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『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第2章 奇跡の村

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第6話 奇跡の気配

夕方の喧騒が、どっと流れ込んでくる。


 ギルド《灯守の会》の扉を開けた瞬間、森の静けさとはまるで別の世界が広がる。


 酒の匂い。鉄の匂い。焼いた肉の香り。

 荒い笑い声と、椅子を引く音と、誰かの怒鳴り声が、雑多に混ざり合って耳へ飛び込む。


「戻ったぞ」


 ユキが短く告げる。

 奥の席から、すぐにアッシュが片手を上げた。


「おー、無事か?」


「普通」


「机は弁償な」


「請求元はお前だろう」


「お前ほんと理不尽だな!?」


 周囲からどっと笑いが起きる。


 昼間まで森で血を浴びていたとは思えないほど、空気は軽かった。


 戦いの匂いも、死の気配もない。

 そこにあるのは、ただの見慣れた日常だ。


 アナはその様子を見回し、小さく息を吐く。

 安心したのだと、自分でもわかった。


 血も怒号もない。

 誰かが死ぬかもしれない緊張もない。

 そんな当たり前のことが、今は少しだけ嬉しい。


 リーナがカウンター越しに手を差し出す。


「報告をお願いします」


 ユキが簡潔に要点だけを告げ、依頼書と簡易報告を渡す。

 リーナは慣れた手つきで内容を確認し、ペンを走らせた。


「暴走型の不完全魔装、ですね……」


「破壊済み」


「ご苦労様です。こんな街の近くに出るのはかなりイレギュラーですので、上にも報告しておきます」


 言いながら記録を書き込み、リーナはふと顔を上げた。


「ユキさんが同行してくださって、本当によかったです」


 アナは思わず力強く頷く。


「本当に……! 一瞬で終わりました!」


 腰の刀から、かすかに得意げな声が漏れる。


(今回も綺麗に壊しました)


「ドヤるな」


(事実です)


 ユキが小さく舌打ちする。

 それだけで、また周囲から笑いが漏れた。


 その時。


 奥のテーブル席から、別の話題がふと浮かび上がる。


「聞いたか? 西の村の話」


「奇跡だとよ」


 ざわり、と空気が揺れる。

 酒の席の与太話のようでいて、妙に耳を引く言葉だった。


「寝たきりだった娘が歩いたらしい」


「戦争で神経やられて、もう一生動けないって医者が匙投げてたって話だ」


「なのに急に立ち上がった。自分の足で、だと」


 笑いが混じる。


 半分は冗談。

 もう半分は、本気の興味。


 そんな都合のいい話があるものか、と笑っている。

 だが同時に、もし本当ならと惹かれてもいる。


 アナの犬耳がぴくりと動いた。


「歩いた……?」


「都合が良すぎる」


 アッシュが腕を組んだまま、低く言う。


「奇跡ってのは、大抵裏がある」


 その言葉に――


 ユキの手が止まった。


 ほんの一瞬だけ。


 だが、確かに。


(……似てる)


 シグレの声が、わずかに低くなる。

 リーナが静かに引き出しを開き、一枚の依頼書を取り出した。


「ちょうど、調査依頼が来ています」


 差し出された紙には、簡潔な文字が並んでいる。


 《西方・ミレル村 奇跡の発生につき調査願う》


 さらに、その下。


 《魔力反応あり》


 その一文を見た瞬間、ギルドのざわめきが遠のいた気がした。

 酒の匂いも、笑い声も、すべてが一歩後ろへ退いたようだった。


(ユキ)


 シグレの声が硬い。


(その感じ……)


 ユキは何も言わない。


 ただ、依頼書を手に取る。

 紙の端が、わずかに軋む。


「行く」


 短い一言。


 迷いはない。考えるより先に、もう答えは決まっていたような声音だ。


 アナが顔を上げる。


「私も行きます!」


 ユキに重ねる様に、アナも声を上げた。


 アッシュが少しだけ苦笑する。


「奇跡の見物か?」


「違います」


 言い返したあと、アナはほんの少しだけ言葉に詰まった。

 それでも視線は逸らさない。


「……知りたいんです」


 胸の奥に残っているものを、言葉にするように。


 アッシュは何かを察するように頷いた。

 ユキが横目で見る。


 その視線は冷たくない。

 試すようで、測るようで、けれど拒んではいなかった。


 やがて、短く告げる。


「準備しろ」


 それだけだった。


(優しい)


「うるさい」


 いつものやり取り。

 けれどその短いやり取りの中に、アナは確かに拒絶のなさを感じ取っていた。


 その夜は、静かに過ぎていく。


 ◇


 翌朝。


 空はまだ薄青く、鳥の声もまばらな時間。

 眠りきっていない街はひっそりとしていて、昼の喧騒が嘘のようだった。

 門の前に立つ影は二つ。


 ユキと、アナ。


 腰の刀の中で、シグレは静かに気配を潜めている。


「西の村だな」


「はい」


 アナは小さく頷く。


 緊張はある。

 けれど、目は揺れていない。


 門番が欠伸をしながら門を開ける。

 重い扉の軋む音が、朝の静けさに長く響いた。

 街の外の空気は冷たい。


 ユキは迷いなく、西へ向かって歩き出す。

 アナも一歩遅れて、その背を追った。


 しばらくして、アナがぽつりと呟く。


「……奇跡、本物だといいですね」


 小さな声だった。

 願うようでもあり、確かめるようでもあった。


 ユキは前を向いたまま答える。


「奇跡には、理由がある」


 それ以上は語らない。

 刀の中で、シグレが静かに呟く。


(祈りか、歪みか)


 朝焼けが、二人の背中を淡く赤く染める。


 それが救いなのか。

 それとも――壊すべきものなのか。


「行くぞ」


 二人は歩き出す。


 西の、小さな村へ。

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