第5話 踏み出す影
夕陽が、ゆっくりと沈みかけていた。
赤く染まった空の下、三人の影が街へ向かって長く伸びている。
森を抜ける風は、ひんやりとしていた。
戦いの熱はもう引き始めているはずなのに、その余韻だけがまだ体の奥に残っている。
アナは、しばらく何も言わずに歩いていた。
足元を見て、前を見て、また黙る。
胸の内ではずっと言葉が回っているのに、うまく形にならなかった。
今日、見たものは重かった。
キングゴブリン。
暴走した魔装。
そして、それを迷いなく斬り、壊したユキの背中。
ただ強い、だけでは済まない何かがあった。
やがてアナは、意を決したように口を開く。
「……私も、知りたいです」
前を歩くユキは、歩みを止めないまま答えた。
「何を」
「《魔女の置き土産》のこと」
言ってから、アナは小さく息を吸う。
「セラさんのことも」
その名が落ちた瞬間。
ユキの足が、ほんのわずかに止まった。
本当に一瞬。
気をつけて見ていなければ分からないほどの変化だった。
けれど、振り返ることはしない。
「軽い気持ちで首を突っ込むものじゃない」
拒絶とも、警告ともつかない低い声だった。
ただ、その先へ踏み込むなら覚悟が要ると告げる響きだけがある。
アナは唇をきゅっと噛む。
それでも、視線は逸らさない。
「軽くないです」
声は小さい。
けれど、その言葉ははっきりしていた。
「今日、見ました」
握っていないはずの掌に、まだ剣の感触が残っている気がした。
斬った手応えも。
土を蹴った感触も。
ゴブリンの血の匂いも。
全部、まだ消えていない。
「そして、あれが“壊す”ってことなんだって、少しだけ分かりました」
夕陽に照らされた自分の手を、一瞬だけ見下ろす。
「でも……それが誰かの願いだったのなら」
そこで、アナはわずかに言葉を詰まらせた。
願い、と口にしてしまえば、それはただの敵でも、ただの武器でもなくなる。
誰かが何かを求めた結果なのだと、考えずにはいられなくなる。
それでも、逃げたくはなかった。
「ちゃんと、知りたいです」
声は震えていなかった。
森を抜ける風が、三人の間を静かに通り過ぎていく。
落ち葉が一枚、道の端を転がった。
(ユキ、似てるね)
シグレが、くすりと笑う。
「うるさい」
短い否定。
だが、その声音に、さっきまでの硬さはない。
アナはその変化を見逃さなかった。
だから、もう一歩だけ踏み出す。
「次も、連れていってください」
沈黙が落ちる。
街の喧騒が、少しずつ近づいてきていた。
石畳を踏む音。
遠くの人声。
門の向こうにある、日常の気配。
夕陽が最後の光を投げる中、ユキは前を向いたまま口を開いた。
「……勝手にしろ」
ぶっきらぼうで、投げやりにすら聞こえる返しだった。
けれど、拒絶ではない。
そのことが分かった瞬間、アナの犬耳がぴんと立つ。
「はい!」
返事は、弾むように明るかった。
(ふふ。素直じゃないんだから)
シグレが楽しそうに笑う。
ユキは何も返さない。
ただ――ほんの少しだけ、歩く速度を落とした。
まだ並んではいない。
アナは相変わらず、その背中を追いかけているだけだ。
それでも、さっきより距離は近かった。
赤く染まる空の下。
三人の影が、帰り道の上で少しだけ重なっていた。




