第56話 奪われた宝物庫
夕暮れの赤は少しずつ薄れ、森の向こうに夜の気配が滲み始めている。
屋敷の調査に出た時と同じ道のはずなのに、帰り道はどこか違って見えた。
リカナの声が、まだ耳に残っている。
――お兄ちゃーん!
「リカナちゃん、大丈夫でしょうか」
ぽつりと、アナが呟く。
犬耳は少し垂れ、歩きながら何度か後ろを振り返っていた。
「大丈夫だろ」
ユキは前を向いたまま答える。
「泣くだけ泣いた。帰る場所もある。あの爺さんも、今度は間違えない」
「そう、ですよね」
アナは小さく頷く。
「ダイクさん、ずっと外で待っていましたもんね」
「ああ」
「リカナちゃん、ちゃんと帰れてよかったです」
その声には、疲れと安堵が混じっていた。
アイファは少し後ろを歩いている。
灰色の服の裾が夜風に揺れ、長い耳が時折ぴくりと動く。
「……私は、今回、本当に何もしていない」
またそれか、とユキは半眼になる。
アナが慌てて振り返り、笑顔を向けた。
「そんなことありませんよ! アイファさんがいてくれたから、リカナちゃんもお礼を言ったんです」
「だが、私は幻に呑まれて、ユキを襲った」
「それは《カナタ》のせいです!」
「アナにも迷惑をかけた」
「迷惑じゃないです!」
アナは犬耳をぴんと立て、真剣な顔で言い切る。
「友達ですから!」
アイファは目を瞬かせる。
「……そういうものか」
「はい!」
アナは大きく頷く。
「だから、助けられてよかったです」
アイファは少しだけ視線を逸らした。
「……そうか」
長い耳が、照れたようにわずかに揺れる。
シグレがユキの横に並び、にやにやと笑った。
(いいねえ。青春だねえ。ユキも混ざる?)
「混ざらない」
(友達なのに?)
「うるさい」
(お兄ちゃんなのに?)
「黙れ」
ユキの声が少し低くなる。
シグレが楽しそうに笑う。
(照れてる照れてる)
「斬るぞ」
(やだなあ。照れ隠しが物騒)
アナはその様子を見て小さく笑った。
アイファも、ほんの少しだけ口元を緩めたように見える。
夜が深くなる頃、ギルド《灯守の会》の灯りが見えてきた。
年季の入った木造の建物。
入口には、小さな灯火を両手で包む意匠の看板が掲げられている。
世界を照らす巨大な光ではなく、消えかけた灯を守る場所。
いつもなら、帰ってきたという安心感が少しは感じられる。
だが、その夜のギルドは、どこか様子がおかしい。
扉の向こうから漏れる声が慌ただしく、受付の明かりは落ちていない。
ユキは足を止める。
「……騒がしいな」
「何かあったのでしょうか」
アナの犬耳が不安そうに動く。
扉を開けた瞬間、受付にいたリーナが顔を上げる。
「ユキさん!」
普段の落ち着いた声ではない。
リーナは受付台から飛び出すように出てくる。
「戻られたんですね。よかった……!」
「何があった」
ユキの声が低くなる。
リーナは一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに表情を引き締めた。
「すぐにギルドマスター室へ来てください。レイシア様がお待ちです」
「依頼の報告なら明日でいいだろ」
「違います」
リーナは首を振り、顔には、明らかな焦りがあった。
「緊急です。サイカさんも戻っています」
「サイカが?」
アナが目を見開く。
「サイカさんは別任務のはずでは……」
「詳しいことは、上で」
リーナはそう言って、すぐに廊下の奥へ向かった。
ユキたちは顔を見合わせる。
疲れは残っていた。
屋敷での一件から、まだ一日も経っていないようにすら感じる。
だが、リーナの様子はただ事ではなかった。
「行くぞ」
ユキが短く言う。
アナとアイファが頷き、シグレも表情から笑みを消した。
階段を上がる足音が、やけに大きく響く。
ギルドマスター室の扉の前で、リーナが足を止める。
「ギルドマスター。ユキさんたちをお連れしました」
「入れ」
中から返ってきたレイシアの声は、いつも通り穏やかだ。
けれど、その穏やかさが逆に不気味だった。
扉が開く。
部屋に入った瞬間、アナが息を呑んだ。
「サイカさん……!」
部屋の奥。
壁際の椅子に、サイカが座っている。
蒼銀の髪は乱れ、青銀の鎧にはいくつもの傷が走り、肩口の布は裂け、腕には包帯が巻かれていた。
頬には乾いた血の跡が残り、普段なら真っ直ぐ伸びている背も、今はわずかに沈んでいた。
それでも、サイカの目だけは鋭い。
「戻ったか、ユキ」
「その格好はなんだ」
ユキの声が冷える。
「油断したわけではない」
サイカは悔しげに奥歯を噛んだ。
「だが、相手が悪かった」
「誰だ」
サイカは答えない。
その代わり、机の向こうに座るレイシアが口を開いた。
白妖族のギルドマスターは、いつものように静かにユキたちを見ている。
だが、その瞳には、普段の柔らかさがない。
「王城に賊が入った」
その一言で、部屋の空気が凍った。
アナの犬耳がぴんと立つ。
アイファの長い耳もわずかに動いた。
シグレの気配が、ユキの中で鋭くなる。
「王城……?」
ユキは眉をひそめる。
「まさか」
レイシアは頷いた。
「そのまさかだ」
嫌な予感が、胸の奥で形になる。
王城。
宝物庫。
セリスが口にした、二つの名。
《アマネ》。
《ツムギ》。
戦争に使われた、セレスティアの置き土産。
「宝物庫にあった置き土産と《ツムギ》が奪われた」
レイシアの声は静かだった。
静かすぎるほどに。
「魔女の福音によってな」
次の瞬間、ギルドマスターの部屋はユキの殺気に包まれる。




