生け花
生け花教室の日でした。文なりの考えで教えています。
翌朝八時過ぎに起きた。
顔を洗い、歯を磨いて、肌のお手入れをして、今日は生け花教室だったな、浴衣じゃまずいな、と白地に淡い水色の格子柄が所々に入った絣の夏の着物を選び、襦袢を着て、着物を身につけ、帯を絞めた。帯は浅黄色のを選んだ。髪をどのように結うか、鏡の前で悩んだが、左側に寄せて緩く結ってから、オパールがついている髪飾りをして、帯留めもオパールのをした。
私の髪飾りや簪、帯留めは、二人の祖母から受けついだものだった。昔のものの方が、細工が良いように感じられた。
化粧も今日はちゃんとした。
朝薬を飲んで、朝ご飯を食べようかとしたが、昨日食べ過ぎて、食べれなかった。ヨーグルトとコーヒーだけ淹れて飲んだ。
居間の台の上に『よく寝ていましたね。昨日は楽しかったです。また夕方に来ます。猫ちゃん達にはごはんをあげました』と書かれたメモ用紙が置いてあった。
私は今日来る花材を事前に花屋さんと打ち合わせして、大まかに決めていたから、どんな花器に生けようか、花の形はどのようにするか、ノートに絵を描きながら、考えていた。膝には子猫三匹が、ココは私にくっついて寝ていた。子猫たちも生まれて、約一ヶ月が経って、コロコロと太っていた。歯も大人の歯に所々生え変わっていた。子猫は餌も食べて、ココのおっぱいも吸っていた。ココはまだ少し痩せていた。
母方の親戚のおばちゃんが作ってくれたバッグに花鋏と花袋、ミニタオル、ノート、筆記用具、スマホとお財布を入れて、「行って来るね」と、私は猫たちに声を掛けて、日傘を出していたら、猫たちは玄関に見送りに来てくれた。いじらしくて、早く帰ろうという気持ちになった。
今日の教室は、町がしているもので、私はもう十年以上講師を務めていた。参加者は私の母より年上の方が中心で、ほとんど生花経験者の方だったから、教えるのは楽だった。花器や剣山も公民館に置いてあった。
私は花材を見て、背が高い花器を選んで、左側に垂れるような花を生けた。
生徒さん、それぞれの花の手直しをした。先生によっては、全てを直す方もおられるのだが、私は生徒さんの自主性や、生けたい気持ちを大切にしたくて、手直ししかしなかった。ちょっとの手直しを加えるだけでも、花は変わるのだった。
終わってから、花を見ながら、お茶を入れて生徒さんが持ち寄ったお菓子やお漬物を一緒に食べた。みなさんお喋りを楽しんでおられた。
生徒さんから、帯紐や足袋を頂いたりしていた。簪や帯留めはさすがに遠慮した。
片付けをみなでして、「また来週楽しみにしています」と、教室は約一時間半で終わった。
うちに帰る途中にある、雑貨屋さんに寄った。
お抹茶を頼んでいたのだった。先代はお茶屋さんを営んでおられて、雑貨屋さんの一角に今もお茶を並べてあった。私は自己流でお茶を楽しんでいたから、時々お抹茶を買いに来るのだった。安かった。もちろん雑貨や手芸コーナーを見るのも好きで、この雑貨屋さんにはよく来ていた。
裏道を通って、うちに帰って鍵を開けていたら、中から猫たちの鳴き声が聞こえて来た。「はいはい、ごめんね。遅くなりました」と猫たちに謝って、荷物をテーブルの上に置いて、手を洗って、うがいをした。
花器をなおしている押入れから、広口の水色の硝子の花器を出して、公民館で生けた花とは違う生け方で花を生けた。床の間に飾ったら、ココが早速花の水を飲んでいた。
足袋や着物を脱いでから、臙脂色に白い百合の模様が入った浴衣に着替えて、白の帯を巻いた。
