第十五章 ロジスティクス無双
閉店オペレーション、開始から五日目。
俺は王城の参謀本部の地下に、特設の指揮本部を置いていた。
大きな卓上の地図。その上に、駒のように配置された各拠点の模型。壁には、毎日刻一刻と変わる各前線の戦況図。
俺の右手には、業務日報、第二巻がある。
第一巻はリリアナさんの枕元に置いていた。
帰ったときに第二巻を並べて見せるつもりだった。
……いや、見せる、というよりも。帰る、という自分への約束だった。
卓を取り囲んでいたのは――セバス参謀。ガイウス料理人筆頭。マルキューズ団長。ザムザ・ギルドマスター。そして王女アリエル。
全員が、俺の業務日報のページを覗き込んでいた。
「鳴海どの。前線第一隊、補給、ありがとう」
セバスが低く報告した。
「次は、第三隊が二日後に糧食、切れます」
「では、中継拠点二号から三日分、回しましょう」
俺はペンで地図の線を引いた。
「料理人を二号拠点から五人、前線に同行させます。野営地で温食を出します」
「焼き鳥、出せますかな」
ガイウスが白い口髭を震わせた。
「ええ、出せます。鶏肉を二号拠点で串打ちまで終わらせて、前線で焼くだけにします。塩は岩塩の粒、一袋ずつ。風で飛びにくい量で」
「鳴海どの。前線で焼き鳥が出せると聞いた瞬間、兵の士気が跳ね上がります」
「ですよね」
俺は笑った。
兵士たちが温かい焼き鳥を口に運ぶ姿が、目に浮かんだ。
……腹が満ちりゃ、悩み事の半分は消える。残りの半分は、寝りゃ消える。
あの、亡くなったおじいちゃんの板さんの口癖だった。
その教えが、今、王国軍五万の兵士たちの命を支えていた。
マルキューズ団長が、地図に剣の鞘の先で点を指した。
「鳴海どの。我ら聖騎士団は、二号拠点を守備。料理人と補給物資が敵に奪われぬよう、命がけで」
「お願いします」
ザムザが頭の後ろで両手を組んだ。
「俺の冒険者は、敵の別働隊を片っ端から叩き潰す。物資を襲わせない」
「ありがとうございます」
「いやー、しかしよ、鳴海。お前の頭の中、どうなってんだ。これだけの配備、軍学校で十年勉強しても、書けねえぞ、ふつう」
「八年、居酒屋でホールに立ってたんですよ」
「八年でこれか」
ザムザは苦笑した。
アリエル王女が扇を口元に軽く当てた。
「鳴海どの。先ほど、敵領、最深部の廃神殿より、敵将の声明が届きました」
「声明?」
「『調停の御使いを討つ前に、その補給線を絶ってみせよ』との宣言にござります」
俺は頷いた。
「敵も、補給線が肝だと気づいたわけですね」
「ええ。敵はこちらの補給拠点を的に狙ってきます」
「来ますね」
俺は地図のある一点を、指で囲んだ。
俺の店の跡地。補給ロジックの出発点、ハブ拠点。
敵が来るなら、ここだった。
俺はペンで線を引いた。
「冒険者ギルドの三千の半分を、ここに。残りは各中継拠点に分散。マルキューズ団長、聖騎士団五十名、ここに来てください」
「承知」
「セバスさん、王国軍本隊、本日、出陣、お願いします。敵の本拠地、廃神殿への直接の進軍を」
「正面突破にござるか」
「ええ。敵の本拠地を抜きます。補給線、こちらが奪われる前に、相手の首根っこを押さえる」
「鳴海どの、敵の本拠地は、五万の軍勢で十分に抜けると、お考えか」
俺はしばらく地図を見た。
頭の中で計算した。
敵兵力、推定、八万。こちらの本隊、五万、と冒険者の別働、三千。
……正攻法では足りない。
でも、敵兵が戦うには、敵兵にもメシがいる。
俺の頭の中で、ぱっとピースがはまった。
「敵の補給線をこちらが先に潰します」
「な、なんと」
「敵兵、八万を、五日、飢えさせる。それから本隊、五万で、攻める」
セバスが口を開けたまま固まった。
「鳴海どの……それは……」
