第58話 集う
翌朝、ギルド《灯守の会》は、いつもより早い時間から騒がしかった。
依頼掲示板の前には冒険者たちが集まり、受付では職員たちが慌ただしく書類を捌いている。
普段なら酒場の席で朝食を取っている者たちまで、今日は立ったまま噂話に耳を傾けていた。
レノン武闘祭。
優勝者には、望みを叶える秘宝を授ける。
いかにも人目を引くための、安っぽい文句とともに、その名は、一晩で街中に広まりつつあった。
その安っぽさがかえって人の欲を刺激する。
ユキはその騒ぎを横目に見ながら、ギルドの奥へ進んだ。
受付のリーナが何か声をかけようとしたが、ユキを見るなり、すぐに奥の廊下を指さす。
「ユキさん、ギルドマスターの部屋です。もう皆さん集まっています」
「ああ」
短く答え、ユキは廊下を進む。
ユキの腰には黒い刀――シグレが収まっていた。
(朝から賑やかだね)
「うるさいだけだ」
(みんな、願いを叶える秘宝に興味津々って感じだね)
「……」
ユキはギルドマスター室の前で足を止め、扉を開ける。
部屋の中には、すでに何人かが集まっていた。
机の向こうにはレイシア。いつもより少し険しい顔で書類を捌いている。壁際にはサイカが腕を組んで立ち、その近くにアイファが静かに控えていた。アナは部屋の隅で、どこか緊張した面持ちで背筋を伸ばしている。
「来たか」
レイシアが顔を上げる。
「ああ」
ユキは部屋へ入り、レイシアの机の前で足を止める。
「参加するやつは決まったのか」
「おおよそはな」
レイシアは机の上の紙を一枚引き寄せた。
「ギルド《灯守の会》から出すのは、ユキ、サイカ、アイファ。ここまでは昨日決めた通りだ」
「アナは同行だけだな」
「ああ。出場はさせない」
レイシアが言うより早く、アナが小さく頷いた。
「はい。私はちゃんと見て学びます」
声はまだ少し硬い。
それでも、昨日のように悔しさだけで揺れてはいなかった。
ユキはそれ以上何も言わず、レイシアへ視線を戻す。
「他は」
「アッシュにも声をかけてある」
「……やっぱりあいつも出すのか」
「腕は立つ」
「口もよく動くがな」
「それは否定しない」
レイシアが短く返した、その時。
廊下の向こうから、やけに明るい声が近づいてきた。
「呼ばれて飛び出て、天才剣士アッシュ様の登場だ!」
勢いよく扉が開く。
入ってきたのは、軽薄そうな笑みを浮かべた青年だった。
くすんだ茶髪を後ろで適当に束ね、腰には細身の剣。整った顔立ちをしているのに、態度がすべてを台無しにしている。
アッシュ。
以前、ユキにガセ情報を掴ませた男であり、それなりに腕は立つが、それ以上に口が軽い冒険者だった。
ユキは自然と半目になる。
「帰れ」
「挨拶より先に拒絶するなよ」
「この前の森の分だ」
「あれは結果的に街の平和に貢献しただろ?」
「お前の手柄みたいに言うな」
アッシュは悪びれもせず笑う。
その後ろから、一人の女が静かに入ってくる。
肩のあたりで切り揃えられた紫の髪。涼しげな瞳。身に着けているのは動きやすい革鎧で、腰には二本の短剣が差してある。
彼女はアッシュの背後に立つと、無言でその脇腹を肘で突いた。
「ぐえっ」
「朝から騒がない」
「ユエ、もうちょっと優しくしてくれない?」
「あなたが静かにすればいいだけ」
淡々と告げる女――ユエに、アッシュは情けない顔をする。
アナが目を瞬かせた。
「この方は……?」
「ユエだ」
ユキが答える。
「アッシュの面倒を見ている」
「相棒または、俺の人生の支えってやつ?」
アッシュのドヤ顔が嫌でも目に入る。
「保護者の間違いでしょ」
「辛辣!」
ユエは表情を変えないまま、レイシアへ軽く頭を下げた。
「話は聞いています。アッシュが出るなら、私も出ます」
「助かる」
レイシアは頷いた。
「アッシュ一人だと、問題を増やす可能性が高い」
「おい、信用なさすぎだろ」
「日頃の行い」
ユエの一言で、アッシュは黙る。
サイカが腕を組んだまま、二人を見る。
「実力は確かだ。少なくとも、足を引っ張ることはない」
レイシアは紙に視線を落とす。
「今のところ、出場予定はユキ、サイカ、アイファ、アッシュ、ユエ。そこにもう一人、ギルドから出す」
「もう一人?」
アナが首を傾げた。
「誰ですか?」
レイシアが答えようとした、その時だった。
ギルドマスター室の扉が、遠慮というものを知らない勢いで開く。
「うぃー、集まってるー?」
酒の匂いが、部屋に流れ込んできた。
