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『魔女の置き土産』ーー魔女と呼ばれた聖女の遺産を、弟子の俺がすべて破壊する  作者: キョウ
第4章 幽霊屋敷

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第51話 友達だ

アイファの刃が、ユキの喉元へ滑り込む。


 ユキは首をわずかに傾け、黒刀でその軌道を弾いた。

 火花が散る。

 地下牢の冷たい空気に、金属音が鋭く響く。


「アイファさん!」


 アナが叫ぶ。


 だが、アイファは反応しない。


 銀灰の瞳はユキを見ているようで、見ていなかった。

 その奥に焼きついているのは、憎しみだけだ。


「セヴラン……!」


 もう一度、アイファがその名を吐く。


 逆手に握ったナイフが、低い位置から跳ね上がる。


 ユキはそれを受け、流し、最低限の動きでかわす。


「おい、起きろ。俺はセヴランじゃない」


 返事はない。


 代わりに、アイファの踏み込みがさらに深くなった。

 刃が黒刀を擦り、耳障りな音を立てる。


 地下牢は狭い。


 左右には鉄格子が並び、その向こうではリカナや村人たちが眠っている。

 ここで大きく刀を振れば、誰かを巻き込む。

 アイファが無理に踏み込めば、眠っている者を盾にされる危険もある。


「面倒な場所で暴れるな」


 一歩、後ろへ下がる。


 アイファはそれを逃げと見たのか、獣のような速さで追ってきた。


 ナイフが低く走る。

 それをユキは黒刀で弾き、階段の方へ身体を流した。


「ユキさん!」


「リカナたちから離す」


 短く言い、ユキはさらに後退する。


 アイファは迷わず追う。

 足音はほとんどない。

 だが、動きそのものは以前より荒い。


 地下階段を駆け上がる。


 古い石段に靴音が響き、湿った空気が背後へ流れていく。

 ミロは逃げるでも止めるでもなく、楽しそうにその様子を見ていた。


「いいね。仲間同士で戦うのって、ちょっと悲しいけど、すごく綺麗だよね」


「黙ってろ」


 ユキは吐き捨てる。


 階段を上がり、古びた屋敷の廊下へ出る。


 アイファは止まらない。

 幻の中で見ている敵を逃すまいと、身体ごと刃を押し込んでくる。


 ユキはその勢いを受け流しながら玄関まで下がり、扉を蹴るように開いた。


 夜気が流れ込む。


 庭は静まり返っていた。

 枯れた草が風に揺れ、朽ちた門が闇の中で黒く沈んでいる。


 ここなら、戦える。


 直後、アイファが庭へ飛び出した。


 速い。


 だが、粗い。


 かつて《ソラネ》を使っていた時のアイファは、もっと静かだった。

 空を足場にし、角度を殺し、気配を消し、こちらの意識の外から刃を滑り込ませてきた。


 今のアイファは違う。


 怒りに任せて踏み込み、憎しみに任せて斬りつけている。

 刃は鋭い。

 身体能力も高い。

 けれど、そこにあったはずの冷静さが抜け落ちていた。


 ユキは真正面から受け止め、低く言う。


「お前はその程度だったか?」


 アイファの眉がわずかに動いた。


「《ソラネ》を使っていたお前は、もっと強かったぞ」


「黙れ……!」


 アイファが叫ぶ。


 ナイフが雑に横薙ぎに走った。

 だが、ユキは半身でかわし、柄でアイファの手首を打とうとして、寸前で止める。


 今のアイファに、痛みで止まる理性があるとは限らない。


「俺は確かに、復讐しろと言った」


 ユキは刃を受けながら続ける。


「だが、道具ではなく、自分の意思で来いとも言ったはずだ」


 アイファの刃が、黒刀に噛み合う。


「お前はまた、魔女の福音の道具になるのか?」


 その言葉に、アイファの瞳が一瞬だけ揺れた。


 だが、すぐに憎悪が塗り潰す。


「セヴラン……!」


 見えていない。


 聞こえていない。


 そこへ、屋敷の入口からミロが顔を出す。

 左耳の紫水晶が、淡く揺れている。


「無駄だよ」


 ミロは歪んだ笑みを浮かべて言う。


「その子は幻の中にいる。君の姿は、一番憎い相手に見えてる。声もちゃんとは聞こえてないよ」


「随分と楽しそうだな」


「うん。仲間討ちって、見てる分には面白いから」


 ミロは素直に頷いた。


「僕はこのまま、ここで見させてもらおうかな」


 ユキは刀越しにアイファを見た。


「そうか」


 黒刀に力を込め、アイファの刃を押し返す。


「なら、さっさと正気に戻れ。アイファ」


「……!」


「高みの見物を決めてるガキを、引きずり下ろすぞ」


(どうする? ユキ。峰打ちで気絶させる?)