疲れたな、とベッドに横になって寝た。起きたら、二時前だった。昼薬を飲んで、冷蔵庫を開けたら、母が冷やし中華を作って入れてくれていた。母に電話したら、「あなた、花で疲れただろうと思って行ったら、寝ていたから起こさなかったの」と母は言った。「うん。疲れた。ありがとう。これから食べるね」と言って電話を切った。
猫たちに餌をあげてから、冷やし中華を食べた。
よく冷えた冷やし中華は、寝起きの身体に心地良かった。麦茶を飲みながら食べた。
食べ終わり、歯を磨いてから、花鋏の手入れをして、花袋を濡れ布巾で拭いた。花袋は外に干した。
着ていた襦袢や使ったミニタオルと布巾を洗濯籠に入れた。シーツ類の山を見て、明日は洗濯の日だな、と晴れるといいなーと思った。
居間のソファーに座って、今日生けた花のノートをつけた。イラストも描いた。猫たちもソファーに乗って、子猫たちはココのおっぱいを飲んでいた。
何度も見ているチェコスロバキア時代のアニメのDVDを観た。観終わってから、日記を付けた。昨日の分を書いていなかったから、時間がかかった。
母は五時ぐらいに来た。床の間の花を見て、「あら、いいじゃない」と言ってくれた。「ココが水盤の水を飲むの」と私が言うと、「サクラと一緒ね」と母は言った。
母は買い物袋をテーブルの上に置いて、椅子に座り、「文、コーヒー淹れてくれる?」と、言うから、私はお湯を沸かして豆を挽いてコーヒー淹れてあげた。母は疲れているようだった。
私は冷蔵庫から、オーガニックのチョコレートを出して、母に「どれにする?」と聞いたら、「あら、まだあったの」と、嬉しそうな顔になった。「うん、これはまた違うシリーズなの。私もまだ食べた事が無いの」と、私が言うと、母は四枚のうちから、包みが緑がかったイラストのを選んだ。「文も食べようよ」と母が言うので、私もコーヒーを淹れた。チョコレートは、ちょうど良い甘さで、母の好みの味のようだった。母が元気になったようで良かったと思った。
「今日は何を作るの?」と母に聞いたら、「お父さんが、焼肉をしたいと言ってるから、文は着替えた方がいいわ」と言われた。
この家の軒先は長くて、コンクリートも広くて、スペースがあった。そして芝が生えていて、生垣が植えてあった。
父は焼肉用のコンロなどをうちに置いていた。外にはテーブルや椅子も角に置いてあった。
肉は胃がもたれるから嫌だったけど、仕方がないや、と諦めて、私は母に「着替えて来るね」と言って、浴衣を脱いで、長袖のシャツとスリムパンツを履いた。
髪飾りをしたままだったから、拭いてからケースになおした。久しぶりの洋服は変な感じがした。
母と台所に立って、野菜を洗って切った。それらを洗ったお盆に並べた。タレ皿を出したり、割り箸を出したりした。
猫たちに餌をあげた。ココにはササミを多めにして、ミルクもあげた。様子を見ていた母が、「ココちゃん、育児で大変だもんね」と言った。
「文、子猫が大きくなっても、みんな一緒に飼うの?」と聞かれて、考えもしなかったことだったから、「四匹飼うのは大変かな」と母に聞くと、「離れ離れにさせるのは可哀想だもんね。文も体調が安定して来たし、きっと四匹飼えるわよ」と言ってくれた。
父が来て、外に置いてるテーブルを出したり、畳んであった椅子を広げていた。私は布巾でそれらを拭いた。
焼肉用のコンロをテーブルに置いて、タレ皿や割り箸、菜箸を外に運び、野菜や肉類はコンテナの上に並べた。飲み物も両親のはビールを、私が飲むのにノンアルを運んだ。