「うっ……」
アナが反射的に鼻を覆う。
「お酒の匂いが、すごいです……」
入ってきたのは、酒瓶を片手にした大柄な男だった。
年は四十を少し越えたあたりだろうか。無精ひげを生やし、髪は適当に後ろで束ねている。着崩した上着の隙間から覗く胸板は分厚く、袖をまくった腕には岩のような筋肉が盛り上がっていた。
ただ立っているだけで圧がある。
だが、その圧を台無しにするほど、男は酒臭かった。
サイカの目が、一瞬で鋭くなる。
「ガルド。貴様、こんな時間から飲んでいるのか」
「こんな時間からじゃねえよ」
ガルドは悪びれもせず、自慢げに酒瓶を軽く掲げる。
「昨日から飲んでる」
「なお悪い!」
サイカの怒声が飛ぶ。
男――ガルドは、耳をほじるような仕草をしながら、のんびりと部屋へ入ってきた。
「まあまあ、硬いこと言うなよ。身体があったまってる方が動けるんだ、俺は」
「酒で温まった身体で戦場に出る馬鹿がいるか」
「ここにいるだろ」
「開き直るな」
アナは鼻を押さえたまま、困惑した顔でユキを見る。
「あの……ユキさん。この方は?」
「ガルドだ」
ユキは短く答えた。
「見ての通り、だらしない酒飲みのオッサンだ」
「おいおい、紹介が雑すぎんだろ」
「事実だろ」
「否定はしないがな」
ガルドはにやりと笑う。
そんな大男を横目に、レイシアがため息をつきながら、机に肘を置いた。
「こんなだらしないが、実力は本物だ。ギルドの中でも、純粋な近接戦なら最強だ」
アナの目が丸くなる。
「嬢ちゃん、今この人が?って疑ったろ」
「い、いえ!」
ガルドは愉快そうに笑った。
サイカは腕を組み、忌々しげに言う。
「腕だけは確かだ。腕だけはな」
「褒めてるならもっと気持ちよく褒めろよ、サイカちゃん」
「ちゃん付けするな。殴るぞ」
「俺を殴れるならな」
その一言で、空気がわずかに変わった。
冗談めいた声のままだった。
だが、サイカの目つきがさらに鋭くなる。
ガルドは笑っている。酔っている。間違いなく酔っている。
それでも、その立ち姿には隙がない。
武器は持っておらず、魔装らしきものも見えない。
けれど、あの分厚い腕が振るわれれば、人の骨など容易く砕けるだろう。
素手で戦場を歩いてきた男。
徒手空拳のみで、ギルドの最強枠に数えられる冒険者。
それが、ガルドだった。
「で、レイシア」
ガルドは酒瓶を机に置こうとして、サイカに睨まれ、仕方なく手元に戻した。
「呼んだのは、レノン武闘祭の件だろ?」
「話は通しておいたはずだ」
「ああ、聞いた聞いた。願いを叶える秘宝だの、魔女の福音だの、きな臭い話だったな」
ガルドはユキへ視線を向ける。
「安心しろ、優勝しても、置き土産はお前に譲ってやるよ、ユキ」
「そんな心配していない」
ユキは即答する。
「お前を倒して俺が優勝するから、別にいい」
次の瞬間、ガルドが腹の底から笑った。
「はははははっ! いいねえ。そういう可愛げのない若造、嫌いじゃねえぞ」
「俺は酒臭いオッサンは嫌いだ」
「ますますいい。武闘祭が楽しみになってきた」
ガルドは口角を上げる。
その笑みの奥で、一瞬だけ、酔っ払いの気配が消えた。
アッシュが小さく口笛を吹く。
「相変わらず怖いねえ、ガルドのおっさん」
「お前も出るんだろ、アッシュ」
「もちろん。俺が優勝したら、ユエに何か願いを叶えてもらう」
「自分で叶えなさい」
ユエが即座に言い、アッシュの脛を蹴った。
「痛っ!」
緊張と軽口が、部屋の中で奇妙に混ざる。
だが、誰も忘れてはいなかった。
これは、ただの祭ではない。
王城から奪われた《アマネ》と《ツムギ》。
願いを叶える秘宝という餌。
そして、その裏で蠢く魔女の福音。
レイシアは机の上の書類を一つにまとめ、集まった面々を見渡す。
「改めて確認する。ギルド《灯守の会》から武闘祭に出るのは、ユキ、サイカ、アイファ、アッシュ、ユエ、ガルド。この六人だ」
アナが小さく息を呑む。
「三日後、レノンへ向かう」
レイシアの声が、低く響いた。
「福音が何を企んでいるにせよ、こちらも黙って餌になるつもりはない」
「ああ」
ユキは短く答える。
「福音の連中ごと、俺がすべて壊す」
覚悟とは裏腹に、ユキの声は静かだった。
ガルドはそれを聞き、酒瓶を軽く揺らし、にやりと笑う。
「いいねえ」
だらしない酔っ払いの顔ではない。
戦場を知る男の、獲物を見つけた笑みだった。
「酒の肴には、ちょうどいい」