 シグレの声が、頭の中に響く。


 現実的には、それが早い。


 アイファを気絶させれば、一時的には止められる。

 相手も殺さずに済む。

 以前のユキなら、迷わずその選択をしたはずだ。


 だが、ユキは短く息を吐いた。


「……アイファは、友達だ」


 口にしてから、ユキは自分で少しだけ驚いた。


 けれど、訂正する気にはならなかった。


「友達に手をかけたら、セラが悲しむ」


(……そっか)


 シグレが、刀の中でにっこり笑った気がした。


(なら、しょうがないね)


 その時、背後からアナの声が響く。


「ユキさん!」


 地下から駆け上がってきたアナが、息を切らしながら庭へ飛び出してくる。

 顔は青ざめている。

 だが、その目だけは真っ直ぐだ。


「私に考えがあります!」


「言え」


「アイファさんを、少しだけ動けなくしてください!」


(アナの言う通りにやってみようか)


「分かった」


 ユキは即座に動いた。


 アイファのナイフを受ける。

 押し合う。


 力の向きが真正面に集まった瞬間、ユキはわざと刀をずらした。


 アイファの体勢がわずかに崩れる。


 その隙をユキは逃さない。


 ユキは踏み込み、アイファの手首を掴んだ。

 強引に身体を捻り、背後へ回る。

 ナイフを握った腕を後ろへ固め、もう片方の腕で肩を押さえ込んだ。


「っ、離せ……!」


 アイファが暴れる。


 だが、ユキは動かさない。


「アイファ」


「セヴラン……!」


「今度、サイカに近接戦闘を教えてもらえ」


(今だよ、アナ)


「はい!」


 アナが駆け寄る。


 首元の小さな装飾具――《ミハル》を握りしめる。


 そこからアイファに向かい、淡い光の糸が伸びた。

 アナの手首と、ユキに押さえられたアイファの手首へ絡みつくように繋がる。


「ミハル、お願い……私だけじゃなく、アイファさんにも!」


 アナは歯を食いしばる。


「ミハル、魔装顕現!」


 淡い光が、弾けた。


 普段の《ミハル》は、アナの五感を少しだけ押し上げる補助魔装だった。

 匂いを拾いやすくし、音を聞き分けやすくし、暗がりでも僅かな変化に気づけるようにする。


 だが、今は加減などしていなかった。


 アナは自分の魔力を、ありったけ《ミハル》へ流し込む。


 瞬間、世界が押し寄せた。


 土の匂い。

 夜風の冷たさ。

 ユキの呼吸。

 アイファの体温。

 ナイフの金属臭。

 ミロの耳飾りから漏れる甘い魔力の気配。

 枯れ草が擦れる音。

 地下から漂う眠った人々の匂い。


 現実の情報が、暴力のようにアナとアイファへ流れ込む。


「うっ……!」


 アナの膝が揺れた。


 ただでさえ、五感の鋭い獣人の彼女には、その情報量は多すぎる。

 頭の奥が焼け、耳鳴りが止まらない。

 匂いが形を持って襲ってくる。


 それでも、アナは叫んだ。


「アイファさん、ちゃんと見てください!」


 アイファの瞳が揺れる。


「目の前にいるのは敵ですか!? それとも、仲間ですか!?」


 アイファの喉が震えた。


「セヴ……ラン……」


 現実と幻が、激しくぶつかる。


 見えているのは、セヴラン。


 けれど、鼻が知っている。

 耳が知っている。

 肌が知っている。


 この呼吸は違う。

 この魔力は違う。

 この手の強さは、あの男のものではない。


「違う……」


 アイファが奥歯を噛みしめる。


「違う……お前は……」


 銀灰の瞳から、憎悪の濁りが少しずつ引いていく。


「アイファさん!」


 アナが、最後の力を振り絞って叫んだ。


「目の前にいるのは、誰ですか!」


 アイファは息を呑んだ。


 そして、掠れた声で答える。


「……友達だ」


 その瞬間、紫の靄が弾けるように消えた。


「よかった……」


 アナが小さく笑う。


 次の瞬間、糸が解け、《ミハル》の光が消える。

 アナの身体がぐらりと傾く。


「アナ!」


 アイファが反射的に腕を伸ばした。


 ユキの拘束から外れた腕で、倒れかけたアナを受け止める。


 アナは意識を失っていた。


 それでも、その顔には安堵が残っている。


 アイファはアナを抱え、しばらく何も言えなかった。


 やがて、低く呟く。


「……すまない。面倒をかけた」


「ああ。本当にな」


 ユキは刀を下ろさずに答える。


 アイファはアナをそっと地面に寝かせた。


 それから、ユキと並ぶように立つ。


 二人の視線が、屋敷の入口に立つミロへ向いた。


「本当に何も仕掛けてこないとはな」


 ユキが言う。


 ミロは少しだけ目を丸くしていた。

 だが、すぐにぱち、ぱち、と小さく拍手をする。


「うん。まさか《カナタ》を破るとは思わなかったよ」


 紫水晶の耳飾りを撫でながら、ミロは楽しそうに笑う。


「なるほどね。《カナタ》より強く、五感を現実に繋げたんだ。視る幻と聞く声を、匂いと熱と痛みで上書きした。すごいなぁ」


「感心してる場合か」


「してるよ。だって、すごかったもん」


 ミロは無邪気に言う。


「君たちの友情、ちゃんと見せてもらったよ」


 その笑顔は、やはり歪んでいた。


「けど、頼みの魔装持ちの子は倒れちゃったね」


 ミロの左耳で、紫水晶が再び淡く光る。


「もう一回、抗えるかな?」


「させると思うか」


 ユキが地面を蹴った。


 一瞬だった。


 ミロが耳飾りに魔力を込めるより早く、ユキは距離を詰める。


 ミロの顔から、初めて笑みが消えた。


「わ」


 短い声。


 ユキの黒刀が、ミロへ向かって走る。


 狙いは耳飾り。

 左耳に揺れる紫水晶。


 それを砕けば終わる。


 だが。


 刃が届く寸前、白い影が間に立った。


 金の髪。

 優しい瞳。

 少し困ったように笑う口元。


 ユキの腕が、止まる。


 黒刀の切っ先が、白い衣の前でぴたりと震える。


 そこにいたのは――聖女セレスティアだった。

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