えた日と、まったく同じ献立。


 俺はお盆を両手で持って、調理場を出た。


 料理人ギルドの五十人が、深く頭を垂れた。


 王城の廊下をゆっくり歩いた。


 米の湯気が、お盆の上からふわりと立ち上っていた。


 味噌の匂いが、廊下の壁に染み込んでいた何百年分かのシャンデリアの蝋の匂いと、混ざり合った。


 ……これは不思議な匂いだった。


 日本の深夜の居酒屋と、ヴェルディノス王国の王城の廊下が、ひとつの匂いになっていた。


 治療室の扉を片手で開けた。


 彼女はまだ眠っていた。


 でも、その頬の灰色は――……ほんのわずか、薄くなった気がした。


 いや、薄くなったかどうかはわからない。ただ、俺がそう思いたいだけかもしれない。


 俺はお盆を、彼女の枕元の机に置いた。


「リリアナさん。賄い、できました」


 彼女のまつげがわずかに震えた。


「あの最初の日と同じ献立です」


 彼女の唇がほんの、ほんのわずかに開いた。


 俺は味噌汁の椀を両手で持ち上げた。彼女の口元に寄せた。


 白い湯気が、彼女の頬を撫でた。


 ぴくり、と彼女のまつげが震えた。


 彼女のまぶたが、ゆっくりと開いた。


 ……青い瞳。


 彼女は俺を見た。唇が震えた。


「……ナルミ、様……」


「リリアナさん」


「賄い、ですか」


「ええ」


「最初の日のと、同じ」


「ええ」


 俺は椀を、彼女の口元に運んだ。


 彼女は震える唇で、ほんの一口、味噌汁を含んだ。


 ぽろり、と――彼女の頬を、ひとしずく、涙が伝った。


「あたたかい……」


 その一言で、彼女の頬の灰色が、ほんのわずかに薄まった。


 俺は見た。たしかに、見た。


 部屋の隅で見守っていた、宮廷の治癒術師たちが、息を呑んだ。


 彼らは自分の目の前で起きていることを、信じられないような顔をしていた。


「……これは……」


「灰色の進行が、止まりました……」


「止まったどころか、戻りはじめております……」


「賄い飯で?」


 誰かがつぶやいた。


 俺は味噌汁の椀を、彼女の両手に預けた。


 彼女は震える指で椀をぎゅっと握った。


 その指に、ほんの少しだけ血の色が戻っていた。


 俺は彼女の足元にしゃがみ込み、深く深くお辞儀をした。


 言葉ではない、何かがこみあげていた。


 ローガス司教が扉から、息を切らせて駆け込んできた。


 彼は奇跡の現場を見て、両手で自分の口を覆った。


「これは……これはまさに、《調停の御使い》の業……」


「いえ、賄いです」


「鳴海どの、《調停の御使いの書》にはこう記されておりまする。『調停の御使いのまかなう食は、闇神の呪いをすらほどく』、と」


 俺は振り返った。


「いえ、ただの賄い飯ですよ」


 司教は両手を合わせ、声を震わせた。


「貴公にとっては、ただの賄いにござろう。だが、我らにとっては、それこそが奇跡にござる」


 俺はノートをぱさりとテーブルに置いた。いつも通りの軽さで。


「俺、いつもこれ、やってるだけです」


「だからこそにござる」


 司教の言葉が低く響いた。


「八年、毎晩変わらず続けてこられたものを、今、貴公は人ひとりの命に無造作に注いだ。それを世人は奇跡と呼ぶ。だが貴公の内には、それがいつもの業なのだ」


 俺は深くお辞儀した。


「ありがとうございます」


 司教はノートを両手で押し戴き、深く深く頭を垂れた。


 数時間後、リリアナさんは、ベッドの上でゆっくりと上体を起こせるようになっていた。


 頬の灰色は、もうこめかみまで後退していた。


 完全に消えたわけではなかった。


 でも、進行ははっきりと止まっていた。


「ナルミ、様……」


「はい」


「私……生きておりますか」


「はい、生きてます」


「……ありがとう、ございます……」


 彼女は深く頭を下げた。


 俺は首を振った。


「いえ、こちらこそ。ありがとう、ございます」


「えっ」


「あなたが生きていてくれて、助かりました」


 彼女の頬に瞬時に桜色が差した。その色が、灰色をわずかに押し戻した。


 俺はそれを見ていた。


 ……人の命の戻りかたは、こんなにもわかりやすく、色で出るものなのか。俺は初めて知った。


 その夜、王城の大広間に、また戦勝以来の灯火が灯った。


 王国軍、参謀本部、料理人ギルド、聖騎士団、冒険者ギルド――全勢力の代表者が集結していた。


 国王陛下が上座から立ち上がった。


「諸君。鳴海どのの賄い飯が、聖騎士リリアナの闇呪を押し戻した」


 大広間がざわめいた。


「これにより、敵将ガズドラの呪詛の力が弱まることが確認された。今こそ、本拠地、廃神殿へ、最終の進軍を行う」


 貴族たちがいっせいに立ち上がった。


「鳴海どの。最終布陣を、お頼み申し上げる」


 俺は立ち上がった。業務日報を両手で開いた。最後の空白の頁にペンを走らせた。


 各部隊の配置、移動経路、補給ローテーション、随伴料理人、すべてが罫線の内側に整然と収まった。


 俺の八年分の業の形が、五万の軍勢の最終布陣になった。


 俺はノートのその頁を、月明かりの下で、再度確かめた。


 各部隊の動線が、互いに干渉せず、しかも一日のうちに、必ずひとつの拠点に重なるよう設計されていた。


 料理人と聖騎士の組み合わせも、一日ごとに、組み替わる。


 ピーク中の居酒屋の、シフトの引き直しと、同じ感覚だった。


 誰も、誰かの代わりにはなれない。でも、誰かが倒れたら、誰かが受け取る。それが現場のシフトだ。


 俺はノートをテーブルに置いた。


「これで、行きます」


 大広間の全員が深く頭を下げた。


 窓の外で雪が止んでいた。月が雲を完全に振り払って出ていた。

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