父は焼肉奉行で、肉や野菜を焼くのは父に任せていた。下手に口出しすると機嫌が悪くなるのだった。
私たちがある程度食べたら、父は自分の好物のホルモンを焼いて食べた。
私は食べ終わると、「お風呂を沸かしておくね」と言って、部屋の中に戻り、お風呂を洗ってお湯を溜めた。
夕薬を飲んで、昨日友達がくれたアイスを食べていたら、猫たちが欲しがったから、少しずつお皿に入れて与えた。アイスがバニラだったから、気に入ったようで溶けたら舐め、溶けたら舐め、を繰り返していた。可愛かった。アイスを食べ終えて、コーヒーを淹れた。コーヒーが入ったマグカップを持って外に出て、煙草を吸った。両親は私にはよく分からない会社の話や、知らない人の話をしていた。もう一本煙草を吸ってから、「先にお風呂に入るね」と二人に言ってから、私は部屋の中に戻り、着替えの浴衣を持って浴室に行った。猫たちもついて来た。
焼肉の匂いがついたから、髪を念入りに洗ってシャワーで流していたら、猫たちは私と一緒にシャワーを浴びていた。見ていて可笑しかった。猫たちの身体を専用のシャンプーで洗ってあげて、私自身の身体も洗った。私が湯船に浸かっている間は、猫たちは蓋の上に敷いているバスタオルの上にいた。
サクラは身体の調子が悪い時に、自分で浴槽の蓋の上に小さく身体を丸めて寝ていたな、とサクラの事が思い出された。サクラは私が病状が不安定になった時には、素早く気付いてくれていた。サクラは私が体調が良くなったのを見届けるようにして死んだ気がするのだった。最後まで生き抜いてくれて、サクラは私にとって特別な猫だった。
お風呂から上がり、髪にタオルを巻いて、身体にはバスタオルを巻いて、猫たちの身体をタオルドライした。
優しくドライヤーをかけて乾かしてあげた。
それから私も身体を拭いて、髪を乾かして、歯を磨き、顔のお手入れをして、浴衣を着た。
浴衣は昼間に着るものと、寝る時に着るものはもちろん分けていた。
和裁をしていた祖母が、「寝る時には白い浴衣、昼に着るのは紺地の浴衣」と私が小学生の頃に言っていた。
私は七月生まれという事もあり、誕生日祝いに浴衣を貰う事が多かったし、祖母が仕立てくれた浴衣や、もう一人の祖母から受け継いだ浴衣がたくさんあった。
冬の着物も同様だった。母から貰った着物や帯もたくさんあった。
病気になってから、服を買う事が無くなっていた。妹がブランド物の服をくれたり、時折母に連れられて服を買って貰っていた。母は約三十年、洋服屋さんを営んでいて、お洒落だった。
浴室から出たら、両親は居間のソファーに座ってテレビを見ていた。
父に「お風呂どうぞ」と言うと、「文、コーヒーを淹れてくれ」と言った。「お母さんは?」と母に聞いたら「私も」と言うので、二人にコーヒーを淹れてあげた。
父に、「このソファーね、ソファーベッドなの。これに寝る?お布団は腰が痛くなるんでしょ」と私が言うと、「そうなのか。うん、これに寝る」と父は早速ソファーベッドの作り方を私に聞いて来た。二人で背もたれ部分を倒した。
父がお風呂に入っている間にシーツを敷いて、枕を置き、綿毛布を掛けた。
母に「一緒に寝る?ベッド、セミダブルだし、猫たちと寝れるよ」と私が言うと、「いいの?」と母は少し興奮していた。
「私の猫好きはお母さん譲りね」と母に言うと、「ずっと飼ってたからね。黒猫ばかり」と母が言うから、母がルナを特別に可愛がる訳が分かったのだった。
お風呂上がりの父に水をあげて、私も就眠薬を飲んだ。父はソファーベッドに横になって、テレビを見て見ていた。