「兵糧攻め、ですね、戦国時代でもよくあった、やつです」
俺はいつもの口調で言った。
でも参謀本部の全員が、息を止めていた。
ザムザがぽつりとつぶやいた。
「……敵が、可哀想になってきたな」
大広間がふっと苦笑に包まれた。
その日の深夜まで、参謀本部の灯火は消えなかった。
俺は業務日報の各ページに、各拠点の人数、物資量、移動距離を書き、計算した。
ガイウス氏が料理ギルドの台帳を横に開いた。
誰が、何の調理が得意か。誰が、長距離移動に耐えうるか。誰が、戦地経験があるか。
ふたつの台帳を突き合わせて、各拠点の料理人の配置を決めた。
マルキューズ団長は聖騎士団の編成表を開いた。
二十年の戦歴。誰が誰と組んできたか。誰の剣の間合いが長く、誰の盾の運びが速いか。
俺の書く業務日報の各ページが――居酒屋のホールのシフト表と、まったく同じ形になっていた。
誰をどこに置くか。誰と誰の組み合わせが、最も効率が上がるか。
……現場の人を配する、というのは、戦場でも居酒屋でも、本質は変わらなかった。
夜、休憩時、ガイウス氏が俺の肩に手を置いた。
「鳴海どの。我ら料理人、五千名、すべて貴公の号令の下で動いておる」
「ありがとうございます」
「五百年、料理人ギルドがこうしてひとつになったことは、一度もなかった」
「ええ、まあ」
「貴公の業務日報――その罫線のひとつひとつが、ヴェルディノス王国の未来を書き込んでおる」
俺はペンを握り直した。
ガイウス氏の言葉に答える言葉が、見つからなかった。
ただ、いつものようにその日の所感欄に、ひとこと書き足した。
「各拠点、料理人配置、完了」
翌朝、敵領深部に潜入していた王国軍の斥候から、報告が入った。
敵将の名は、ガズドラ・グレム。闇神の副官と呼ばれる、千年生きた魔族の軍師。
その、ガズドラが――俺の補給ロジックを見て、自陣の兵糧管理を急遽組み直し始めた、という。
「鳴海どの。敵将が貴公のノートの罫線を写したかのように、自軍の兵站を書き換えはじめております」
セバスが報告した。
俺はぴくりとペン先を止めた。
……敵にもこちらの書式が伝わったか。
「向こうの料理人ギルドに相当する者は、いますか」
「いえ、敵には料理人、ほぼおりませぬ」
「では、追いつきません」
「……と申されますと」
「料理人を各拠点に配する、ということは、調理だけでなく、保存方法、配膳優先順位、衛生管理、すべてをまとめて運営することです。一日二日で真似はできません」
セバスの口元がふっと緩んだ。
「鳴海どの。それはつまり――」
「真似された、と思ったら、それは表面だけです。我々が勝ちます」
大広間に、低い安堵のため息が流れた。
会議の終盤、アリエル王女が立ち上がった。
「鳴海どの。最後に、ひとつ、確認させてください」
「はい」
「兵糧攻めにより、敵兵八万が、五日後に飢える。その後、本隊で攻める。これは、敵側に降伏の機会を与える、ということでもよろしいですか」
俺は頷いた。
「敵兵にも、家がある人、たくさんいると思います」
「ええ」
「降伏してきたら、賄い飯、出します」
大広間が、しんとなった。
アリエル王女の口元に、ゆっくりと微笑が浮かんだ。
「鳴海どの。あなたの戦は、終始一貫しておりますね」
「終始一貫、ですか」
「ええ。お客様を、笑って帰す。ただそれだけ」
俺は深く頷いた。
「ええ、まあ、それが現場ですから」
国王陛下が、ゆっくりと立ち上がった。
「諸君。我らは、これより、調停の御使いのご指図のとおりに、戦の作法を変える。降伏した敵兵には、賄い飯を出す。これを王命とする」
貴族たちが、深く頭を垂れた。
ヴェルディノス王国の歴史で初めて、敵兵への賄い飯が、王命として制度化された瞬間だった。




