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『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第4章 幽霊屋敷

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第52話 俺のセラ

セラの姿が、ユキの前に立っていた。


 白い衣。

 柔らかな金の髪。

 春の光を思わせる、穏やかな瞳。


 闇夜の薄暗い空気の中で、その姿だけが不自然なほど鮮やかだった。


 ミロの小さな体は、もうそこにはない。


 あるのは、ユキが何度も思い出し、何度も忘れようとして、それでも忘れられなかった人の姿だけ。


「……セラ」


 ユキの唇から、かすれた声が漏れる。


 その横で、アイファが息を呑んだ。


 彼女の目には、きっと別のものが見えているのだろう。


 弟の姿。

 愛しいリクの姿。


 《カナタ》は、見る者の心を暴く。


 一番会いたい者を。

 一番失いたくなかった者を。

 一番、刃を向けられない者を。


 ミロの声が、セラの姿をしたまま笑う。


「これでも、攻撃できるかい?」


 歪んだ笑みだった。


 その口元は、セラのものではない。

 ユキが知る彼女の口元は決してあんな風には歪まない。


「アイファ」


 ユキが低く言う。


「お前は手を出すな」


「……ユキ」


 アイファはナイフを構える。

 けれど、その手には、ほんのわずかな震えが残っていた。


「気を遣わなくてもいい。私はもう、大丈夫だ」


「違う」


 ユキはセラの姿を見据えたまま、静かに言った。


「俺がこいつを叩き潰さないと、気が済まないだけだ」


 その瞬間、セラの姿をしたミロが踏み込む。


 長剣が閃く。


 白い衣の裾が揺れ、夜の闇を裂くように刃が走った。


 ユキは黒刀で受け、金属音が響く。


 重い。


 だが、足りない。


 次の一撃を流し、さらに続く突きを半身でかわす。


 長剣の切っ先がユキの頬をかすめ、赤い線を残した。

 肩口にも、浅い傷が増える。


 それでも、ユキは反撃しなかった。


(ユキ)


 シグレの声が、頭の奥に響く。


(まさか、攻撃できないなんて言わないよね)


「……」


 ユキは答えない。


 セラの顔が、悲しげに歪んだ。


「やめて、ユキ」


 その声は、記憶の中のセラそのものだった。


 少し困ったように。

 少し寂しそうに。


 それでも優しく、ユキの名を呼ぶ声。


「私を斬るの?」


 ユキの指が、柄を強く握り込む。


 一瞬だけ、刃が止まってしまう。


 ミロはその隙を逃さない。

 セラの姿のまま踏み込み、長剣を振り下ろした。


 ユキはそれを受け止める。

 刃と刃が噛み合い、火花が散った。


「お前が……」


 ユキの声が、低く沈む。


「お前がセラだと」


 次の瞬間。


 黒刀に自然と力がこもる。


「ふざけるな」


 長剣が、押し返される。

 セラの顔に、初めて動揺が走った。


「セラは、もっと強かった」


 ユキが一歩踏み込む。


「もっと速かった」


 さらに一歩。


「もっと痛かった」


 長剣ごと、セラの姿が後ろへ押される。


 その瞬間、ユキの脳裏に、遠い日の光景がよぎる。


 青く澄んだ空。

 草の匂い。


 木刀を構える、白い衣のセラ。


 幼いユキは、何度も何度も地面に転がされていた。

 腕が痺れて、足が震えて、それでも立ち上がる。


 そのたびに、セラは困ったように微笑む。


『ユキ、そんなんじゃ誰も守れないよ』


 優しい声とは裏腹に、一切の手加減はない。


 木刀が容赦なく肩を打ち、脇腹を叩き、足を払う。


 痛かった。

 悔しかった。

 泣きたくなるほど、強かった。


 それでも、ユキはその人の背中を追いかけた。


 誰よりも優しくて。


 誰よりも強くて。


 誰よりも遠い人だった。


 そんな彼女の強さを、ユキは知っている。


 目の前のセラとは、比べるまでもない。


「てめぇなんか」


 ユキの声が、低く響く。


「セラの足元にも及ばない」


 セラの顔が、ぐにゃりと歪んだ。


「どうして?」


 声が震える。


「私に会いたかったんでしょ?」


 長剣の勢いが増す。


「私を願ったんでしょ?」


 刃がぶつかる。

 ユキの頬に、また浅い傷が走る。


「どうして私を拒絶するの!?」


 セラの叫びが、夜空に響く。


 ユキは黒刀を構え直した。


「ああ」


 短く答える。


「確かに、俺の願いだ」


 セラに会いたい。


 もう一度、声を聞きたい。


 もう一度、名前を呼んでほしい。


 もう一度、叱ってほしい。


 もう一度、刃を重ねたい。


 その願いは、消えていない。

 五年経っても、少しも薄れていない。


 むしろ、時が経つほどに濃くなっていた。


 過去は、遠ざかるほど綺麗になる。


 届かない声は、記憶の中で何度も優しくなる。


 失った人は、思い出の中で何度も強くなる。


 ユキは、過去に縋っている。

 それは自分でも分かっていた。


 けれど、それがなければ前を向けなかった。


 セラを聖女だと信じ続けることも。

 あの人なら間違えないと願い続けることも。

 その強さを、優しさを、美しいまま胸に抱え続けることも。


 どれも、きっとユキにとっては、前を向くための逃避だったのかもしれない。


 それでも。


 だからこそ。


「俺の願いなら」


 ユキが踏み込む。


「セラが、こんなに弱いはずがないんだよ」


 黒刀が、長剣を弾いた。


 ミロの体勢が崩れる。


「っ……!」


「俺がどれだけセラに縋ってると思ってる」


 ユキの声は、怒りではなかった。


 もっと冷たく、もっと深い場所から響く声だった。


「俺がどれだけ、あの人を忘れられないと思ってる」


 黒刀の切っ先が、セラの喉元へ向けられる。


「俺のセラを」


 ユキの瞳が、細くなる。

 ユキの顔に、消しきれない寂しさが滲んだ。


「てめぇの幻が超えられると思うな」


 セラの顔が、さらに歪んでいく。

 白い衣が揺らぎ、金の髪がほどけるように霞む。


 穏やかな瞳が、恐怖に濁っていく。


「どうして……」


 声が、ミロのものに戻り始める。


「どうして、効かない……!」


「効いてるさ」


 ユキは静かに言った。


「だから腹が立ってる」


 刃が、さらに喉元へ近づく。


「お前が自分で言ってた通りだ」


 セラの姿が崩れていく。


 白い衣が消え、金の髪が薄れ、そこに白い助祭服を着た少年の姿が戻っていく。


 ミロの顔は、青ざめていた。


「本当に弱いな」


 ユキは、黒刀の切っ先をミロの喉元へ向けたまま告げる。


「さあ、魔女の福音について、洗いざらい吐いてもらおうか」

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