母もお風呂に入った。父に「もう寝るから」と言って、母にも浴室の外から、「先に寝てるね」と声を掛けて、寝室に行ったら、猫たちは真ん中に寝ていた。
私は窓側に寝て、いつものようにココに腕枕をして寝た。すぐに寝てしまって、母がベッドに入ったのにも気付かなかった。
起きたら、まだ母は寝ていた。七時前だった。
顔を洗い、歯を磨いて、顔のお手入れをした。
浴衣は紺地に白で笹の絵柄のを選んだ。和裁をしていた祖母が私に手縫いしてくれた浴衣だった。淡い赤で裏側が桜柄の帯を、桜柄が見えるように折って結んだ。
髪を高く結って、珊瑚の簪をさした。その日の気分で髪は結っていた。薄化粧もした。
朝薬を飲んでから、猫たちにエサを作って、両親の朝ご飯を作った。ご飯を早炊きして、鮭を焼いて、卵焼きも作り、玉ねぎとワカメと豆腐が具のお味噌汁を作った。
父が起きて来たから、「おはよう。朝ご飯出来てるよ」と言うと、「ん。顔を洗って来る」と言って、洗面所に行った。
父の朝ご飯を用意して、私の分のパンを焼いた。ヨーグルトを硝子の器に盛って、ブルーベリージャムを冷蔵庫から出した。
来月になったら、ブルーベリー狩りが出来るな、またジャムを作ろうと思った。
お湯を沸かして父にはお茶を。自分用にはコーヒーを淹れた。
二人で朝ご飯を食べた。
「ソファーベッドの寝心地はどうだった?」と私が聞くと、「うん。良かった。よく寝れた」と父が言うから、「気付かなくてごめんね。明日から、ソファーベッドに寝たらいいよ」と私が言うと、「いつ買ったんだ」と聞いて来たから、「この前、一緒に晩ご飯食べた友達が、家を建てる時に、いらなくなったみたいで、私にいらないですか?って聞いて来たから、遠慮なく貰ったの。旦那さんが軽トラで運んでくれたんだよ」と言ったら、「あの旦那は面白いな」と父は思い出し笑いをしていた。父は「会社に行く」と言って、歯を磨いて、うちを出た。
母が起きて来て、ルナを撫でて抱っこしていた。
「おはよう。朝ご飯食べれる?」と聞いたら、「うん。食べる。顔を洗って来るね」と洗面所に行った。
私はお味噌汁を温め直して、鮭や玉子焼きを皿に乗せて、ご飯とお味噌汁を注いだ。
「あー幸せ。自分で作らない料理は美味しいわ」と母は満足そうに食べていた。母は膝にルナを置いていて、時々撫でていた。
「今日、夕ご飯、私が作ろうか」と私が母に言うと、「いいの?足りない材料があったら、電話してね」と嬉しそうだった。
「文、立って見せて」と母に言われて、母に見えるように私は立った。
「後ろ向いて」と言われて、後ろを向いたら、「帯の結び方も上手になったわね。それ、ばーちゃんが作ってくれた浴衣でしょ。似合ってるわよ」と褒められ、照れてしまった。
「文はこんなに可愛いのに、なんで結婚できないのかしら」と言われてしまい、「座敷童だから」と私が言うと、「もう、またふざけて」と叱られた。
「『紹介したい』という話が来ているけど、会ってみる?」と言われて、「先生に相談してからでいい?」と母に言った。
両親は必ず私より先に死んでしまうし、一人で生きていくのは寂しい。そんな不安があった。
何も考えずに若い時に結婚していれば良かったな、という後悔があった。
年を取るごとに、変な男としか付き合えなくなっているのに悩んでいた。
生け花は中学一年生の時からしている、唯一続いている習い事です。
今日は生け花教室で、教えて来ました。花材に蝋梅が入っていました。香り良くて、うっとりとしました。
お読みくださり、ありがとうございます!